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== 日本語版 == | == 日本語版 == | ||
[[:wikipedia:ja:|日本語版]]はWikipediaの中でも異様であり、サブカルチャーやオタク関係の記事ばかり充実している(反面、学術的な事柄は乏しい)。また、{{wpl|ウィキペディア日本語版#.E5.8F.82.E5.8A.A0.E8.80.85|非ログインユーザー(IPユーザー)の割合が断トツに高い}}<ref>これによって日本社会の匿名志向の強さが窺える</ref>。 | [[:wikipedia:ja:|日本語版]]はWikipediaの中でも異様であり、サブカルチャーやオタク関係の記事ばかり充実している(反面、学術的な事柄は乏しい)。また、{{wpl|ウィキペディア日本語版#.E5.8F.82.E5.8A.A0.E8.80.85|非ログインユーザー(IPユーザー)の割合が断トツに高い}}<ref>これによって日本社会の匿名志向の強さが窺える</ref>。 | ||
=== 項目「唐澤貴洋」 === | === 項目「唐澤貴洋」 === | ||
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しかし2013年下半期、状況に大きな動きがみられる。10月に尊師が雑誌AERAのインタビューに応じ、また12月には[[カラコロ]]により大分の高校生が書類送検されたことが各種メディアで報じられた。ついに信頼性を持った一次ソースが登場したのである。さらに2014年に入ると[[片平騒動]]や[[カラッキング]]事件、[[福嶋誠也]]逮捕など大きな騒動が立て続けに発生、メディアでの報道が増え始めた。特に福嶋逮捕は「95万件の殺害予告を受けた弁護士」という論調で報じられたこともあり、この頃になると「『ネットの中傷被害に曝される弁護士』としての特筆性が存在するのでは?」という議論が持ち上がり、なんJ、[[カラケー]]等でしばしばWikipedia復活が提案されることとなる。特に2013年12月には[[カラザイル掲示板]]で「殺害予告や●流出に関する騒動についての記事を書き、そこに尊師の名を掲載する」という提案も持ちあがっている。 | しかし2013年下半期、状況に大きな動きがみられる。10月に尊師が雑誌AERAのインタビューに応じ、また12月には[[カラコロ]]により大分の高校生が書類送検されたことが各種メディアで報じられた。ついに信頼性を持った一次ソースが登場したのである。さらに2014年に入ると[[片平騒動]]や[[カラッキング]]事件、[[福嶋誠也]]逮捕など大きな騒動が立て続けに発生、メディアでの報道が増え始めた。特に福嶋逮捕は「95万件の殺害予告を受けた弁護士」という論調で報じられたこともあり、この頃になると「『ネットの中傷被害に曝される弁護士』としての特筆性が存在するのでは?」という議論が持ち上がり、なんJ、[[カラケー]]等でしばしばWikipedia復活が提案されることとなる。特に2013年12月には[[カラザイル掲示板]]で「殺害予告や●流出に関する騒動についての記事を書き、そこに尊師の名を掲載する」という提案も持ちあがっている。 | ||
だが一方で、「[[パカ弁]]」の項目が出典明記で長らく存在していたにもかかわらず、またもやワイルドカード「特筆性なし」を用いて削除されてしまう。「パカ弁」および「[[パカパカ]] | だが一方で、「[[パカ弁]]」の項目が出典明記で長らく存在していたにもかかわらず、またもやワイルドカード「特筆性なし」を用いて削除されてしまう。「パカ弁」および「[[パカパカ]]」は本職の弁護士も使っている例があり、もはや専門用語と言っても差し障りないはずなのだが。(ただし使っていたのは数名だけかつ数回程度だけなので特筆性なしは妥当とも見れる) | ||
2015年4月、[[ちばけんまショッピングモール路線]]に端を発した[[Google マップ]]改竄路線が実りを結び、「恒心教」の名が多くのニュース番組に取り上げられる事態となった。これを好機と一部信徒によるwikipediaに恒心教の記事を作成する新路線が本格的に実行されることとなったが、恒心教の記事はWikipediaの管理者の一人である[[Muyo]]にノートごと削除されてしまう。恒心教徒から批難が集中した結果Muyoが特定され、この出来事によって恒心関連の記事を存続させるために恒心教に楯突いたWikipedia利用者を特定する路線が誕生した。 | 2015年4月、[[ちばけんまショッピングモール路線]]に端を発した[[Google マップ]]改竄路線が実りを結び、「恒心教」の名が多くのニュース番組に取り上げられる事態となった。これを好機と一部信徒によるwikipediaに恒心教の記事を作成する新路線が本格的に実行されることとなったが、恒心教の記事はWikipediaの管理者の一人である[[Muyo]]にノートごと削除されてしまう。恒心教徒から批難が集中した結果Muyoが特定され、この出来事によって恒心関連の記事を存続させるために恒心教に楯突いたWikipedia利用者を特定する路線が誕生した。 |