「素心若雪」の版間の差分

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[[唐澤貴洋]]設立の恒心綜合法律事務所ではこの言葉を信条として掲げている<ref>{{Archive|http://koushin-lawfirm.jp/office/|https://archive.vn/8qMXz|恒心綜合法律事務所 事務所概要}}</ref>。事務所の公式<del>スパム</del>ブログ<ref>{{Archive|http://yaplog.jp/koushinlawfirm/archive/1|https://archive.vn/KcChF|yaplog版}}</ref>において本人はこれを「親戚の書家から頂いた言葉」としている。このことに関しては特に言うべきことはない(強いてあげるとすれば本人はこれを「2000年前」のものとしているが、これは時代を500年ほど間違えておりその頃に南北朝は存在しない)が、この言葉の対訳として「降ったばかりの'''若い'''雪のような清廉な心を持つ」を挙げている。
[[唐澤貴洋]]設立の恒心綜合法律事務所ではこの言葉を信条として掲げている<ref>{{Archive|http://koushin-lawfirm.jp/office/|https://archive.vn/8qMXz|恒心綜合法律事務所 事務所概要}}</ref>。事務所の公式<del>スパム</del>ブログ<ref>{{Archive|http://yaplog.jp/koushinlawfirm/archive/1|https://archive.vn/KcChF|yaplog版}}</ref>において本人はこれを「親戚の書家から頂いた言葉」としている。このことに関しては特に言うべきことはない(強いてあげるとすれば本人はこれを「2000年前」のものとしているが、これは時代を500年ほど間違えておりその頃に南北朝は存在しない)が、この言葉の対訳として「降ったばかりの'''若い'''雪のような清廉な心を持つ」を挙げている。


ご存じのとおり漢文で「若」は「~のようだ」「もし」といった意味であり、「若い」という意味は存在しない<ref>{{Archive|1=https://www.zdic.net/hans/若|2=https://archive.vn/88atM|3=<span lang="zh">若的解释&#x7C;若的意思&#x7C;汉典“若”字的基本解释</span>}}</ref><ref>漢文で「わかい」を表す字は主に「少」や「弱」である。日本では「若」と「弱」とが音通であることを利用して、「弱」のマイナスイメージを避けて「若」に「わかい」の和訓を与えたものという説がある([https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00026661 栾竹民、中日漢語対照研究:「老若」を中心に(1992)]より)。白川静は『常用字解』に於いて「若」に「わかい」の意味があるとしており、広く引用されているが、これはパカデブと同様の誤謬であり、「わかい」は国訓である。</ref>。騒動初期にこの記述が発見され、「もしかしてKRSWは『若』を『若い』という意味だと思っているのでは?」という疑問が湧き上がり、この一件はパカデブの無能エピソードの代表格としてしばらく君臨し続けた。
ご存じのとおり漢文で「若」は「~のようだ」「もし」といった意味であり、「若い/年少の」という意味は存在しない<ref>{{Archive|1=https://www.zdic.net/hans/若|2=https://archive.vn/88atM|3=<span lang="zh">若的解释&#x7C;若的意思&#x7C;汉典“若”字的基本解释</span>}}</ref><ref>漢文で「わかい」を表す字は主に「少」や「弱」である。日本では「若」と「弱」とが音通であることを利用して、「弱」のマイナスイメージを避けて「若」に「わかい」の和訓を与えたものという説がある([https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00026661 栾竹民、中日漢語対照研究:「老若」を中心に(1992)]より)。白川静は『常用字解』に於いて「若」に「わかい」の意味があるとしており、広く引用されているが、これはパカデブと同様の誤謬であり、「わかい」は国訓である。</ref>。騒動初期にこの記述が発見され、「もしかしてKRSWは『若』を『若い』という意味だと思っているのでは?」という疑問が湧き上がり、この一件はパカデブの無能エピソードの代表格としてしばらく君臨し続けた。


ただし異論として、「『雪のような清廉な心』という訳自体は間違いではなく、唐澤先生は『清廉な心』に対応する言葉として『雪』を『若い雪』とし、日本語の意味での『若』と引っ掛けた小粋な演出を利かせているのでは」という説も存在する。<ref>{{Archive|http://blog.livedoor.jp/soshinjakusetsu/archives/21791053.html|https://archive.vn/MM4zB|素心若雪研究ブログ}}</ref>
ただし異論として、「『雪のような清廉な心』という訳自体は間違いではなく、唐澤先生は『清廉な心』に対応する言葉として『雪』を『若い雪』とし、日本語の意味での『若』と引っ掛けた小粋な演出を利かせているのでは」という説も存在する。<ref>{{Archive|http://blog.livedoor.jp/soshinjakusetsu/archives/21791053.html|https://archive.vn/MM4zB|素心若雪研究ブログ}}</ref>
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余談であるが仮に「若い雪」が「雪」の訳だったとしても、原典に「~を持つ」という表現はどこにも存在しない。
余談であるが仮に「若い雪」が「雪」の訳だったとしても、原典に「~を持つ」という表現はどこにも存在しない。


尚唐澤貴洋の心は[[唐澤貴洋の悪行一覧|全く清廉ではない]]。
なお唐澤貴洋の心は[[唐澤貴洋の悪行一覧|全く清廉ではない]]。


== 註釈 ==
== 註釈 ==
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