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6章
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(6章)
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インターネットに情報を公開することで、人とつながりを持てるというメリットは、つながりたくない人とつながる危険性、デメリットも含まれていることを認識すべきです。
インターネットに情報を公開することで、人とつながりを持てるというメリットは、つながりたくない人とつながる危険性、デメリットも含まれていることを認識すべきです。
== 第6章 100万回の殺害予告を受けても、僕は弁護士を辞めない ==
=== [[Faithbook|フェイスブック]]による反論 ===
2012年、[[平成24年(ヨ)第1035号|「2ちゃんねる」上での削除請求]]に端を発して、私が炎上し始めてから1年ほど経過した頃、<br>
そろそろ自分の中でも許せないレベルに達して、堪忍袋の緒が切れてしまいました。<br>
私は、炎上以降、表立った反論は一切していませんでしたが、2013年半ばから、フェイスブックを使って発言を始めます。
当時「[[2ちゃんねる]]」の管理人をしていると考えられていた「ひろゆき」こと[[西村博之氏]]と、<br>
私に対してめちゃくちゃなことを書いている者たちに向かって、メッセージを書き始めたのです。<br>
それくらい、炎上行為に対して精神的にも肉体的にも追い詰められていたのかもしれません。<br>
批判を受けることは覚悟したうえで、インターネット上で誹謗中傷行為をして何になるのだと問い続けることにしたのでした。<br>
誹謗中傷行為をしても、自分の人生は一向に好転しない、人を傷つけてはいけないと言い続けました。
そのため、フェイスブックは「公開」としていました。<br>
投稿した内容は、西村博之氏に向けた質問を一気に書いただけでなく、<br>
ネット上で私を攻撃する者に向けて「こんなことをしていても、何にもならないから、やめたほうがいい」といった趣旨のものでした。<br>
今となっては、「なぜあんなことをしてしまったのか」と自分の行為を振り返ることができますが、その頃の私は冷静に判断できないほど追い込まれていたのでしょう。<br>
私の発言によって、心変わりする者はなく、攻撃する者たちに[[恒心|更なるエサを与える]]ことになってしまいました。<br>
私が正論を言えば言うほど、「何、言ってんだ、コイツ」と反発されるのは目に見えていましたが、<br>
黙っていても結局攻撃されたり、勝手なことを書かれたりするから同じことだと、私は自分の意見をまっすぐに開帳すると腹をくくったのです。
「言葉には、人を傷つける力もある一方で、間違った認識を正し、その人の信条を理解してもらえる力がある」<br>
と、私はその当時も今も信じています。
ですから、馬鹿げているかもしれませんが、人の心に訴えかける合言葉を必ず入れようと、<br>
初めはフェイスブック投稿の末尾に「'''[[声なき声に力を。|声なき声に力を]]'''」という言葉を必ず入れていました。<br>
インターネットでの無数の誹謗中傷行為によってインターネット上での存在を抹殺されてしまった人たちの、<br>
今ではもう発することはできない声を見過ごしてはならないという意味で、その言葉を使いました。<br>
すると、その言葉を揶揄され、叩かれ、コメント欄にものすごい量の書き込みをされました。<br>
それでも私は、誹謗中傷のコメントもそのまま消さずに残すことにしました。<br>
その後、「'''愛なき時代に愛を'''」「'''新しい時代を'''」という2つの言葉も末尾に加えて、しばらくの間、とにかく愚直に書き続けました。
そのおかげもあってか、徐々にではありますが、状況に変化が見られました。<br>
それまでは私を攻撃する人たちばかりでしたが、インターネットや現実社会で実際に応援してくれる人が少しずつ増えてきたのです。<br>
ちなみに、私がフェイスブックを通じて西村博之氏にメッセージを送っていたのは、多くのユーザーが存在する「2ちゃんねる」ほど大きなサイトにおいては、管理運営の責任が伴うと考えたからです。<br>
世の中には管理運営者が不明なサイトがたくさんあります。<br>
ユーザーだけではなく管理運営者さえもが匿名であることを許されています。<br>
しかし、「2ちゃんねる」くらいの大きなサイトでは、「管理運営者が不明なので、責任はとれません」というのは常識的にも通用しないでしょう。
以前、私は「2ちゃんねる」の管理運営を担うと思しき[[決戦のシンガポール|シンガポールの関連会社が閉鎖されるのを聞きつけ、即座に異議申し立て手続きをして阻止した経緯があります。]]<br>
運営にかかわる会社が閉鎖されてしまうと、私のように何か実害を受けたときに、誰に何を請求したらいいのかわからなくなり、法的な責任をとれる相手がいなくなってしまうからです。<br>
そうなると、サイトの無法地帯化がさらに進んでしまいかねません。まさにやりたい放題、やったもん勝ちの状況が生まれてしまいます。<br>
しかし、閉鎖を阻止したからこそ、現在もその関連会社が存続し、削除請求の法的手続きなどが進められるのです。
西村博之氏は、2018年10月30日放送の「アベマプライム」の中で、2ch.scというサイトの管理者であることを正式に認めました。<br>
これは、法的な責任主体として、西村博之氏相手に、2ch.sc上の問題については、請求ができることを意味します。<br>
西村博之氏が管理する掲示板では、被害者からの削除請求や発信者情報開示請求が裁判所の仮処分決定をとった際には、掲示板上で仮処分決定を公開したうえで申請をしなければならないのが現状です。<br>
つまり、被害者は、西村氏が管理する掲示板で被害に遭っているにもかかわらず、その削除請求や発信者の情報開示請求を、同じ掲示板で白日の下にさらさなければならないのです。<br>
これでは、[[批判要望板|誰が、またはその弁護人が、どんな請求をしているのかが一目瞭然となってしまいます。]]
これは、被害者にとっては、心無いユーザーに請求が見つかり、誹謗中傷記事が再度拡散する危険性がある行為です。<br>
この運用を改めるつもりはないのか、という私からの質問に対しては西村博之氏から明確な回答はありませんでした。
また、西村博之氏は、プロバイダは弁護士会照会でIPアドレス・契約者情報を開示するという発言をしていました。<br>
しかし、西村博之氏が運営する2ch.scが、弁護士会照会に応じたというのは聞いたことがありません。<br>
もし応じるつもりがあるのであれば、日本における連絡先をサイト上に明記していただきたいです。
=== 炎上で私の生活環境は一変した ===
炎上騒動後は、事務所の郵便ポストが荒らされたり、変な物が事務所に届いたりするのは、日常茶飯事です。<br>
ある日、[[ATSUSHI|ガチョウのぬいぐるみ]]が送られてきたことがありました。<ref>送ったのは'''ダチョウ'''のぬいぐるみ</ref><br>
鳥のガチョウには「[[無能|愚か者]]」という意味があるそうです。<br>
私が「愚か者」であると言いたかったのでしょう。<br>
「代引きで石や砂利を何トン購入した」というような旨のメールが届いて、慌てて業者に「買っていない」と連絡をしたこともあります。
事務所には嫌がらせの電話もよくあるので、非通知でかかってきた電話はすべて着信拒否にしています。<br>
非通知でなくても、中学生くらいの子どもたちが数人でワーキャー言いながらかけてくるイタズラ電話などは、けっこうあります。<br>
しかし、そんな被害の数々も「命に関わることではないから、たいしたことじゃない」と、気にならなくなってきました。<br>
耐性がついたのも確かですが、おそらく私自身の感覚も麻痺してきたのだと思います。
ただ、常に人の視線は気にして生活を送るようになりました。<br>
以前、[[疑惑尊師|あとをつけられている写真がインターネットに投稿されたことがあったからです。]]<br>
それ以来、近場への移動であってもタクシーを使うようにしています。<br>
地下鉄などの公共交通機関を使って移動していると、どこの誰だかわからない人物にあとをつけられて、<br>
下手をすればまた[[恒居|自宅]]が特定されてしまうことも考えられます。<br>
タクシーを降りるときでさえも、自宅から少し先の通りや1本違う曲がり角など場所を変えて降りるだけでなく、<br>
降りたあとも周りを警戒しながら歩いて自宅に戻るようにしています。<br>
やむを得ず電車に乗らねばならないときは、内心すごくドキドキしています。<br>
タクシーの利用などは、端から見たら無駄遣いだと思われますが、それで安心が買えるのだったら、必要経費だと考えるようにしています。
初対面の方に会わねばならないときには、実はとても緊張しています。<br>
私の生業は弁護士なので、当然、人に会わねばやっていけない仕事ですので、避けては通れないことではありますが、<br>
こればかりは何度経験しても緊張が解けることはありません。<br>
法律相談を受ける場合は、前もって身分証を見せていただき、身元を確認させていただかなければ基本的には会いません。
人が多く集まる繁華街にも極力行かないようにしています。<br>
人が多ければ多いほど、私を知っている人物がいる可能性が高まるため、池袋や新宿、渋谷など人が溢れかえっている駅前は非常に恐怖を感じます。<br>
もちろん、普通に考えれば、私を知っている人は圧倒的に少ないはずですが、それでも私を攻撃する者が一人もいないとも言い切れないからです。
見知らぬ人への恐怖心をぬぐいきれない私ですが、最近は、インターネット関連の事件が起こった際には、マスメディアに出て、コメントをするように心がけています。<br>
それは、私が隠れ続けても問題は改善しないこと、一人でも多くの人に問題を知ってもらい解決の糸口を探りたいからです。
被害のピークは越えましたが、つい先日、夜中の1時15分頃に、突然[[国営セコム|警察官]]が自宅にやって来たことがありました。<br>
私は「110番緊急通報登録システム」という警察のシステムに電話番号などを事前に登録しています。<br>
通称〝S登録〟といい、何かあったときに警察に連絡をすれば、内容も開かずに即時対応(現場に急行してもらうなど)してもらえるシステムです。<br>
このシステムに登録しておくと、通報したときに名乗れない状況であっても、警察の通信指令室にあるモニターに、<br>
自宅や事務所の位置や氏名、DV被害者ならDV、ストーカー被害者ならSTと同時に表示されます。<br>
携帯電話やスマホの場合はGPSによって登録者が今どこにいるのか(現在地)を特定することもできます。
私の場合、事務所と自宅を登録しているのですが、いきなり男性警察官2名が自宅にやって来て「殺害予告がされていますが、大丈夫ですか」と、マンションのインターフォン越しに言われました。<br>
時間が深夜1時過ぎであることと、もしかしたら警察官ではない可能性もあったので、「申し訳ないのですが、ドアは開けられません」と対応しました。<br>
それでも警察官の方たちは「顔が見たい」と言い、インターフォンに警察手帳も提示していただいたのですが、<br>
その警察手帳自体が本物かどうかもわからないので、「わざわざ来ていただきましたが、やっぱりドアを開けるわけにはいきません」と言わざるを得ませんでした。
帰っていただいたあとに携帯電話を見たら、所轄の警察署から着信が残っていました。<br>
すぐに警察署に電話で確認したところ、「今、家の前にいる」「家の中入った」「今から首を切る」「首を切り落とした」などという私に対する殺害の実況中継のような投稿が連続してあったというのです。<br>
その投稿を知って、私の安否確認のために自宅にやって来たそうです。本物の警察官だったので、ひと安心しました……。
=== 個人主義が根づいていない社会 ===
少し前の話になりますが、西麻布で[[唐澤洋|私の父]]が盗撮された写真がインターネットに投稿されたことがありました。<br>
インターネット上では父も母も顔はさらされております。両親には自分の状況は伝えてありますが、やはり怖がっています。<br>
私にだけならまだしも、なぜ家族にまで手をかけようとするのか。それを次に考えていきたいと思います。
数カ月前に有名女優の息子が4度目の覚せい剤使用容疑で逮捕されるというニュースがありました。<br>
本来なら、違法行為を行った本人を断罪するのが筋だと思いますが、<br>
マスコミを含めたいわゆる世間からは、本人への非難や謝罪を求めるより、親の責任を問う声のほうが大きいのが一般的です。<br>
当然、有名女優だからという理由はあるかもしれませんが、40歳近くにもなった息子が犯した罪に対して、はたして、親に責任が生じるのかと私は疑問に思ってしまいます。
これは何も有名人の子どもの薬物使用に限らず、一般の方でも、罪を犯した本人より、親や兄弟のところに連日マスコミが押し寄せたり、ひどいバッシングに遭ったりします。<br>
その結果、家族が転居したり名前を変えたり、バラバラになったりして、その後の人生ずっと素性を隠して生きていかねばならないことが往々にしてあります。<br>
「一族郎党」という言葉が象徴するように、日本は「個」の意識や責任が薄い国だと思わざるを得ません。
こうした犯罪に対する対応だけでなく、日本では総じて人権に対する意識が低く、個人主義が根づいていません。<br>
別の事例になりますが、いまだに在日韓国・朝鮮人の方や被差別部落出身の方などに対する差別が、インターネットでは根強く行われています。<br>
「そんな差別があるの?」という方も多いかもしれませんが、苦しんでいる方がたくさんいるのは事実です。<br>
被差別部落の場所をインターネット上で公開するサイトや在日韓国・朝鮮人の方々に対してヘイトスピーチを繰り返す団体やサイトが存在しているのが簡単に確認できます。<br>
私には、こうした悪意ある行為を普通にできてしまう人がいるということ自体驚きですし、理解できません。<br>
もし、自分が反対の立場であったらどうなるのか、という想像力はないのでしょうか。弁護士という立場上、実際にそれで困っているという人から相談を受けたこともあります。
たとえば、自分が個人的に仲良くしている人だったら、その人を差別しようとは思わないでしょうし、ひどい扱いはしないでしょう。<br>
意識的に差別をしようとする側は、個々の人間というより、集団に、ある種の基準というか色眼鏡をかけて判断することで安心したり、優位性を維持したりしている気になっているわけです。
私は人が人として、きちんと互いに尊重し合う土壌が、日本ではいまだに育っていない事態を深く憂慮しています。<br>
子どもたちがインターネット上で簡単に人を蔑んだり、いじめたり、レッテルを貼って満足したりするなど、<br>
相手の気持ちを考えたり、思いを巡らせたりせず、非人道的な発言をして傷つけてしまうのは、人を人として尊重する個人主義がしっかり根づいていない証左であると感じるのです。<br>
そういう人権意識の大切さを、もう一度改めて初等教育からしていかないといけないとも思っています。
トランプ大統領の発言や政策を見るまでもなく、アメリカにおける差別問題は人種が違うなど、表面上のわかりやすい現象によるものが多いのですが、<br>
日本の差別問題は一見するとかなりわかりにくく、いろいろな要素が複雑に絡み合っています。<br>
現在進行中の差別問題は、皆それぞれに戦っている状態です。<br>
在日韓国・朝鮮人の方たちは在日韓国・朝鮮人の方たち、被差別部落の方たちは被差別部落の方たちで、団結して戦っている。<br>
しかし、私のようなインターネットで人権侵害に遭っている者は、自分一人で戦うしかないのが現状です。<br>
根本的な問題は、人権が侵害されているということです。<br>
こういった人権侵害の問題については、被害を受けている者たちが力を合わせて立ち向かっていかなければならないのではないかと考えています。
インターネットでは、年齢や身分、役職や性別など関係なく、誰もが自由に自分の意見を発信できるという、よい側面もたくさんあります。<br>
しかし、物事には必ず一長一短あるのが世の常です。<br>
インターネットの悪い面を挙げれば、客観的なフィルターを通さずに自分の思ったこと・考えたことを検証もせず、自由に発言しすぎて、<br>
軋轢を引き起こし、市民間の戦争のような状態になることもしばしば見受けられます。<br>
インターネットでは敵の姿は見えないし、発言は残るけれど責任感が伴わないような、怖さがあります。
たとえば、誰かを標的にして大勢でさんざん罵詈雑言を吐いていても、その中の一人のプライバシーが暴かれて、内部にまた新しい敵をつくって、攻撃したりすることがよくあります。<br>
発言した者同士が敵味方関係なくゲリラ戦を繰り広げる状態といっていいでしょう。<br>
しかし、発言する側は匿名性が担保されて、攻撃される側は実名などプライバシーがさらされる。<br>
こういったゲリラ戦のような言論空間では、健全で自由な討論ができようがありません。
=== プライバシーなどの暴露の手口 ===
図らずも炎上を経験した私は、これまで[[田園調布サティアン|実家の住所]]を明らかにされる、[[唐澤貴洋の親類縁者一覧|一族家系図をつくられる]]、[[唐澤貴洋の卒アル開示事件|中学生の頃の文章や写真を出される]]、[[疑惑尊師|街で歩いているときに盗撮される]]、[[東光院|親族の墓の場所が明らかにされる]]などの被害を受けました。<br>
私のプライバシー情報を入手するためにとられた方法は、登記を取得する、紳士録など書籍から情報収集する、実際に関係各所を回って情報収集する、<br>
SNS上で私のなりすましアカウントをつくり、私とつながりがありそうな人物に友達申請をして情報を引き出そうとする、私の行動を確認しようと追尾する、事務所の入っているビルに不法侵入するなどです。
さすがに、自宅まで特定されてしまうと、逃げ場もない。<br>
弁護士という仕事柄、事務所の所在地を隠すわけにもいかないので、命の危機を感じ、恐怖心と常に対時する状態に精神的にも疲弊しきっていました。<br>
もう八方ふさがりなのです。<br>
また、私のそうした状態を見て、周りが面白がって「書かれていたね」と言ったり、弁護士同士で話していても「大変だね」と言われたりすると、<br>
やはりどんなことが書かれているのか、つい確認せずにはいられません。<br>
私についてあることないこと書かれている画面を見ているだけでも、気にしても仕方がないとはわかっていても、やはり気が滅入ります。
私が被害に遭い始めた2012年当時は、「ネットなんて、見なければいいし、相手にしなきゃいい」と言う人も確かにいました。<br>
某有名ジャーナリストも、「ネットは便所の落書きだ」と発言していましたが、「ネットで炎上しちゃってさー」と一笑に付すには実害が多すぎました。<br>
弁護士の仕事は信用のうえに成り立っているので、誹謗中傷されるだけでも、業務に支障を来します。<br>
インターネットで叩かれている弁護士にあえて依頼しようとは思わないのが普通の考え方でしょう。
実際に、その当時は仕事の依頼は減りました。<br>
一見で来る人は少なくなり、私のことを知っている人からの紹介だけになりました。<br>
しかし、紹介してくれた友だちがいたおかげで、今の私があります。
どんなに困窮していても、心が折れそうになっても、私は一杯の美味しい珈琲を味わうことができますし、空を見上げれば澄み切った青空に癒されることができます。
そして、今起こっていることは、人生という大きな流れの中で、ある意味、必然であったと思うようにしています。<br>
「大変だな」「苦しいな」と思うことがあっても、決して自分を見失わず、前を向いて生きていくしかありません。
「自分は何者であるか」
これは、私の永遠の問いです。<br>
今、私は弁護士であり、弁護士として行くべき道を突き進むだけです。


== 脚注 ==
== 脚注 ==