→弟殺しの歴史
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*1352年 - 足利'''[[唐澤貴洋|尊氏]]'''<ref>”尊氏”と検索すると”尊氏 なんj”と[[サジェスト汚染]]され唐澤貴洋の弟殺しネタととして使われいる。</ref>が弟・直義を殺害 | *1352年 - 足利'''[[唐澤貴洋|尊氏]]'''<ref>”尊氏”と検索すると”尊氏 なんj”と[[サジェスト汚染]]され唐澤貴洋の弟殺しネタととして使われいる。</ref>が弟・直義を殺害 | ||
*1389年 - バヤズィト1世が弟・ヤクブらを殺害<ref>その後、オスマン帝国では兄弟殺しが後継者争いを防ぐため仕方ない行為として慣行化し、16世紀にはこれが法制化されるにまで至っている。</ref> | *1389年 - バヤズィト1世が弟・ヤクブらを殺害<ref>その後、オスマン帝国では兄弟殺しが後継者争いを防ぐため仕方ない行為として慣行化し、16世紀にはこれが法制化されるにまで至っている。</ref> | ||
*1491年 - 父、足利政知の跡目を巡って足利茶々丸が弟・潤童子を殺害 | |||
*1497年 - チェーザレ・ボルジアが弟・フアンを殺害 | *1497年 - チェーザレ・ボルジアが弟・フアンを殺害 | ||
*1557年 - 織田信長が弟・信行を殺害<ref>手を下したのは配下の者とも、自害とも言われる。</ref> | *1557年 - 織田信長が弟・信行を殺害<ref>手を下したのは配下の者とも、自害とも言われる。</ref> |