→オウムの顧問弁護士として
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1984年、大阪市の「なにわ共同法律事務所<ref>[https://www.naniwakyodo.com/ 公式サイト]</ref>」に入所し、{{wpl|西淀川公害訴訟}}や{{wpl|スモン|スモン病集団訴訟}}などを手がけた。共産党員だったこともあるとのこと。 | 1984年、大阪市の「なにわ共同法律事務所<ref>[https://www.naniwakyodo.com/ 公式サイト]</ref>」に入所し、{{wpl|西淀川公害訴訟}}や{{wpl|スモン|スモン病集団訴訟}}などを手がけた。共産党員だったこともあるとのこと。 | ||
=== | === オウムの顧問弁護士として === | ||
[[ファイル:マイトレーヤとアパヤージャハ.jpeg|thumb|200px|right|上祐と一緒に会見する青山<ref>{{Archive|https://www.huffingtonpost.jp/2018/07/06/jyouyu-asahara_a_23475909/|https://archive.ph/4LUBZ|上祐史浩氏は語った。「平成の宗教が、平成の終わりとともに」 オウム真理教事件で7人死刑執行}} - ハフポスト</ref>]] | [[ファイル:マイトレーヤとアパヤージャハ.jpeg|thumb|200px|right|上祐と一緒に会見する青山<ref>{{Archive|https://www.huffingtonpost.jp/2018/07/06/jyouyu-asahara_a_23475909/|https://archive.ph/4LUBZ|上祐史浩氏は語った。「平成の宗教が、平成の終わりとともに」 オウム真理教事件で7人死刑執行}} - ハフポスト</ref>]] | ||
満員電車が原因で発症した腰痛を治すため、[[オウム真理教]]主催のヨガ道場に通いはじめ、[[麻原彰晃]]の著書も読むようになる。 | 満員電車が原因で発症した腰痛を治すため、[[オウム真理教]]主催のヨガ道場に通いはじめ、[[麻原彰晃]]の著書も読むようになる。 | ||
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その裏では、他の大半の幹部と同様に犯罪行為にも手を染めており、例として{{wpl|滝本太郎弁護士サリン襲撃事件|滝本太郎暗殺未遂事件}}には実行犯として[[参画]]しており、[[面白い愛の戦士|白い愛の戦士]]や{{wpl|島田裕巳宅爆弾事件|自作自演テロ}}の発案者であるともされる。また、逮捕された教団幹部らの弁護士として接見する際に「修行が足りない」等と脅して、自白を阻止しようとしていたと捜査側は主張している。 | その裏では、他の大半の幹部と同様に犯罪行為にも手を染めており、例として{{wpl|滝本太郎弁護士サリン襲撃事件|滝本太郎暗殺未遂事件}}には実行犯として[[参画]]しており、[[面白い愛の戦士|白い愛の戦士]]や{{wpl|島田裕巳宅爆弾事件|自作自演テロ}}の発案者であるともされる。また、逮捕された教団幹部らの弁護士として接見する際に「修行が足りない」等と脅して、自白を阻止しようとしていたと捜査側は主張している。 | ||
=== 逮捕とその後 === | |||
1995年[[1月4日]]、サリン製造疑惑を誤魔化すため、記者会見を開き「上九一色村([[サティアン]]付近)の肥料会社がサリンを製造して教団に毒ガス攻撃をしている」などという言説を唱え起訴するが、同年5月4日に肥料会社社長への名誉毀損罪で逮捕される。青山の弁護は{{wpl|遠藤誠 (弁護士)|遠藤誠}}が担当した。 | 1995年[[1月4日]]、サリン製造疑惑を誤魔化すため、記者会見を開き「上九一色村([[サティアン]]付近)の肥料会社がサリンを製造して教団に毒ガス攻撃をしている」などという言説を唱え起訴するが、同年5月4日に肥料会社社長への名誉毀損罪で逮捕される。青山の弁護は{{wpl|遠藤誠 (弁護士)|遠藤誠}}が担当した。 | ||
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滝 本 太 郎 先 生 | 滝 本 太 郎 先 生 | ||
その後控訴するが2002年1月31日刑が確定、同時に弁護士資格も剥奪された<ref>実際は刑法第34条「刑の執行を終えて十年を経過したときは刑の言渡しは、効力を失う」通り、理論上は2025年に法曹資格は回復できる。しかし、弁護士活動を行うためには弁護士会登録が必須であり、各弁護士会は登録を拒絶できる権限を持つため、弁護士としての活動は難しいと思われる。過去の例では、法曹資格を回復し10年後に弁護士登録しようとした{{wpl|鬼頭史郎}}も各弁護士会に拒絶されている</ref>。 | その後控訴するが2002年1月31日刑が確定、同時に弁護士資格も剥奪された<ref>実際は刑法第34条「刑の執行を終えて十年を経過したときは刑の言渡しは、効力を失う」通り、理論上は2025年に法曹資格は回復できる。しかし、弁護士活動を行うためには弁護士会登録が必須であり、各弁護士会は登録を拒絶できる権限を持つため、弁護士としての活動は難しいと思われる。過去の例では、法曹資格を回復し10年後に弁護士登録しようとした{{wpl|鬼頭史郎}}も各弁護士会に拒絶されている</ref>。 | ||
2009年に出所しており、現在は父親の遺産で暮らしているとの情報<ref>{{Archive|https://dricho.com/2018-08-25-2/|https://archive.ph/OOzhw|オウム真理教の青山吉伸弁護士の今現在は?オウム随一の強運の持ち主!}}、ただし個人ブログであるため信憑性に疑問はある</ref>や、本人のものと思われる{{archive|https://www.instagram.com/y_11_aoyama/|https://archive.ph/vsdxW|Instagramアカウント}}が確認されている。 | |||
== 恒心教との関係 == | == 恒心教との関係 == |