恒心文庫:洋の悩みは晩御飯

本文

太陽はもうその姿の大半を西に見える山の稜線の向こうへと隠し、窓の外は油絵の具をぐちゃぐちゃにかき混ぜたように
黒とも青とも赤とも言えない暴力的でそれでいて無気力な色彩に支配されていた。
とはいえ、その色彩も今この瞬間も刻一刻と変化し、次第に黒の色調を強めていった。
まだ太陽が赤く西の空にかかっていた時分にアスファルトを叩いたにわか雨はあの独特なにおいをもたらし、
その残り香がときどき吹く風によって運ばれる。
道をドタドタとゆく子どもたちは明日の集合日時を笑いながら話し合っている。
唐澤家の軒先にさびしくぶら下がった風鈴が、たまに思い出したように身をゆらし、自分のことを忘れないでくれとリンリンと声を上げる。
居間の蛍光灯は消されたままで、その部屋の光源は唯一、NHKの相撲を映し出すテレビのみであった。
洋はそれをただ見ていた。眺めていた。
妻が三ヶ月前に死に、それに合わせて会計士の仕事はやめた。
息子の貴洋と二人きりの生活である。
妻が死に、そして仕事をやめてから、洋の心の中には名状しがたい空白ができていた。
これを埋めるべく昔の友達と遊び、地域の集まりにも参加した。しかし満たされない。
遊んでいるときは確かに楽しいのだが、家に帰るとその瞬間、無性に悲しくなり涙が止まらぬのだ。
そればかりか、散歩をしようと近所を歩いているときでさえ、気づかぬうちに涙が流れていることさえあった。
医者に行けど、通り一辺倒なことしか言われず、シルバー人材センターにでも登録し生きがいを見つけなさいなどとアドバイスされるのみ。
駄目なのだ。満たされぬのだ。
彼が生み出した解決法は、あるがままにすることであった。
空虚であっても、それが自らの人生なのだから、と言い聞かせるのだ。
ぼーっとしているだけで一日が過ぎるようになり、なにも考えず、心配する必要がなくなり楽になった。
そして、今もそうやって一日を過ごしたところである。
洋ははっと、もう夜であることに気がつく。腹がぐうぐうとなっている。
最近は、食べることが唯一の楽しみとなっている。食べることで生きていることを実感できるからだ。
今日はどう調理しようかと台所へ向かい冷蔵庫を開ける。
息子と目が合う。
しかし、頭部は最後までとっておくことにしているので後回しだ。洋は好物はとっておくタイプなのだ。
そうしてしばらく考えた後、今日は左前腕を調理し食すことにした。
野菜を多く食べていた妻とは違い、息子貴洋は肉ばかり食べていたため、予想通り味は落ちた。
しかし、筋張った妻の肉とは違い、筋肉を味わうことができる点は好んでいた。
ふと、庫内を見渡す。
おそらく、あと一週間もあれば食べ尽くしてしまう。
洋はにやっと口元を歪めた。
次は、少年の肉でも食ってみるか。そうだ、いつも家の前を通る彼らの肉でいいだろう。
チリンと風鈴が一声鳴いた。

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