恒心文庫:小腹がすいた

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夜中にふと小腹が空いて、コンビニで買い物しようと外に出た。
遠くない場所にあるので、部屋着のままダウンをはおって出てきたが、流石に寒かった。
衣服越しにも感じる肌寒さ。
若干後悔するも食欲には勝てず、我慢しながら道を歩いていて、ふと気づいた。
この通り沿いは、古いアパートが多い。
壁はどれも色褪せ、中には崩れて草が茂っている廃墟もある。
この通り自体も電灯の間隔が広いこともあって薄暗く、どこか退廃した雰囲気が漂っている。
ただ、どのアパートも冬だからか、通りに面した全ての窓は閉め切られていた。
妙に細い風の音が続いていたが、隙間風であれば住人の方は気の毒だと思う。
寒さを紛らわす為にそんなことを考えていると、やがてコンビニに着いた。
明るい照明と軽薄なBGM。
どこかホッとするような空気に反面煩わしさを覚えながら、おでん数種と煎りピーナッツと缶チューハイを買い、外に出た。
コンビニの明るさに少し目が慣れたのか、先程よりも帰り道が暗く思える。
ふと、手に持った袋の中から立ち上った、温かな空気が手の甲を撫でた。
改めてダウンを胸元まで締め直し、家路を急ぐ。
軽薄な明るいBGMが、余韻とともに少しずつ遠ざかっていく。
それと入れ替わる様に、徐々に徐々に、あの細い風の音が聞こえ始める。
まるで調子外れた笛のような音である。
おでんのつゆをこぼさない様に注意しつつも、いつまでたっても消えないその音に、つい古いアパートが並ぶ方へ目を向けた。
アパートの窓はすべて開いており、巨大な顔がどの窓からも覗いていた。
団子のような鼻。
薄く弧を描く口元。
ふくよかな輪郭。
そもそも強い風は吹いていない。
つぶらな瞳が古いアパート越しに見ている。
不意に巨大な顔の幾つかが口をすぼめ、笛のような音と共に若干大きくなる。
何を吸っているのか。
また、崩れたアパートの陰には、更に一回りも二回りも大きな顔がいる。
両目だけ覗かせて、こちらを濡れた瞳で観察している。
あまりに悪趣味な光景に呆然としていると、ふと、手に痺れとも熱さともつかない違和感が走った。
それは緊張のあまりビニール袋を握りしめ、半ばおでん容器の側面を掴んでいたからであり、軽い熱傷の為であった。
ただその為に人心地がつき、痛みから反射的にビニール袋ごと廃墟に隠れている巨大な顔へ向けて投げつけた。
瞬間、辺りには怖気の走るような叫び声が轟いた。
突き立った頭髪を振り回す姿のあまりの気味悪さに居ても立っても居られず、その屠殺される豚みたいな声を背に家へ向けて走り出す。
まるでつんのめる様に走り、息が切れても足を動かし、もはや倒れこむ様にしてドアを開け鍵を閉める。
「アンノォ…」
暗い家で、あの顔が口をすぼめている。

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