恒心文庫:ボイド

本文

『ペルソナル・ナルラタイブ』。
近年若者の間で取引されているドラッグのことだ。このペルソナル・ナルラタイブには他の大麻やコカインなどの薬物はもとよりアルコールやタバコなどの中毒性のあるものの全てに無い独特な中毒性があるという。

それは更生施設に入れられている患者から聞いた話だ。
「私はペルソナル・ナルラタイブ等の薬物について研究している松戸真土、といいます。今日はこれについて君が知っていることを何でもいいから話してくれないかな?」
私は日々麻薬や覚せい剤について研究していたので更生施設や隔離病棟に何度も行き実際に使用した者達の話を聞いていた。が、私が訊いた患者はその誰とも似ついていなかった。普通それらの薬物を使用していた者達には外見に何かしらの特徴が現れるーー素人目だと何も気づかないが長年薬物と関わっている者が見たらハッキリわかるーー。
だが、ペルソナル・ナルラタイブを使用した患者には目の下にクマがあるだとか喉がただれているだとかの特徴が一つも無かった。禁欲に苦しんでいる様子も見られず誰がどう見ても一般男性である。
「はい、いいですよ。」
喋り方も紳士的だ。薬物に関わり捕まった者は下品な言葉遣いの者がほとんどだが、この患者が平静を装っているようには見えない。
「まず、ペルソナル・ナルラタイブとはどういった薬物で、使用するとどのような感覚に陥るんですか?」
ペルソナル・ナルラタイブはここ数年で開発され、爆発的に広まったため警察ですらその詳細を知らない。
「あれは僕が法政大学の入試に合格した時の出来事でした。僕の兄が合格祝いに、とある小包を手渡してきたんです。僕はそれをとても嬉しく思って自分の部屋で開けたんです。そしたらそれが入ってました。」
「薬物だ、って気づいたの?」
「いいえ、まったく。瓶に錠剤が入っていてラベルに『ペルソナル・ナルラタイブ』と書かれているだけでした。僕はそれをビタミン剤か何かかな、と思いました。受験勉強している時に兄が何度か栄養剤をくれたことがあったのでそのノリかと。」
彼の話が本当だったのなら警察は何をしているのだろうか。彼の兄が逮捕されたという報道はない。
「それで、どうしたの?」
「まず1錠飲みました。飲んだとたんに体から活力が溢れ出るのを感じました。でもその日は疲れていたのでそのまま眠りました。次の日から朝に1錠、夜に1錠ずつ飲みました。その頃から周りの人に注目されることが気持ちよくなってきました。ツイッターやLINEで自分の話を人にするようになりました。そのうちに注目されたくて悪いことをするようになりました。」
「その最たる行動が晴天騒動だね」
晴天騒動とは、梅雨の時期にも関わらず雲が一つも無かった珍しい日に起こった事件である。
ある青年がイスラム教の聖典クルアーンを燃やしムハンマドを罵倒する動画をインターネット上で公開したのだ。
世間やネットで世界中から批判が殺到し(1部肯定意見や推進する人々もいたが)青年の個人情報が開示された。その後青年の家に拳銃が送られる嫌がらせがおき警察が動いた。そしてその捜査中に青年が薬物を所持していたことが発覚し逮捕、現在更生施設に入れられている。
その青年こそが私の目の前にいる患者である。
「……、はい、そうです。今ではなぜあんなことをしてしまったのか理解できませんが……」
薬物により幻覚や幻聴がするというのはよくあるがここまで明確な行動をさせられる効果というのは前例がない。
また、性行為の時に使用することで快楽を増幅させる薬物はあるが、目立つことに快楽を感じるようになるだけでその薬物自体に快楽性や中毒性がないというものは初めてだ。
「松戸さん、私のような人が二度と出ないように頑張ってください。頼れるのは貴方だけなんです…」
「…、君のお兄さんについては、どう思うんだい?」
「………、兄はあれをいい薬だと思って買ってくれたんだとおもいます。兄は何も悪くありません。」
「…、わかった。薬物に若者が溺れないよう最善を尽くすよ。」
「おねがいします。」

彼は施設で数ヵ月後、中毒性アレルギーで死亡した。死ぬ前に自分の血で床に『~~殺す』と書いていたらしい。誰を殺すと書かれていたのかは読み取れなかったそうだが。
私は彼との約束を果たすため、若者の未来を奪う薬物への憎しみを忘れずに研究を続ける。

『オール・ザ・アダーズ・ガスト』。
ペルソナル・ナルラタイブ系統の薬物で、ペルソナル・ナルラタイブの効能に見られなかった他者への攻撃性が追加されているとても危険な薬物だ。
他の危険な薬物の場合、薬物の快楽効果が切れた後我慢出来ずに他者に対して攻撃的になるが、オール・ザ・アダーズ・ガストの場合効果中に他人に攻撃し自分への関心を得ることが快楽に繋がるため、その攻撃性は比ではない。
ある若者がその効果により通りすがりの会計士を包丁で刺し殺し、その死体の肛門で性行為を行うという猟奇殺人事件まで起こった。

ヘロインは薬物の王様と言われているが、結局はその使用者だけが被害をうけ(買うために盗みや強盗をする場合もあるが)、周りにはあまり影響はない。
だが、オール・ザ・アダーズ・ガストは他者への攻撃を糧とするため確実に使用者以外にも被害をもたらす。さらには使用者の意識は他の薬物のように失われることはなく、どうすれば他者を攻撃できるのか考えることが出来る。それらが重なることでより凶悪で狂気的な事件がおこってしまう。これはゾンビ映画のゾンビよりもタチが悪い。
ペルソナル・ナルラタイブ系統の薬物がどこでどうやって作られているのか、どのようなルートが直通なのか(ペルソナル・ナルラタイブ系統の薬物売買ルートはこれまでのものより一層複雑化されている)は未だに解明されていないため、オール・ザ・アダーズ・ガストの広まりも時間の問題と言われていてる。
快楽度でいえばヘロイン等には劣るが、使用者の大半はオール・ザ・アダーズ・ガストの攻撃性ともう一つの効果に目をつけている。
それこそが超越神力である。人間は通常肉体を維持するために筋肉を30%、脳を20%ほどしか使っていないと言われているが、オール・ザ・アダーズ・ガストを使用するとそれらを引き上げることが出来るのだ。例えば先ほど例に挙げた猟奇殺人事件では犯人が会計士の腕を素手で引きちぎったと報告されている。
筋力の解放には激痛が伴うがそれをカバーするのが薬物のもつ快楽性だ。
攻撃することで痛みが発生する、その痛みを薬物の快楽で補う、より快楽を欲しますます攻撃的になる
この悪循環が使用者を薬物の深淵から逃すまいとしている。
オール・ザ・アダーズ・ガストの使用者は主に快楽攻撃を好む者(日頃から誰かを虐めていたり、生き物を殺すことに快楽を覚える者)と、何らかの復讐をしたいと考えている者である(女性であっても男性に勝る力を超越神力によって得ることができる上、罪悪感や自制心を快楽でかき消すことが出来る)。

残念ながら猟奇殺人事件を起こした犯人は射殺されており話は聞けなかったが、使用者の1人であるいじめられっ子の少年に話を聞くことが出来た。
この少年を虐めていた男子を少年は素手で殺したのだ。ひ弱ないじめられっ子だった少年が、だ。
少年は自分の中に眠る力がヒーローのように覚醒したのだと自慢げに語っていたが悪で悪を滅したところで残るのは結局悪である。

インターネット上ではオール・ザ・アダーズ・ガストの使用者による殺害予告が流行っている。
「〇〇〇〇殺す」
という殺害予告を掲示板で行い、後日本当に殺害するというものだ。これまで何十件かの事件が殺害予告後に発生している。殺害予告されているのだから未然に防げないのかと警察は世間から強い風当たりを受けているが難しいだろう。

オール・ザ・アダーズ・ガストの使用者ではないがおもしろ半分で若者が真似をして無差別に殺害予告をするというゲームのようなものが流行っている。これも警察がしっかり動けない原因のうちの一つだろう。

政府はペルソナル・ナルラタイブ系統の薬物を超危険薬物に指定すると同時にインターネット上での殺害予告者を一斉逮捕すると発表したが未だに薬物のルートが掴めていない・殺害予告が本当かどうか見極められていないらしい。愚かな若者で検挙率を上げたところで治安は良くならない。
やはり私が研究をしっかり進めることが一番の解決策であろう。

『ディスクロスリー』。
私が開発した薬だ。
警察が捜査で押収したペルソナル・ナルラタイブを私に研究資料として提供してくれたのだ。私はその成分を分析し見事抗生物質を作り出すことに成功した。
ディスクロスリーをペルソナル・ナルラタイブ系統の薬物の使用者に服用させることでそれらのもつ行動的快楽欲求を鎮めることができる。比較的依存性の低いペルソナル・ナルラタイブ系統の薬物なら二~三ヶ月で我慢できるようになるだろう。

だが、それは来てしまった。
私は公的な研究所でチームで研究していたが、完成した次の日にチームのメンバーじゃない研究服を着た男がこの研究所に乗り込んできたのだ。恐らくはオール・ザ・アダーズ・ガストを使用しているのだろう、仲間の研究員が素手で次々に殺されてしまった。
私はこうして命からがらあの黒モミから試作品と共に逃げてきたがいずれ殺されるだろう。なのでこの掲示板にメモと試作品の在処を示し遺すとする。

松戸真土

p.s. 未来ある若者達へ
人間の三大欲求である快楽、それを容易に得られる薬物に手を染めてはいけない。それは全てを破壊しつくすだろう。

本当は薬物などではない、ただのビタミン剤だ。
これは醤油ラーメンだよ、と言ってから味噌ラーメンを食べさせると相手は醤油ラーメンだと思い込み、実際に醤油の味を舌で再現する。
私がしたのはただの暗示である。
皆が本当はしたいこと、その欲望を解放させる口実を与えただけだ。そこに快楽が生じるのは普段できないことをやっている、やってはいけないことをやっているという感情からだろう。超越神力も思い込みによって脳からアドレナリンが過剰分泌されたに過ぎない。
皆やりたい事ができる。現実というものはかくも素晴らしい無法地帯ではないか。

こんな現実から逃れられる天国への階段があるのなら昇りたいものだ。幻覚を見ているのは私なのかもしれない。

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