恒心文庫:とある山形のラーメン通ブログ

本文

暴行に加え、熱湯を浴びて大やけどを負った鈴木文刀は病院で入院することになった。
病院では看護師が自分の看病をしてくれる。
それが看護師の仕事なので当たり前ではあるのだが、鈴木文刀は人に優しくしてもらうこと自体久しかったので不意にまた泣きそうになる。
かつて自分を女湯の脱衣所侵入で逮捕した警察も自分の情けない姿を見て同情してくれていた。
警察には恨みがあるし店員は嫌いでもケーキ屋は好きだったので捜査にあまり協力する気はなかった。
謝礼金目当てで最終的には捜査に協力することにはなったのだが、鈴木文刀は「警察ってこんなにコロコロと態度を変えるのか」、
と、自分を捕まえた警官とは別人物ではあるのだが、鈴木文刀は警察というものを一層不審に思うようになった。
看護師にしろ警察にしろ仕事を全うしているだけに過ぎないことは鈴木文刀ももちろん分かっている。
でも鈴木文刀に対して冷たく、鋭く、そして憐れんだ目線を向けてこないだけ、マシとも思うようになっていた。

入院生活を始めてから数日経過した頃、鈴木文刀の中では大きな変化が起こっている。
第三者に優しくしてもらえたからなのか、それとも季節が冬で寒かったからなのか、あるいも熱湯を浴びたあの瞬間に何か潜在的なものが目覚めたからなのか。
鈴木文刀は理由こそ分からなかったが、熱々の麺類を好んで食べるようになっていた。
今まで甘い物を好んで食べる食性から熱々の麺類を好むよう、気付いた頃にはなっていたのである。
病院食も気を遣って麺類を多めにしてもらっているのだが、病室をこっそり抜け出して食べるカップヌードルが堪らなく美味しい。
鈴木文刀の引きニート生活の時にもお世話になっているカップヌードルの味が全く違うもののように感じるようになっていたのである。
鈴木文刀は入院生活の中で暇さえあれば病室を抜け出し、売店で売っているカップヌードルをあっという間に網羅した。
特に好きだったのは他のカップラーメンに比べ、少し高値の付いている人気店の再現ラーメン。
入院生活も終わりに近づく頃には退院後には全国各地のラーメン店を巡る旅をしたいと思うようになっていた。

病室に抜け出しては連れ戻され、連れ戻されては抜けだしカップヌードルを嗜む生活も終わりを告げ、鈴木文刀は自由の身となった。
当然ながら手に職など何一つない。
一日中パソコンかスマホを見ながら酒を喉に入れ、たまに求人サイトの問合せフォームに氏名住所を入力するか汚い机で履歴書を書く日々を再び送り始める。
ケーキ屋でバイトを始める前と変わったのが主食がカップヌードルになったということである。
何回応募したって自分の逮捕歴のせいで書類審査の段階で落とされ、その度に落ち込む。
退院したらもう自分に優しい視線を向けてくれる人など誰もいやしない。
現実は実に非情だ。
ここ数年の中でまだ楽しかったケーキ屋のバイトや入院生活を懐古すると、鈴木文刀はどうも自分の女湯の脱衣所侵入を思い出してしまう。
楽しかったことを思い出すと自分の犯した犯罪が脳裏に過ってしまうのである。
ところがカップヌードルを食べているときはそうでもなかった。
食べる時間だけ、鈴木文刀は食べることだけに集中できるのである。
一見当たり前のことのようにも思えるが、鈴木文刀にとって女湯の脱衣所に侵入し逮捕されたことを思い出さずに済むことは革新と言っても過言ではないのである。
カップヌードルを無心で頬張ることは鈴木文刀の唯一の幸せとなりつつあった。
ケーキ屋でバイトしていた頃に稼いだ金を切り崩して生活していると、いつか底を突いてしまう。
鈴木文刀には何でもいいので収入源が必要なのである。
その度に鈴木文刀の過去の犯罪歴が邪魔をする。
こんな惨めな鈴木文刀にもできて金も稼げること、そんなものは果たしてあるのだろうか?
考えても答えなど出るはずがない。
それでも足りない頭で考え続ける。
特にいい考えも浮かばないと、すぐに食事の時間がやって来てしまうのである。

いつのことだろうか、鈴木文刀の頭にふとパソコンのエクセルのデータが思い浮かんだ。
そのエクセルのデータには今まで食べたラーメンの一覧表が載っている(というよりかは自分で作っている)。
ただ単に表にしたわけではなく、4段階でランク付けした上で一覧表にしている。
表を付け出したのは自分が退院してすぐからである。
気付けば春の暖かさが訪れている季節、エクセルの表はかなりのデータ量となっていた。
ここでこんな疑問を持つかもしれない。
「なぜ4段階なのか」、と。
段階は1,2,4,5と分かれており、1はかなり悪い、2は悪い、4は良い、5はかなり良いである。
3には良くも悪くもなく「普通」を入れるのが一般的だと思われる。
自分は敢えて3の普通評価を絶対付けないよう、3を廃した。
人間はなぜか譲歩して曖昧な評価を付けたがるからである。
本当は自分は普通を奪われた存在であるから普通というものに嫌悪感があるのだか。
自分のまとめたエクセルの一覧表を元にブログを作成した。
その名も「とある山形のラーメン通ブログ」。
多くの人に見てもらいたいので本名も探しつらい場所に書いておく。
当然だが過去の自分の犯罪歴など、都合の悪い出来事は一切書かない。
ブログを見ている人からすれば山形大学の博士課程修了の人間を鈴木文刀だと認識する。
本名をさりげなく掲載したのもサジェスト汚染を浄化するためという目的もあった。
結果として、両方の目的は鈴木文刀の納得のできるくらいには達成していた。
同じ山形県のラーメン通を中心に鈴木文刀のブログは話題となった。
評価3を廃した良いか悪いかを白黒はっきり付けたブログには賞賛のコメントも集まっていた。
山形のラーメン通ではない人間もブログを見てくれるようになり、山形のラーメン通を経由して他県の通も鈴木文刀のブログを見てくれた。
ブログ収入はケーキ屋でバイトしていた頃よりも良かった。
そのお金でラーメン屋を巡ることができ、新たなラーメンに巡り会ってはエクセルの一覧表に付け足し、それをブログに掲載する。
サジェストも自分の名前で検索するとブログが一番上に表示されるようになった。
履歴書を出すと書類審査が通るようになっていた。
過去の犯罪歴の表示が下になるようになったからである。
結果、鈴木文刀は新たな職場にも恵まれ、平日は仕事、休日にラーメン屋訪問とブログ更新に勤しむようになった。
今までの堕落した日々とはおさらばだ。
鈴木文刀はいつしか過去の犯罪歴から解き放たれたかのようにさえ思えるようになっていた。

平日も休日も充実した生活が続く中、鈴木文刀は同じラーメン通の女性と巡り会った。
相手の女性は鈴木文刀のことを山形大学の博士課程修了の知的な男性だと思い込んでいるようだった。
鈴木文刀もいい気になり、この人とならうまくやっていける、自分の醜い過去など打ち明ける必要性など考えるに何もないと思った。
女湯の脱衣所侵入さえ抹消できればエリートコースの男性だから、結婚を認めてもらうのは容易いこと。
鈴木文刀は両親にも自分の過去の犯罪歴のことを相手側家族に言わないでと伝言し、了承をもらうことに成功した。
相手の女性もなぜ博士課程を卒業したのにバイトなんかやっているのかと言われそうになったが、博士卒は就職難なんですよとか適当なことを言っておけば案外納得してくれる。
鈴木文刀はその女性と籍を入れ、結婚をきっかけにバイトを辞め、妻の家業に従事することにした。
平日は家業、休日は一緒にラーメン屋に行くという新しい生活が始まった。
それは過去の犯罪歴を隠すことに成功した明るい未来とも言い換えられる鈴木文刀の理想そのもの。
鈴木文刀は過去の犯罪のことなど随分前に記憶から葬り去っていたのだった。

結婚生活も長く続くと問題が起こるというのはよく聞く話だ。
夫婦仲の決裂やもっと酷いものなら離婚トラブルなどである。
幸い鈴木文刀夫婦の仲は良いため、今の所関係性が悪化する兆しは見えない。
それどころか妻のお腹には新たな生命が産声をあげようとしていた。
ただ、鈴木文刀には今まで順調に隠してきた心残りがあり、出産が目前に近づくある日、鈴木文刀は突如大きな罪悪感に襲われた。
それは2012年4月15日、女湯の脱衣所に侵入し、利用者の女性と目が合って大きな悲鳴が耳目を貫いたあの瞬間に感じたアレと似ていた。
自分はお腹の中の子供のパパになるんだ。
お腹の子供のパパは犯罪者なんだ。
それが原因で辛い人生を送ることになったらかわいそうだ、それだけは何としても避けなければ…。
鈴木文刀は数年前まで過去の犯罪歴に苦しめられ、ようやく地獄界から輪廻転生して新たな世界に生まれ変わったのに…。
鈴木文刀がいかに充実した生活を送ろうとも、ただ忘れていただけで過去の犯罪歴を消すことはできていなかったのである。
お腹の中の子供が生まれると育児が忙しくなり、過去の犯罪歴を葬り去ってくれる心のゆとりのラーメンを食べる機会が減っていく。
鈴木文刀も育児を手伝い、妻と共に今までとは違う赤ちゃんと共に生活を始めるのだが、過去の犯罪歴がフラッシュバックするようになっていた。
鈴木文刀にとって過去の犯罪歴がストレスとなり、本業にも支障が出る。
そんな中で鈴木文刀はこんなことを思うようになった。
「育児に余裕ができたら犯罪歴を消そう」と。
子供が保育園に行くようになった頃、鈴木文刀は大きな決断をする。
自分の犯罪歴を残しているTwitter社にそのツイートの削除を申し立てた。
しかしTwitter社は自分の満足する対応をしてくれない。
鈴木文刀は弁護士を雇いTwitter社を相手に裁判を始めた。
その時の鈴木文刀はそれが地獄の始まりと知る由もなく。

タイトルについて

この作品は公開された際タイトルがありませんでした。このタイトルは便宜上付けたものです。

リンク