唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/上祐史浩

チラシの裏/上祐史浩
ひかりの輪 チラシの裏/上祐史浩
基本資料
本名 上祐史浩
別名・渾名 マイトレーヤ、ああ言えば上祐
一人称
生年月日・年齢 61歳、1962年12月17日生まれ
性別 男性
住所 東京都世田谷区南烏山
メールアドレス joyu@hikarinowa.net
出生地 福岡県wp三潴郡城島町(現・久留米市
身体情報 B型
才能 審議中
特定経緯 セルフ開示
騒動との関連 オウム真理教の元幹部
職業 オウム派生団体代表
所属 ひかりの輪
出身高校 早稲田大学高等学院
最終学歴 早稲田大学大学院理工学研究科
趣味 ヨガ、英会話、ディベート、聖地巡り
好きなもの 虹、哲学、英語、温泉
嫌いなもの Aleph、宗教を盲信すること、自身に対する批判勢力
関係者

上祐史浩(じょうゆう ふみひろ、Joyu Fumihiro)は、オウム真理教の元幹部として知られる人物である。

ホーリーネームは「マイトレーヤ[1]。教団での階級は正大師であり、省庁制における「外務省大臣」[2]モスクワ支部の支部長を務めた。

教団のスポークスマンとしての活動が有名であり、その饒舌さから付けられた「ああ言えば上祐」の異名でも知られる。現在はオウム後継団体のAleph代表を経た後、同派生団体「ひかりの輪」の代表を務める。

概要

恒心教の派生元とされるカルト教団、オウム真理教の最高幹部の1人。また、その前身に当たる「オウム神仙の会」から参画している古参信者でもある。

スポークスマンとして頻繁にメディア出演をしたことでその知名度を確固たるものとし、今日においてもYouTubeを中心とするメディアに度々顔を出している。

以上のことから今日では、オウム時代の生き証人の様に扱われることが多い反面、「ひかりの輪」を含む言動・立ち位置から根強く批判視されている存在でもある。さらに、後述する経歴からも分かる通り、彼もまた村井秀夫青山吉伸の様な「オウムで人生を棒に振ったエリート」と言える。

経歴

1962年12月17日、福岡県三潴郡城島町(現・久留米市)に産まれる。4歳まで福岡で生活し、父親の転勤を理由に上京。小学3年生の頃に父親が浮気で別居し、以降は母親[3]と2人で生活する。

小学生時代から学業成績は良かったと語り、実際に早稲田大学高等学院へ入学し、同大学理工学部電子通信科を経て、最終的に同大学理工学研究科修士課程を修めた高学歴でもある[4]

貿易商の父親の影響で英語に関心を持ち、大学時代は英語会のサークル活動に熱を入れ、そこでディベートも学んだ[5][6]

また、幼少期にアポロの月面着陸を見た影響(所謂「アポロ世代」)で宇宙に対しても憧れを抱き、修士課程修了後の1987年には学長推薦で宇宙開発事業団(現・JAXA)に就職した。

注釈

  1. 由来はマイトレーヤ(弥勒菩薩、梵: མཻ་ཏྲེ་ཡ། Maitreya、巴: මෙත්තෙය්‍ය Metteyya、蔵: བྱམས་པ།)。現在唯一の仏陀である釈迦の次、56億7千万年後に仏陀となるべき未来仏
  2. 教団外交渉の責任者。なお、メディアでは「外報部長」とも呼ばれた他、1995年には「緊急対策本部長」にも就任
  3. なお、母親の誕生日は麻原彰晃と同じ3月2日である
  4. 高校から大学院における2個下の後輩には、後にオウム死刑囚としてポアされる広瀬健一がいる
  5. 同サークルでの活動の結果として、後に「オウムに強いカウンセラー」として名を馳せる苫米地英人と面識があった他、元恋人の都沢和子とも同サークル内で出会った
  6. このサークル活動が、後に「ああ言えば上祐」として名を馳せる程の弁論術に繋がったと言えるかもしれないと、本人は語る