唐澤貴洋掲示板 (3代目)

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3代目唐澤貴洋掲示板(からさわたかひろけいじばん、2013年3月11日-2013年7月2日 )とは、三代目の唐澤貴洋掲示板である。管理人のあだ名(ハゲ)から「ハゲケー」とも呼ばれる。

概要

2013年3月、利用者のIP開示をほのめかした2代目カラケー管理人が教徒から大バッシングを受ける中、新たな管理人が名乗りを上げ開設したのが3代目唐澤貴洋掲示板[1]であり、ここで雑談スレを中心とする現在のカラケーの流れが確立された[2]。2chでは同年4月からチンフェの住所(ちばけんま)に対する規制が乱発され、VIPの運営凸によって大規模な花園規制が発動されたことで、巻き込まれた多くの恒心教徒がここに避難、結果として全盛期には閲覧数が100人を超える大規模掲示板になった。

この頃は中学卒アル開示や1A開示などのイベントがあったが尊師本人の動きは殆ど無く(一回開示請求したが)燃料も少なかったこともあってか、様々な創作路線が確立、また管理人がコラ画像製作に強かった為かTOP絵製作路線が活性し100枚以上のコラ画像が作られた模様。

大規模な荒らしは無かったがそれでも荒らしなどが多く、いちいち単発IPで規制してもキリが無いため携帯端末のIPは全面規制、その代わりキャップ(束京地方載判所平成25年(E)弟****号)を発行して書き込めるようにした(それでもトラブルはあったが)。

3代目管理人がハゲ呼ばわりされたきっかけは、管理人による手動圧縮が遅れたことで[3]利用者が雑談スレを立てられないというトラブルが発生し、代わりに管理人自身が雑談スレを立てた際に「管理人 無能 ハゲ」という自虐風の単語をスレタイに織り込んでいたため。また、開設当初の管理人はナリ口調であったが、一部の利用者から批判を受けたため、途中から一般的な敬語を使うようになった。

この掲示板からIDが付く。

飴戦争

同年6月、とある外部サイトを舞台にした飴戦争が勃発し、雑談スレの勢いが10000レス/日を超える驚異的な盛り上がりを見せた。しかし、過激な特定路線に危険を感じた管理人がカラケーの一時閉鎖を断行し、多数の利用者が避難生活を強いられた[4]。その後、飴に関する話題は禁止という条件で復活するが、掟を破って飴ネタを晒す利用者が現れたため、ふたたび一時閉鎖される事態となった(しばらくして復活)。

閉鎖

管理人は様々な面で有能だったこともあり、かなり神格化されたが、7月1日に尊師が虎ノ門に移った矢先に突然閉鎖。ツイッターにて「某弁護士からメールが来たので閉鎖します」と声明を出したが、メール内容を開示しないなど不透明な点がある。閉鎖直前にカラケー内で管理人を特定しようとする動きがあり、それを恐れて逃げたという説もあり、本当の閉鎖理由については現在でも議論がなされている。

外部リンク

3代目唐澤貴洋掲示板ログ保管庫
3代目カラケーログ

脚注

  1. 初期の名前は「新・唐澤貴洋掲示板」。
  2. 2代目以前はネタスレが中心で、尊師関係の雑談はなんJでやるのが一般的だった。
  3. したらば掲示板に自動圧縮の機能はない。
  4. このとき最大の避難所として機能したのが長谷川亮太掲示板である。


唐澤貴洋掲示板の関連項目
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