恒心文庫:空の歌を聴け

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本文

 あれから何年過ぎたのだろうか。
いや、何年経ったとか考えること自体に意味があるとは思えないし、事実君もそう思っているかもしれない。

 年の瀬の喧噪も去り、再び静かな陽が窓に差し込む中、引っ越しの準備をしていた僕は「ニュー・シネマ・パラダイス」のビデオテープを見つけた。正確にはビデオテープが僕を見つけたから、それに気がついたのだった。
 おもむろに中を取り出して古いビデオ・デッキに手を伸ばし、スプリングスティーンのライヴ・ビデオと入れ替わりにニュー・シネマ・パラダイスを入れ、テレビの電源を押してそっとソファに腰掛けた。
 いつも"映画"は僕にない世界を見せてくれた。少なくとも僕にはそう思えた。

ーー「強くなりたい。」

それは単に僕が強さとか抵抗とかそういった一種の弱さに惹かれていただけなのかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。ただ、いつまでも確信が持てなかったのは事実だった。
脆弱で傲慢、あるいは屈強で謙虚な少年の頃を思い出し、映画の終幕〈エピローグ〉の余韻ともに、感傷に近い、しかしそうとは呼べない何かに浸っていた。

 僕の人生、もしくは人性と呼ぶべきものには何かが欠けているようだった。言うなれば、忘れないようにノート・ブックの隅に書き留めておいたはずなのに、その肝心なものを置き去りにしているようだった。

「ーーもし弟が僕を見ていたら、弟は僕を祝福してくれているだろうか。」

僕は僕に問いかけた。しかしそれはある種の問いかけの条件を満たしているとは思えないし、結局その問いかけは無かったに等しかった。


 突如として、こんな僕に現実を突きつけるかのようにドア・ベルが鳴った。時計を見ればかなりの時間が過ぎていた。どうやら引っ越しの業者が来たようだった。

「やれやれ。」

僕は陰鬱な気分をその一言で振り払い(実際には振り払うことなどできなかった。)、業者とともに残りの荷物をまとめてその場所を後にした。

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