恒心文庫:正体

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本文

講演会の後、一度事務所へ報告に戻る予定だったが裕明は「どこかで休みたい」と言った。大した要件もないし、連絡は電話で済ませ二人でホテルに入った。
しかし裕明は、全くそのままの意味で「どこかで休みたかった」らしい。残念だ。
ソファに腰掛けて煙草に火を点けた。スマホを取り出し適当にいじっていると、裕明は起き上がって「薬」と呟いた。
「ん? なに?」
鞄の中にピルケース入ってるから取ってもらっていいか、と彼は言う。
「やっぱ体調悪いんだな。寝てていいよ。この時間ならどうせ朝までいても同じだから」
頷く彼は、ケースの中にぎっしり詰まった錠剤を、一種類ずつ丁寧に取り出して水で流しこんだ。
裕明は元々細かったが、近頃は前にも増して痩せた。俺は彼が最近なにかを口にしているところを見たことがない。
講演中もなんだか上の空で、多分まともに眠ってすらいないんだと思う。
「こんなに堪えるとは思わなかったよ」
「例の集団ストーカー? ひどいよな」
「うん。盗撮されるし、殺すとか死ねとか言われて、それから、なんだかいやらしいことも書かれて、毎日毎日毎日……」
裕明は毛布を被り「手を握ってくれる?」とくぐもった声で言った。ベッドに座り、彼と手を繋ぐ。
「僕、きみがいてくれて良かったよ。でも、きみも気をつけてね」
それきり裕明は何も話さなかった。眠ってしまったらしい。
俺はまたスマホを取り出して、黄色いアイコンのアプリを起動した。
閲覧履歴をロードし、新着レスを確認する。掲示板では、デブと裕明に対する大量の殺害予告と誹謗中傷が今日も行われていた。
「明日の3:34に山岡裕明犯す。それから通勤電車の中で痴漢して事務所でまたレイプする」
俺は書き込みボタンを押し、みんなもっと裕明に嫌がらせしてくれないかな、と考えていた。

タイトルについて

この作品は公開された際タイトルがありませんでした。このタイトルは便宜上付けたものです。

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