恒心文庫:十日間の神さま

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本文


十日間の神さま


  カチ、カチ、カチ。
ここはいったいどこだ? 時計の音で目を覚ました僕がいたのは、自分の部屋ではなかった。数十秒前までの僕は、長くて、悪い夢を見ていた。眠っていたというより、気絶していたと言った方が正確だろう。胃がむかむかするうえに全身の関節がひどく痛む。眼球だけ動かして部屋を見回した。灰色の壁、床に敷かれたマットレス(僕はここに、手錠をかけられて横たわっているようだ)、小さなテーブル、パイプ椅子。むき出しのトイレとバスタブ。頑丈そうな扉。窓がなく、いまが昼なのか夜なのかわからない。時計は無かった。エアコンの音がやけに大きく耳に響く。
 僕は犯罪に巻き込まれたのかもしれない。扉はあるのだから早く逃げた方がいいだろう。だが、犯人が凶器を持っていたら僕に勝ち目はあるのだろうか? 第一、どうやって連れて来たんだ? おとなしく従っていた方がいいのでは……? もやのかかった頭で自分の置かれた状況を整理しても余計に混乱するばかりだった。ギッ、と硬い音を立てて扉が開いた。
「おはよう山岡くん」
「からさん?」
 からさんは目を爛々と輝かせ、僕の目の前に立った。
「なんですか、これ……外してください!」
手錠のかけられた手首を彼の目の前に差し出す。しかし、彼は外すどころか、再教育ですよ、と理解の及ばないことを言い僕に首輪まで嵌めた。まるで犬だ。屈辱のあまり言葉を失い、自分の首に嵌ったものを確かめるように触ってしまう。
「覚えていないかもしれませんが、きみはとんでもないことをしたのですよ。よって再教育が必要と判断しました」
「とんでもないことって……」
「質問と私の許可を得ない行動、それから自殺は禁止します。しっかり罪を認識しなさい。」
「罪って……?」
思い切り脇腹を蹴られ、僕は床に転がった。ぐりぐり頭を踏まれる。
「質問は禁止と言ったでしょう。きみの脳はなんのためにあるのですか。自分で考え、答えを見つけなさい」
ごめんなさい、と答えるしかない理不尽な暴力に更に混乱した。馬乗りになったからさんに殴打を繰り返され、口の中が鉄の味で満たされる。僕が何をしたというんだ?
「残念ですがあなたの人権はもうありません」
 からさんは僕の頭をつかんで起き上がらせた。自分のベルトに手をかけ、露出したあれを僕の口に押し込む。それはすでに完全に勃起していて、喉の奥のほうまで達した。息ができない。ふぅふぅ呼吸しながらからさんは僕の頭を掴み激しくゆすった。
「んんっ、はふ、んんん」
「いいですよ山岡くん、とても気持ちがいいです」
唾液がこぼれて伝い落ちる。喉の奥に加えられる刺激はあまりにも苦しくて頭がくらくらしてきた。こんなふうにされたのは初めてだ。からさんはいつも優しくて、僕にフェラチオを強要したりしない。いったい、僕の何が気に食わなかったんだ? 早く終わってくれ、と願いながら嘔吐感に耐える。涙が浮かんできた頃、からさんは手を離して僕を突き飛ばした。マットレスの上に再び倒れこんだ。深く呼吸する暇もないまま、からさんは僕の股間を踏んだ。叫びは声にならない。
スラックスの上からぎゅうぎゅうと足で圧迫しながら、からさんは「おや」と愉快そうな声を出した。
「立ってきていますね」
 馬鹿な。
「ほ、本当にやめてください、どうしちゃったんですか……ひぐっ!」
「きみは自分がマゾヒストであることも知らなかったのですか」
思い切り体重をかけられまた息が止まる。
「いた、痛っ、やめてくださっ……」
 やめてやめてといいながら、頭が恍惚としてきたのがわかる。痛みが全て快楽に変えられていく。
 どこから取り出したのか、彼はハサミで僕の服を切り裂いた。思いきり足を開かされる。少しも解されていない肛門にいきなり挿入され僕は絶叫した。
「あっああっ! ふぅっ、ううっ……」
 からさんは思い切り腰を引き、思いきり突き上げた。ぎゅうう、と中に押し付けるようにして体重をかけられる。僕の身体はびくびく痙攣した。からさんは僕がどこに反応するのか全部知っている。
「だめになっちゃいます、ひゃめてくらさいぃ……」
「やれやれ、もうすっかり性処理便器ですね。さあ、しっかり孕みなさい」
 声が遠い。注ぎ込まれる生ぬるい感覚。
僕は意識を手放した。

ゾッとする声色で「起きなさい」と声をかけられ僕は意識を取り戻した。眠っている間にやったのか、例のむき出しの便器の上で、M字に脚を開いた状態で緊縛されている。ぎちぎちに縛られているせいで呼吸がしづらい。両腕は身体の後ろで固められていた。
「おなかはすいていますか?」
「……いえ」
 不条理な状況に置かれ食欲なんて湧くはずもない。
「なら好都合です。今日はきみをきれいにしますからね」
 からさんは見覚えのある器具を取り出した。その中には白い液体が入っている。
「牛乳です。少しあっためておきました」
僕がこれからどうなるのかは想像するまでもない。浣腸器を充てがわれ生ぬるい牛乳が肛門に入っていく。じわじわと気味の悪い感覚がやってきた。いやですやめてくださいと僕は叫んだが、からさんは微笑を崩さない。
出しては入れられ、出しては入れられ、それを彼に余さず見られているというのはこれ以上ない恥辱だった。いっそのこと狂ってしまいたい。
水分がどんどん失われていく身体は異様に火照り、肛門はひりついて痛い。何も出なくなると今度はバスタブに沈められた。何度も何度も。タオルで軽く体を拭かれたあと、疼痛のする肛門におもちゃをいくつも差し込まれた。苦しくてたまらない筈なのに僕は何度も絶頂した。
体力が完全に奪われ動けなくなった頃、からさんは僕の縄を解いて、代わりに手錠をかけた。そしてスポーツドリンクのペットボトルを僕の横に転がし部屋を出て行った。痺れた身体を懸命に動かし、それをあっという間に胃に流し込む。痛いだけになってもおもちゃは震え続け、僕は絶望的な気持ちになり死ぬことについて考えた。
からさんはそれを敏感に察知したのか、次に部屋にやってきたとき僕にボールギャグをつけた。それに合わせてグロテスクなディルドのついた貞操帯の着用を強要され、強すぎる快楽を得ているにも関わらず射精ができない。気まぐれに股間を蹴り上げられ、内臓がせりあがる気持ち悪さと激痛に、唾液と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、僕は少しずつ狂っていった。

それにしても、この部屋のせいだろうか、時間の感覚は完全に失われ、僕はもうこの部屋に来てどのくらい経ったのか分からない。一年、半年、それとも、たったの数週間か。
毎日からさんに「再教育」され、意識を失う。目を覚ますとたまに野菜とフルーツだけの食事が与えられ、また再教育を受ける、そういう日々が続いた。再教育の後に飲まされる薬のせいなのかいつも僕は意識が朦朧とし、昨日の記憶すら曖昧になってしまう。
首を絞められながら犯されていたかと思うと、からさんのことを抱き締めてキスしている。僕を犯していたからさんを、僕が抱いている。記憶は映画のワンシーンか、切り貼りされたパッチワークだ。僕が一番初めの日だと思っているあの日は本当に初めの日なのか。僕とからさんはかつて恋人同士だった、朝も昼も夜もいつだって一緒にいた、けれど、それは本当の記憶なのか。全ては僕が作り出したまぼろしなのかもしれない。
……いや、考えても無駄だ。眠っているのか起きているのか夢なのか現実なのか生きているのか死んでいるのか。それすら、今の僕にはよくわからないのだから。

再教育の一環として、からさんの前に跪き「あなたは神さまです」「僕は間違っている」と言う時間が設けられた。あなたは神さまです、あなたは神さまです、僕は間違っている……唱えているとふしぎなことに、目の前にいる人が本当に、かわいそうな僕を救済してくれるたった一人の僕の神さまであるかのように思えてくる。からさんは神さまだ。跪いて爪先にくちづけることなど容易い。

再教育が終わって僕が気絶するときは良かった。意識を保ったままからさんが部屋から出て行くのを見るたびに、ひどい孤独感に苛まれ死にたくなった。
僕の神さまが次に来てくれるのはいつだろうか。何時間後? 何日後? そういう日は幼い子どものようにぐずぐず泣きながら眠る。ここでずっと待ってるから会いに来てほしい。
どんなに痛めつけられても僕はからさんを疑うのをやめた。これは崇高な神の愛だ。虐待などではない、けして、けして。

「山岡くん」
名前を呼ばれて飛び起きた。
「ひどい顔ですね」
からさんの指が僕の目元をなぞる。ずっと鏡を見ていないから僕にはわからない。目元のクマがひどく、若干痩せたように見えるらしい。
「今日はお休みにしましょうか」
「えっ……あの、それじゃ僕はどうしたら」
「一緒に過ごしましょう」
ほっと胸をなで下ろす。
風呂に入れてもらえた後、からさんは痣だらけになった僕の身体に丁寧に軟骨を塗り、あたたかい手のひらで優しく撫でてくれた。好きです、と思わず口にしてしまう。虫以下の僕がそんなことを言ったら失礼に決まっているのに、からさんは「ありがとうナリ」と優しく頭を撫でてくれた。

「痛かったナリか?」
痣を指でなぞられる。からさんに優しくしてもらえることが嬉しくて嬉しくて、僕は何回もキスして、何回も好きです大好きですと言った。愛しいひとと身体を重ねる喜びを僕は思い出した。
からさんの使っている甘いフレグランスの香りで、頭の中が多幸感で満ちる。ローションで解された穴にゆっくりと挿入が始まった瞬間に僕はもう射精してしまった。からさんは苦笑し、僕を少し休ませるとまた身体を繋げてくれた。
……。

二人で横たわり、僕は胎児のように身体を丸めている。
「あなたのようなひとが、僕なんかに触れていてもいいのですか」
僕の言葉にからさんは眉を下げた。
「必要以上に自分を卑下するものではないナリよ。そんなの当職も悲しくなっちゃうからやめるナリ」
「はい……」
「そろそろ終わりにしましょうか」
「……何をですか?」
「再教育です。もう充分でしょう」
「……」
「次で終わりにします。今日はゆっくり休んでください。それでは」
「もう行ってしまうんですか?」
まだここにいてくれませんか、と僕は上半身を起こし、立ち上がったからさんを見上げた。
「寂しがりやさんナリね。いいナリよ」
彼は再び横になる。裕明くん、と名前を呼ばれた。下の名前で呼ばれることは滅多にないから僕は目を見開く。当職もきみが好きナリよ、とからさんは続けた。瞼がじわっと熱くなって、「もう一回言ってください」と僕は懇願する。
「もう一回、とは?」
「今言ったことを……」
「私は何も言っていませんよ」
からさんは首を傾げ苦笑しただけで、二度と好きとは言ってくれなかった。なんて意地悪なんだろう。
でも、からさんは僕に新しい首輪をくれて、丁寧に嵌めてくれた。嬉しかった。これは僕がからさんの物であるという証だ。僕は首輪を撫でながら、久しぶりにぐっすりと眠った。

「おはよう、山岡くん」
 愛しい神さまの声でやってくる、いつもと同じ目覚めは、いつもと違った。からさんの隣に、なぜか洋さんが立っている。からさんは後ろで手を組み、僕を見下ろした。
「九日間、よく頑張りましたね」
「……九日?」
「そうですよ」
からさんは微笑む。たったの九日? 九年の間違いではないのか。
「今日はきみが今度こそ間違った選択をしないための試験です。今から洋に、きみを強姦させます」
「……何を言っているんですか?」
まるで、理解できない。なぜそんなことをしようとする?
 からさんと洋さんを交互に見たが、からさんは微笑んだまま、洋さんは無表情で黙っている。洋さんが僕に近付き、思わず身体を引いた。手錠をかけられ、恐怖で動けなくなる。強姦? どうして? 僕の罪とはなんだ。僕はそんなに重い罪を犯したのか。
「それでは山岡くん、お別れですよ」
僕に背を向け、ドアに手をかけるからさんに振り向いてくれる気配はない。
「嫌だ……嫌だ! 嫌だ、行かないで、行かないでください!」
僕を見て!
僕を見て!
僕を見て!
僕は叫んだのに、無情にも扉は閉まった。涙が溢れてきた。洋さんが僕に跨る。これから始まることを僕は、知っている。
 自分を守るため、からさんのことだけを考えるよう努めた。洋さんが僕を蹂躙して僕の心がばらばらになっていくのが分かったけれどそれは考えないようにした。余計なことをかんがえて、いいことなんてひとつもない。
笑うからさんのこと、優しいからさんのこと、ぼくを大切にしてくれるからさんのことをかんがえた、もっとあいして、あいしてほしかった、ぼくが今まで愛した分愛してほしかった、でもぼくが「からさん」ってゆうと、ひろしさんにぶたれるのでさいごはなんにもわからなくなった。そのあといやな夢をみた。
手くびのがちゃがちゃするのを目のまえにいるやつにひっかけておもいっきり力をいれたらうごかなくなった。ぼくはゆめでわるいことをした。だからきっとまた明日から再きょういくをうけるのだろなとおもってうれしくなた。ぼくはわらう。そしてぼくはおもいだした。からさんの、あまいにおい。



ビデオテープの並んだ部屋で、今回もカメラを回した。心を砕かれたその男は、じっとカメラのレンズを見つめている。刺激の少なすぎる部屋で彼は三日目から解離性健忘が発現、四日目から幼児退行が顕著に、七日目には妄想と現実の境目が曖昧になり、幻覚と触れ合って幻聴と会話していた。
たったの十日で彼は現実を完全に捨て去った。今は自分を虫だと信じ込み、空想の世界で幸せに生きている。カチ、カチ、カチ、と時計の音が響く。

あなたの名前は?
「えっと……わかりません」
何故わからないのですか?
「……その、ぼくは、むしだからです」
今なにを考えていますか?
「……とけいの音が、うるさいです」
あなたの罪とはなんですか?
「ひとを……ころしました」
なぜ?
「……そしたら、すてないでもらえるとおもったからです」
私のことはわかりますか?
「はい」
私は誰ですか?
「ぼくの神さま」

挿絵

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