恒心文庫:エイズ研究の原点

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本文

唐澤少年の指が父のもみあげに絡む。指先で転がしたそれは羽毛の様に軽く、指の腹でさするそれは絹糸の様に艶やかだ。唐澤少年は恍惚とした表情で指先を動かし、父も恍惚として毛先を動かす。どうやら、このもみあげには触覚があるらしい。少年の中の冷徹な部分が心の内にメモを取るが、しかしその指先の動きが止まることはない。
二人は魅せられていた。その感触に。その不可思議さに。そしてそこにある確かな親子の交流に、二人はぬるま湯に浸かる心持ちでひたっていた。
小学生最後の夏休み、その最後の日を貴洋は家で過ごしていた。特に外に出る用事が無かったからではない。宿題が終わっていなかったからだ。国語数学英語社会、四科目は弟の助けで今日中に終わるらしい。しかしあと一科目。理科の自由研究まではどうしても手が回らない、と、弟は言っていた。使えない奴め。貴洋は心の中で悪態をつきながら舌打ちをした。
まず、母に聞いた。自由研究とは何か。まず敵を知らなければ何もできないからな。自由に研究するにしても何をすればいいのか分からない。やりたくもない。こんな意味の無いことをやらせる学校の教育制度、見直した方がいいんじゃないか?普段思っていることを母にぶつけ、更に余裕の無さからか思わず暴力をふるう。
しかし母親は笑顔で安心させる様に言うのだ。普段からよく考えてる唐澤貴洋なら、すぐやることも見つかるわよ。唐澤貴洋は出来る子だから。大丈夫よ。大丈夫。
結局何をすればいいか分からないまま、貴洋は二階にある自分の部屋に戻った。当職が出来る奴なのは当然だろう、役に立たない女め。締め切られた空間に、明日から学校だという陰鬱な思いと歯ぎしりが充満する。現実問題、今から新しいことに手をつけてもダメだろう。どうしよう。どうしよう。あてつけで床を踏み鳴らす。そして心の中で目算をたてた。
これぐらい音を出せば、あの役に立たない家族共もわかるだろう。いかに、この当職が追い詰められているか。まるで踏み抜くかの様に踵で床を打ちつけながら貴洋は思う。あいつらはこの音を聞いて、当職を助けなければならない。今から新しいことを始める苦しさはあいつらもわかっているはずだ。あいつらが助けなければ、当職は宿題が出来ずに終わる、それは当然だ。この音であいつらが動かないなら。つまり当職の宿題が終わらないのは、あいつらのせいだ。そしてひときわ強く踵を踏み鳴らした時、部屋のドアが掠れた音を立てて開いた。
かかった。当職は心の何処かでほくそ笑む自分を感じながら、しかし今まで当職の予定を管理してこなかった家族に対する苛立ちのまま叫んだ。勝手に部屋のドア開けてんじゃねーナリよ!勢いのまま手近にある小物をぶつけたドアの後ろから、そいつは伺う様に恐る恐る顔を出した。当職はでかい音で舌打ちした。
そこに居たのは父であった。当職の部屋の真下に父の部屋はある。音は当然届く。部屋の中で血を分けた息子が荒れているのを無視することは出来なかったのだろう。そして差し入れのつもりだろう、父は手にアイスを持っていた。バーが二つある真ん中で割って二人で分けるタイプのアイスだ。二人で食べようとでも言うのだろうか。クソが。当職は父の手にあるアイスをふんだくると左右から一本ずつ口内に差し入れ噛み砕いた。さすがにうまい。ただ父のすがる様な目がシャクに触る。クソが。シャクシャクシャクシャク。

そうして当職がアイスを味わってからしばらくして、父は目に涙を溜めながらやがて口にした。
何か困っていることがあるんじゃないのか?父さんで良かったら力になるぞ。
勝った。確かに言質を取った当職は、懇切丁寧に今の当職の置かれた状況を語ってやった。親の管理が足りないから、子が宿題に追われているということ。親は子を養う必要があること。そして、そもそも協力を申し出るのが遅すぎること。言いながらヒートアップしてしまった当職は、父の髪の毛を引っ張りながら怒鳴りちらした。正しいことを言う時、間違っている奴に暴力を振るってしまうのは当職の癖だ。更なる暴力を加えようとして拳をなお硬く握りしめた時、当職はふと思った。
折り曲げられた指、その間から伸びる毛先の柔らかさ、そして肌触りの良さ。次の瞬間、当職の頭を天啓のごときヒラメキが駆け巡った。
今から新しいことを始めたところで、たかが知れている。ならば、身近なものを研究対象にすればいいじゃないか。当職は喜びのあまり、手に絡めた髪の毛を手前に引くと、言った。
お前の毛で研究するナリ。
あまりに有能なアイデアに当職の父は力無く微笑むと、そのまま頷いた。

父の髪の毛を始め、まつ毛、耳毛、鼻毛、眉毛、わき毛、胸毛、すね毛、そしてもみあげとあらかた採取した。そしてその肌触り、重さ、細さ、強靭さなどをメモにとった。
やはりもみあげがこの研究の目玉になるだろう。なんせ艶やかで羽の様に軽く、しかし他と比べるまでもなく強靭である。そして何より、自分の意思で動かせるのだ。ノートに貼り付けられたそれは今だに波打つ様にして動いている。当職はノートを傍らに置くと、足元で転がるそれに目を向けた。
そこには裸の父が転がっていた。カーペットの上に投げ出された四肢はそのままに、体幹だけが力無くヒクついている。先程までは元気に動いていたのだか、もみあげを引きちぎった瞬間叫び声をあげて動かなくなってしまった。
辺りには引き裂かれた衣服が散らばり、腰には残骸だけが未練がましく引っかかっている。
当職はその惨めな姿を味わう様にして眺めると、まだ採取していない毛があることに気がついた。
それは陰毛だ。しかしただの陰毛ではない。ケツ毛である。横たわる父の尻タブ、その間に挟まれているコットンの様な毛の塊。当職はその内の一本を頂こうと指を差し入れた。
しかし、これが中々うまくいかない。天然の綿の様に無数の毛がお互いに絡まった毛は、さらに父の尻から分泌された液に絡んだ状態でカピカピに乾いて固まっている。これをほぐすためには、また濡らさないといけない。困り果てた当職は、ふと自分の股間に目をやった。アイスを食べたからか、ちょうど小便がしたい。当職は指先でそれを引っ張り出し構える。しかし真性包茎の当職の小便はあらぬ方向へ飛んでいく。四方八方に飛ぶ雫で部屋が汚れていく。
焦った当職は筆先をコットンへと押しつけた。これで狙いがずれることはないだろう。そうして一息ついたのも束の間、知らず体重をかけた筆先がコットンの中へと不意にめり込んだ。
一瞬の空白、コットンの向こう側は何か温かく薄く湿っており、当職のペン先は茶巾の様にキュキュキュと絞られている。
当職はわけがわからなかった。意味のわからない感覚に、ほとばしる何かを抑えることは出来なかった。
そうして、当職の宿題は完成した。しかし当職の研究はまだまだ続く。あの時、当職の背中を駆け巡った感覚。そして筆先から噴き出した白い粘液。何よりもあの快感。当職は知らねばならない。今日の夜も研究しなくちゃな。父の尻を見た当職は自分自身が大きくなったように感じた。

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