マヨケーがポアされたため、現在はロシケーがメインとなっています。

恒心教サイバー部

提供:唐澤貴洋Wiki
2016年1月21日 (木) 16:11時点における182.250.242.xxx (トーク)による版
ナビゲーションに移動 検索に移動

わたしはこれから、ダチョウを殺します。 検索

長文 長文(ちょうぶん)とは、長い文章であり、長ったらしい文章である。 長文について 長文とは長い文のこと。対義語は短文。日本では古くから文章のやり取りを行なっており長い文章もあれば短い文章もある。 その内容は手紙であったり、雑誌の記述だったり、新聞の投書だったりと様々。 自分の伝えたい内容が沢山あれば沢山あるほど文章は自然と長くなってしまう。しかしあまりにも長すぎるとその文章を読む人は困ってしまうことがある。 何か意見を伝えるような長文を書く場合は、「問題提起」「問題に対する自分の考え」「自分の考えへの根拠」した方が意見が理解しやすいかもしれない。 インターネット上でも様々場所で長文を見ることができる。 この記事では以下からインターネット上における電子掲示板などの書き込みの中の長文について解説する。 電子掲示板では日夜議論や口論が行われている。 しかし、議論や口論で自分の伝えたいことを全部伝えようとすればどうしても分量を食ってしまう。そして、2ちゃんねるやニコニコ大百科の掲示板に書き込む際、それが求められる局面以外で自分の考えをだらだらと長ったらしく書き連ねるのは一般的に嫌われる行為かも知れない。 そもそもそういった掲示板のレスのフォームが、字数その他の要因で長文を書くのに適していない。 長文のレスを書く場合は、それが場に相応しいものであるかどうか、書き込む前に一度見直してみることをおすすめする。 場にそぐわないところで長文を書き散らすと「チラ裏でやれ」「ブログでやれ」とよく言われることからもわかるように、長文とブログは非常に相性が良い。上で述べた「問題提起」「問題に対する自分の考え」「自分の考えへの根拠」を叙述する余裕も十分にある。自分の考えを叙述する際以外でも、個人以外でも団体としてまとまった公式見解や宣伝を残しておきたい場合、ブログというのは非常に便利な媒体である。 それとは対照的に、例えばツイッターは一言程度の分量の文章をつぶやきとして発信する媒体である。手軽さが売りのツイッターであるが、ブログとは逆に長文書くには向いていない媒体であると言えるだろう。一応可能であるが、非常にやりにくい。即時性に特化した媒体であるため過去の発言をたどるのがめんどくさかったりするため、文章として残しておきたい場合は他の媒体に頼った方が良いと思われる。 とはいえ、その即時性が多くの人に受けているというのは事実である。もともとブログの利用者でも、数分ごとに記事を更新して現在のツイッターのような使い方をしていた人も多かったのを見ても、かねてより自分の発言を手軽に発信できる媒体がが求められていたということだろう。 ただもう一度言うが、字数が限られているツイッターで「問題提起」「問題に対する自分の考え」「自分の考えに対する根拠」を叙述するのはやりにくい。 それゆえ、言葉足らずによる誤解が非常に起きやすい。実際、有名人がツイッターで言葉足らずの失言を吐くことで起こる騒動が最近非常に多い。NTTドコモの社長が「140字は難しい」としてツイッターを当面使わないとしたのも、ある意味正しい判断だったのではないかと筆者は考える。発言の揚げ足取りが大流行する昨今、本来要人がツイッターを使う際は並々ならぬ注意が必要なはずだ。 そういえば政治家にも、ツイッターで自分の政策や考えをつぶやくのが大流行しているようである。本来なら己の政策を語る時にこそ「問題提起」「問題に対する自分の考え」「自分の考えに対する根拠」を明記するのが必要な気がしないでもないが、根拠云々よりも一言で国民を動かす言葉の力の方がお好みなのだろう。(もちろん、東国原県知事が口蹄疫流行中にツイッターでアナウンスした事例等を考えると、ツイッターが政治において純粋に有効活用される可能性も無視してはならない)。 ツイッターの例から分かるように、あまり短すぎる文章というのも人に誤解を与えてしまう恐れがあるので、それを防ごうと考えるとどうしても長文のレスを書いてしまいがちである。 しかし、不特定多数の人間が集まる公共の場であまりそれをやるのも、また考えものだ。 2ちゃんねるやニコニコ大百科などの掲示板は、その形態上複数の人間とのリアルタイムでのレスのやり取りに特化した媒体である。いわば人同士の会話に近い形態を目指したものであるが、そこでむやみに長ったらしい長文を書いてスレ汚しするのもあまり褒められたものではない。 第一、リアルタイムの会話に近い掲示板のレスは、論文や書籍をじっくり熟考しながら読むのとはだいぶ勝手が違う。そういう場面で議論をしようとつい長文を書いてしまう者もいるが、そもそも不特定多数の人間が集まる場でしかも匿名の人間同士がまっとうな議論をするということ自体が不可能なものである以上、そういう場で議論を成り立たせようとするのは大体の場合不毛な試みである。 長文を書くことを求められたものであるならともかく、そういう場で長文を書くこと自体が荒らしとなる場合が多い。

筋道だった文章を書くためにある程度の分量を割かなければならないことが往々にしてある。しかし、ツイッターや掲示板など、それに適していない場がネット上には多く存在するということは理解しておかなければならない。 そしてそのような場所と場面で求められない長文を書くのは、大いに注意されるべきことである。 また、意図せずに長文のレスをしてしまう人は、誤解を与えない文章を書こうとしてそうなってしまう場合が往々にしてある。そのような人を見かけたら、優しくたしなめてあげましょう(あまり何度も同じこと繰り返す人間に対してはさすがにどうかと思うが)。


以上、長文失礼。 長い。三行で。 場をわきまえて お互い他人のことを思いやって文章を読んだり書いたりすれば みんな幸せになれると思います。 関連項目 小説 文章 今北産業 ストーリーを一行で語る