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利用者・トーク:呉鎮守府第101特別陸戦隊.

提供:唐澤貴洋Wiki
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Muno無脳またはムノなど、お好きな呼び方でどうぞ)と申します。ユーザー番号338です。私自身へのご連絡、ご意見などは利用者・トーク:呉鎮守府第101特別陸戦隊.またはウィキメールをご利用ください。

改名にあわせシングルログインとしております。 --呉鎮守府第101特別陸戦隊. (トーク) 2015年9月16日 (水) 19:56 (JST)

興味のある事柄

  • 約十数年来の鉄道ファン
  • 十年来のバスファン
  • その他3つ以上の車輪で走る乗り物全体に多少興味関心があります。
  • 漫画、アニメ、ゲーム、声優などもほんの少し。

唐澤貴洋Wikiでの活動

データ

自分が主に行う編集

基本的には鉄道・バスを中心とした公共交通に関する記事でのみ活動しております。記事の執筆、加筆、撮った画像のアップロード(コモンズ)などが中心。ほかに九州・山口の市町村の記事などにも手を出すことがあります。

詳細な活動記録は以下をご覧くださいませ。

写真

2007年10月以前はウィキペディア日本語版にアップロードしていましたが、それ以降はウィキメディア・コモンズへアップロードしております。ウィキペディア日本語版にアップロードした画像についてもコモンズへ順次移しております。

場合によってはすでにある画像を差し替えさせていただくことがございます。

たわごと

  • 読者の要望・批判は尊重されるべきと思いますが、方針五本の柱)から逸脱したものは別です。読者にとって有益な編集が方針に反するときは、方針を優先せざるを得ないでしょう。日本のメディアにいろいろな不満や嫌悪感はあるでしょうが、ウィキペディアは正しいメディアの姿を追求する場ではありません。
  • ウィキペディアに載せられるかどうかと、その事物の重要性とは別です。
    • たとえ非常に重要な事物・事象であっても、信頼できる情報源の出典がまったくないなど、ウィキペディアに載せられない場合もあります。
    • 逆に取るに足らない、くだらない、百科事典に載せるようなものではなさそうな事物・事象であっても、出典がたくさんあればウィキペディアに載る場合もあるでしょう。
  • 形式上は信頼できる情報源の要件を満たしていても、その種類や執筆者などによっては、「知識の乏しい人による不正確な記述が多い」「現実味のない荒唐無稽な記述が多い」などの理由で、一般的に出典として使うのは敬遠されている場合があります。
  • 私も人間ですから、自分の個人的感情もありますし、思想信条もあります。しかしながら、ウィキペディアはそれらを露骨に出す場ではございません。
    • ウィキペディアの方針に沿うためにやむを得ず右翼的/左翼的な記述の修正、あるいは明らかに社会正義に反する編集や管理権限の行使などを行う可能性がありますが、それは自分の個人的感情や思想信条その他を反映したものではありません。
    • また「それはあなたの個人的な考えである」として記述を差し戻し/除去した場合、その考えには反対しているかもしれませんが、心底では賛同しているかもしれません(どちらにしても百科事典の記述には無関係なので賛成/反対は表明しません)。
  • 自分がよく知っているもの、自分が強い関心を示しているものであろうとも、特筆性を根拠にした削除依頼を出す可能性はあります。「自分が知らないから削除依頼を出している」と決めつけないように。
  • 「ぼくがもんだいだとおもった」は「問題になった」と同義ではありません。
  • 何らかの形で「社会をよくしたい」との強い思いを抱いたり、またその思いを胸に実社会やインターネット等で活動されたりするのは自由ですが、ウィキペディアは「正義」ではなく「中立的な観点」「検証可能性」が重視される場です。たとえ真っ当な主張でも、それをそのままウィキペディアでぶつけることは基本方針に抵触することになるでしょう。そうした活動・主張をされている方におかれましては、その強い思いに突き動かされながらウィキペディアで活動するより、ウィキペディアのことは忘れ、他の場所で活動されたほうが幸せかと思います。いつか検証可能性を満たすようになり、誰かが書いてくれる日も来るでしょう。
  • 大きな政治問題や社会問題に対して一方の立場を支持することを表明しつつ荒らしたりルールに反した投稿を繰り返したりした場合、その立場に対する心象は非常に悪いものとなります。
  • あなたが長い間の実務・研究・各種活動などで知り、お書きになられた事柄が検証可能性独自研究は載せないに反するとして消されることもあるかもしれません。こればかりは本当に申し訳ありませんがご理解いただきたく。
  • 「百科事典として『○○○』の記事があったらいいのに」と思うことはよくあるけど、「○○○」に関する信頼できる情報源が存在するのかどうか確証が持てず、ウィキペディア内で大っぴらに言いにくいことが多い。
  • 記事を読んで「えっ? なぜこんな常識的なことが書かれていないの!?」と思ったときは、それをうっかり安易に書かないように。それは常識的なようでも信頼できる情報源たる出典がない事柄の場合が多いです。正式に公表されていない事柄で、書くと削除される場合もあります(例:芸能人の本名とされる名前)。
    • そもそもあなたより知識のある方がたくさん編集に参加しているにもかかわらず、それが書かれていないということはどういうことかじっくり考えましょう。
  • 右寄り/左寄りの思想など、偏った思考をお持ちの方であっても中立的な観点を満たす編集は可能です。
    • ただし、論争の存在する事柄について、論争が存在するという事実を冷静に受け止めず、どちらか一方の立場を「正しい」と信じ込んでいるのであれば、結果としてウィキペディアの方針に著しく反した振る舞いを行ってしまう可能性が高いと思います。
  • 他者に中立性を要求する者は中立的ではない。
  • 方針に賛同するなら誰でも書けるが、誰でも書ける記事に対する評価は低い。
  • どんなに大多数が抱いていようと主観は主観。客観にはならない。どんなに合理的で大多数が納得しようと推測は推測。事実にはならない。
    • しかしながら「オレ様認定」の扱いは難しい。独自研究といえばそうなのだが、誰しも人間なのだからついつい「オレ様認定」をしてしまう。
      • 「それオレ様認定だろう」と思った記述・コメントを逐一指摘すればぐだぐだになるが、{{出典の明記}}を貼らせていただく場合もあるのでそのときにはどなたかご対応いただければと。
    • 多数が認める「オレ様認定」が方針と合致しているとは限らない。
  • 意見の主張はそのまま意見の主張として書かず、「○○は~と主張している」という第三者視点の書き方を。
  • 一つの文にいくつも出典がついている場合は暗に意見の主張が入っている場合が多い。特に多数のニュース記事にリンクして「これだけ多い」と主張したがる人が多い。
  • 何らかの問題から書き始める記事は(その問題を解決することを謳う)商品もしくはそれを製造販売している企業の宣伝である場合が多い。
  • 因果関係について、一度WP:SYN(特に「ロックバンドのガガガガーは…」以下)、前後即因果の誤謬擬似相関などを熟読してほしい人が多い。
    • いかに合理的に思えても前後即因果や擬似相関はそれ以上のものではありません。
  • 事件・事故の記事において、報道に関する記述はほどほどに。事件・事故そのものに関する記述より報道に関する記述が多い記事は論外。ウィキペディアは報道研究の場ではない。
  • 個人がYouTubeニコニコ動画などの動画投稿サイトにアップロードしたテレビ番組の動画は出典になりません。無許諾でのアップロードであり著作権侵害という犯罪行為になる場合が多いですし、意図的に捏造・改変したものをアップロードしている可能性が絶対にないとはいえませんよね? あなた自身は捏造をしていないことを認知しているとしても、あなたがいくら「捏造していない!」と言ったところで信頼性はありませんし、見る側はそれを確認する手段を持ちません。
  • 個人サイト・ブログに載せた新聞・雑誌等の記事の引用文やスキャン画像も出典になりません。これも上記同様に意図的に捏造・改変している可能性が絶対にないとはいえないので。上記と異なり、見る側に確認する手段がまったくないわけでもないでしょうが、手間がかかりすぎます。
  • 「隠蔽」と言われた編集が本当に「隠蔽」というべき編集だったのを見たことがない。
  • 逆に本当に「隠蔽」というべき編集が「隠蔽」と言われたのも見たことがない。
  • 「一方的に消すな」「ノートで議論を」という人は本当にノートで話し合ったら自分の主張をただただゴリ押しするだけ。いつまでも納得しない。
  • ネット上に出たとされる(ひょっとしたら執筆者が捏造したのかもしれない)無名の大衆による批判より、名前と権威と知識と経験があり関連的なことに精通している批評家・批判者による批判のほうがよっぽど重要。たとえそれが部外者から見て的外れであっても。
  • 自分に都合のいい答えの「科学的」「論理的」な主張は本当にすばらしく感じるものです。しかし、一般社会に広く認められない限り、あくまでも「そういう意見が存在する」以上でも以下でもありません。
  • ウィキペディアの記事は自分の意見を述べる場ではない。
  • 「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください。」(Wikipedia:エチケットより)
    • 自分自身があまりにも強く賛成・共感している事柄、逆にあまりにも強く敵視・憎悪・否定している事柄、あまりに深い関心を持っている事柄については、出典があっても書かないほうがいいでしょう。
      • 自分がある程度の距離を置いている事柄であれば、出典をあたって書いていけばある程度の中立性は保てます。
      • 逆に、自分があまりにも情熱を持っている事柄では、出典をもとに書いているつもりでも…
        • 偏った出典ばかり使っているため、偏った内容になる。
        • 書いているうちにいつの間にか自分の思いがにじみ出たりして、独自研究のようなそうでないような極めてもやもやした文章になる。
      • こういうのはなかなか消しにくいのですが、ウィキペディアの質を落とすことになるのでやめてほしい。はっきり言ってグレーな独自研究
  • 「ウィキペディアは100%正確ではない」「読者が正確性を判断すべき」は記事を書く側がおおっぴらに言うことではない。ましてや怪しかろうが独自研究だろうが好き放題書くことを許されるための魔法の言葉ではない。
  • 「この世からなくすべき有害な事物・人物」だからといって、その事物・人物の記事を削除依頼に出さないように。
    • 初心者とおぼしき方(IPユーザー含む)にこういうことをする方が意外におられます。
    • 賞賛ばかりの記事どころか、批判で埋め尽くされた記事さえも受容できないほどに存在を抹殺したいのか、それとも検証可能性を守ると賞賛ばかりの記事にしかならないのか…。
  • 日本語版は日本版にあらず。英語版はアメリカ合衆国版にあらず。フランス語版はフランス版にあらず。スペイン語版はスペイン版にあらず。

特筆性を根拠として記事が削除されそうなとき、削除されたとき

  • もしあなたがお作りになられた記事が独立記事作成の目安(いわゆる特筆性)を根拠とした削除依頼を出された場合、あなた自身が他の方を納得させる形で特筆性を証明するのは難しいと思います。
    • 当然のことながらあなた自身は「これは百科事典に特筆されるべき事物である」と思って記事を作ったわけですよね? それにもかかわらず特筆性を示せていないという事実を認識すべきでしょう。
    • 作成者自身は削除依頼でむやみに発言しないほうがいいと思います。どうしてもというなら、一度で相手を納得させられるだけの説得力のある発言をお願いします。削除票が出るたびに様々な理由を付けて何度も何度も繰り返し存続を訴えれば訴えるほど、逆に存続の可能性は下がるでしょう。
  • 削除された記事でも、適切な改善がなされた場合、またはその記事の記述対象たる事物に対する状況の変化が生じてその事物が百科事典に記載されるべきものとなった場合、記事は再作成できます。そうして復活を果たして発展している記事もたくさんあります。
  • 削除したからといって、その事物の百科事典的価値を永久に否定したわけでもありません。ましてや、その事物を葬り去るべきなどとはまったく考えておりません。削除された場合でもあまり気を落としたり、削除した管理者を恨んだりしませんように。
    • まずは記事を改善することを試みましょう。ウィキペディアとは別に記事の原稿を保存していれば、その原稿までも消されるわけでもありませんし。
      • ただし何の改善もなしに記事を再作成すると即時削除されます。
    • 非常に重要な事柄であるにもかかわらず、様々な報道事情により情報が不十分で十分な出典が得られず、削除のやむなきに至ることもあるかもしれません。そのようなことがあった場合、それはウィキペディア側ではなく、報道を十分にしない側が非難されるべきです。本当にその事柄に本当に強い関心があるのなら、現実世界で様々な活動を行い、もっともっと世に広く知らしめてから再作成することをお勧めします。これが最も発展的ですばらしい手法です。信頼できる情報源でない情報源をいくら使ってもダメですが、頑張れば信頼できる情報源に取り上げられるかもしれません。
    • ただし、「将来的に百科事典に記載されるべきものになるだろう」というのは受け入れられません。
  • ただ単にその事物について取り上げている新聞記事、雑誌、ウェブサイト(ニュースサイト)を羅列しただけでは特筆性の証明になりにくく、他者を納得させられない場合が多いでしょう。