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恒心文庫:事務所代表の達成目標 1

提供:唐澤貴洋Wiki
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本文

不機嫌をそのまま固めたような顔で、彼は僕の目の前を歩いていく。
����これから人と会う予定があるというのに。参ったな、これだからお坊っちゃん育ちは。
つられてこちらまで不機嫌になるじゃないか。

どうも彼は、昨夜もどこかの掲示板に書き込まれた自分への誹謗中傷を見たこと、そして連日の事務所へのいたずらが相当なストレスになっているらしい。
本人はそんなことを言ってはいるが、そのくせしっかり3食食べているのだからストレスとやらが聞いて呆れる。


「からさん」

呼びかけてみるが、彼の歩くスピードは変わらない。短い脚で不思議な歩き方をするくせに、歩くのはやけに早い。

「からさん、ちょっと」
彼はこちらをちらりと見る。なんだ、聞こえてなかったわけじゃないのか。

「…外ではその呼び方はやめて欲しいナリ」
雑踏にかき消されるほどの小さい声で彼は不満を漏らした。
その呼び方?…ああ、つい癖で。

「すみません、つい癖で」
「誰かに聞かれたら、また馬鹿にされるナリ」
「気をつけます、すみません。」

誰かに聞かれるも何も、とうの昔に広まって散々馬鹿にされてるのを、知らないのか?
まさかあなたのことをそう呼んでいるのが僕だけだとでも?
だとしたら本当におめでたい話だな。
まあ僕としては、顔も知らない奴らに僕と同じ呼び方を使われるのはいくらか気に入らないところではあるが。

「…唐澤さん、そのしかめっ面ではクライアントにいい印象を与えませんよ。少し余裕がありますし、コーヒーでも飲んで一息ついてから行きますか?」

僕がこうでも言わないと、彼は客相手にその憎たらしいふくれっ面でいつもの尊大な態度を取るに決まってる。
大した金額にもならない仕事って時点で僕だってかなり気が乗らない。
でも弁護士なんてある程度は客商売みたいなものだろう?
スカスカでもとりあえずの実績と、コネを作っておいて損は無い。
親に守られてここまで生きて来た彼は、そういう社会の空気も機微も全く読めていないただの馬鹿だった。


「当職は、コーヒーと、ケーキも食べたいナリ」

先程よりやや落ち着いた声色で返事が返ってくる。
昼食から一時間経ったくらいでケーキとは、だからあなたはそんなに太るんですよ。

「いいですね、じゃあ、あそこのドトールで少し休みましょう」


僕は上手くやっている。
とても上手くやっているのだ。


ここまで問題が山積みで火だるまの彼とわざわざ手を組み、事務所の代表になり、目立ちはしないが仕事もそれなりにこなしている。

お陰様で、彼の父親にもそれなりに信頼はされているつもりだ。

僕の経歴を見た上で、独り立ちを勧める声も沢山ある。
分野も違う『あの』唐澤と何故一緒に仕事をしているのか、と彼を馬鹿にするような態度で聞かれたこともある。
その度に、僕は日本人だけに許された特権である曖昧な笑みで濁してきた。

ああ、社会で生きていくというのは本当に本当に大変な話だ。
誰かと違って、ちゃんとしたストレスがあるならば、そのせいで鬱になる奴等の言い分も分からなくはない。

そこまでの苦労が今の僕にはある。
なのにどうして、

…どうして僕が、あの唐澤貴洋と一緒にいるかって?

…どうして僕が、あの唐澤貴洋と手を組んだのかって?

…どうして僕が、




「…山岡君」

カロリーの高そうなモンブランをつつきながら、彼は僕の名を呼ぶ。
「なんですか?唐澤さん」

「………からさんでいいナリ」

僕が笑顔で返すと、いつも彼はこうやって居心地悪そうに目を逸らす。
自信のなさそうなその態度は大抵僕をイライラさせるけれど、今はそれほど不快ではない。
僕が完全に主導権を握っているからかな。

「………山岡君、当職は山岡君がいないと駄目ナリ」

モンブランを一口。

「山岡君がいないと、外を歩くのも、電話に出るのも、怖いナリ」

今度はコーヒー。


「…からさん、」

この流れを何度繰り返したことか。
むしろ、何度繰り返してもダメなのか。本当に仕方ない人だ。
僕がついていなくては本当に何も出来ない無能だ。


「からさん、大丈夫ですよ。一緒に仕事頑張っていきましょうね」



どうして僕が、唐澤貴洋と一緒にいるかって?



「いつかきっとこの炎上騒ぎも綺麗に終わらせますよ。僕が最後までからさんを助けますから」


僕はこれからも上手くやっていくのだ。
今までもそうであったように。


最期まで上手くやってみせます。
全て綺麗に終わらせます。

だからそれまで、僕はあなたとずっと一緒ですよ、からさん。

挿絵

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