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「唐澤貴洋の卒アル開示事件」の版間の差分

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>恒心大松
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== 余波 ==
== 余波 ==
開示元であった2代目カラケーの管理人が調子に乗って、
開示元であった2代目カラケーの管理人が調子に乗って、
「卒アル出した奴のIP開示してもええか?」と突然名乗り上げたが叩かれ、拗ねて捨て台詞吐いて撤退、3代目カラケーが建設された前後に2代目カラケーが閉鎖された。
「卒アル出した奴のIP開示してもええか?」と突然名乗り上げたが叩かれ、拗ねて捨て台詞を吐いて撤退、3代目カラケーが建設された前後に2代目カラケーが閉鎖された。


また、巻き添えで卒アルに掲載されていた人物が晒される風評被害も起こった。
また、巻き添えで卒アルに掲載されていた人物が晒される風評被害も起こった。

2015年3月8日 (日) 12:46時点における版

唐澤貴洋の卒アル開示事件(からさわたかひろのそつあるかいじじけん)とは、 2013年3月10日に唐澤貴洋の法政二中時代の卒アルが開示された事件である。

発端

2013年3月10日、唐澤貴洋掲示板(2代目)にて突如投下された。

弟を殺したのは

3 : ( (c :; ]ミ:2013/03/10(日) 07:02:47
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4 : ( (c :; ]ミ:2013/03/10(日) 07:31:56
    >>3
    これマジ?

5 : ( (c :; ]ミ:2013/03/10(日) 07:33:02
    >>3
    えっなにこれは…

画像は即座になんJに転載されスレは3時間程で完走し、全く不明である尊師の顔が開示されたことや、

文集開示によって、尊師が唯一自分語りの対象にしなかった暗黒の中学時代の情報が明らかになったことでなんJに激震が走った。

【速報】尊師の学生時代が掘り起こされる

1 : 風吹けば名無し: 2013/03/10(日) 07:36:18.06 ID:z4VeJbPa (1/5回)
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余波

開示元であった2代目カラケーの管理人が調子に乗って、 「卒アル出した奴のIP開示してもええか?」と突然名乗り上げたが叩かれ、拗ねて捨て台詞を吐いて撤退、3代目カラケーが建設された前後に2代目カラケーが閉鎖された。

また、巻き添えで卒アルに掲載されていた人物が晒される風評被害も起こった。

リーク者

2代目管理人の暴露により、リーク者は長野県からの投稿であることが判明したがそれ以外は一切不明である。

文集書き起こし

修学旅行の思い出 三年一組 唐澤貴洋

 今回の修学旅行で僕が一番印象深く残っているのは大歩危遊覧と竜馬記念館です。 
大歩危遊覧の川下りはあのすごいいきおいの川の流れとすごく冷たい川の水がとても気持ちよかったです。 
それと龍馬記念館は僕が坂本龍馬という人物が好きだったから楽しかったです。この修学旅行は 
いろいろなところを回り楽しい旅行でした。

文化祭について 三年一組 唐澤貴洋

 まず初めに書いて置きますが、僕は文章を書くのは得意ではないので読みにくかったらもうしわけありません。 
 文化祭というと食べ物屋色々な商品があるように思ってしまうが、私たちの学校はちがいます。 
文化祭の名のとおり文化に関係したものを追求します。 
 僕の組三年一組はひょんとしたことからAIDSを企画として扱かうことになりました。AIDSというのは 
今大変世間でさわがれている不治の病で、それをふざけてやったりするのは大変患者の人に失礼であります。 
ですからAIDSを扱うのはけっこう大変なことでした。 
 僕たちはAIDSを色々な方面で見ました。あげてみると、
○患者の人への偏見 ○AIDSの世界分布 ○新聞で扱かわれたAIDS関係の記事とAIDSに関する書籍 ○動物のAIDS 
などを各班に分担して調べました。


 僕の班は、AIDSに関する新聞記事や書籍を調べたんですが、これがさすが世間でさわがれているだけあって 
新聞ではほとんど毎日扱かわれ、書籍でもたくさんAIDSに関するものがありました。それだけ世間の人はAIDSに興味 
がある事がわかりました。 
 だけれどもそれはまだ興味の段階でちゃんと理解していないのではないかと思った。 
そんなことではAIDSはあっという間に日本をおおってしまうんではないかと思ってしまいました。 
そんなことをさせないためにはマスメディアをつかいAIDSというものを日本人の心の中にきざみ 
恐怖心を植え付ければ日本人はAIDSにもっと協力的になるのではないかと思いました。 
僕の考えはこれぐらいにし、話を仕事の話にします。

文化祭前に僕たちは何とか作業を終わらせました。そしていよいよ文化祭当日になりました。 
始めはこのような企画はまじめすぎて誰も入らないんではないかと思いましたが始まってみると 
全然違いけっこう多くの人が三年一組を見ていってくれました。これは僕はとてもうれしかったです。 
企画倒れとか思っていたのがその反対だったので。何の賞もとれなかったけれども良い文化祭だった。 
高校へいっても文化祭があると思うが心に残せるような文化祭がしたいです。 

在校生への一言  三年一組 唐澤貴洋

 在校生におくる言葉。考えてみると何にもない。別に何を引き継ぐとかこの学校の伝統を 
守ってくれだとかそんなことはこれぽっちも頭の中にない。ただ思うに自分のことを考えれるようになれば、 
それでいいと思う。それと勉強、自分のことを考え人のことを考えれるようになれれば中学に行ったことは 
決してむだではないだろう。

中学時代 唐澤貴洋

     僕はこの法政大学第二中学校に入って果たしてよかったんだろうかわるかったんだろうか今、 
    中学二年目にして考えている。僕は小学生の時に受験勉強をしてここに入った。 
    僕はうながされるままに受験勉強をした。卒業文集を書いているのに自分のぐちを書いているみたいで 
    どうかゆるしてください。では続きを。 
    受験勉強していろいろ中学校を受け、受かったこの学校に入った。 
    僕は中学に入って何をつかんだろうかと思う。中学に入ってくだらない知識(それは勉強ではない) 
    は頭の中に入っていった。 
    僕は人間的に成長したんだろうか。ただいろいろなくだらない知識で 
    増長してしまっただけだと思う。僕は体は大きくなっても子供と全然かわらないだろう。 
    物がほしいからといって親をこまらせていたりする。僕は勉強は中学であまりしなかった。 

    だがこう思う。もっと人間・自分を考える時間をつくるべきだと。いろいろ口で言われるよりも人間的にまともになるだろう。 
    僕は中学でいろいろ見た。人の心のいやなところなんかを。僕はそんないやなところはもたないようにう努力したい。 
    人の悪口いってよろこぶようなことは絶対やらないようにしたい。だけれどもこういうことを自分で思える 
    ようになっただけでもよかったと思う。今かいてあることはうわっつらではない。自分が思っていることを 
    書いている。中学時代これはいろいろなことがあった良かったことも悪かったもあった。 
    もう卒業だし思いのこすこともないし書きたいことももうないのでこれでこの文章は終ります。 
    ではさようなら法政二中