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2015年9月17日 (木) 12:10時点における版
基本資料 | |
本名 | 唐澤洋 |
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別名・渾名 | 出龍、聖獅出龍、白モミ、白いカス、父洋、洋さん |
生年月日・年齢 | 76~77歳、1947年生まれ |
住所 | 田園調布サティアン |
身体情報 | 白いもみあげがある |
才能 | 有能 |
騒動との関連 | 尊師の父 |
職業 | 会計士 |
所属 | 公認会計士唐澤洋事務所、海原士業会 |
出身高校 | 海城高等学校 |
関係者 | |
唐澤洋(からさわひろし、1947年8月12日 - )とは、唐澤貴洋の父の会計士である。元新日本有限責任監査法人常任理事審査部門長、日本公認会計士協会綱紀審査会委員、株式会社ひらまつ社外監査役[1]。
概要
唐澤貴洋の父にしてレジェンド会計士。息子と同じ場所(ピュア虎ノ門)に自身の事務所を構える。
恒心綜合法律事務所の公式ウェブサイトで「提携先」として紹介されており、名前も一文字しか違わないことから、騒動初期の段階から「唐澤貴洋の父親」として知られていたが、当時のなんJ民には「父親まで騒動に巻き込むのはやり過ぎ」という良識が残っており、あまりネタにされることはなかった。
ところが、2012年9月に住所(田園調布サティアン)が特定されたことで注目を集めるようになり、続く10月には「唐澤貴洋って名前だけで笑ってしまうようになった」スレで顔写真が晒された。この時、彼の白いもみあげとアヒル口がチャームポイントとして認識され、以後、急速にネタキャラ化。AA・コラ画像・官能小説・MMDモデルなどが多数作られ、AKB握手会襲撃事件の犯人の父親にされたり、時々けんま民に撮影されたり、森公高のライバルにされたりしながら現在に至っている人気キャラ。
経歴
1947年8月12日、唐澤吉信の長男として誕生する。海城高等学校を経て、慶應義塾大学商学部卒業。監査法人第一監査事務所(現新日本有限責任監査法人[3])に入所。
1981年に公認会計士登録をする。1992年にセンチュリー監査法人(現新日本有限責任監査法人)代表社員となる。
2007年にブルドックソース事件が発生、会計監査人の業務執行社員として参加する[4]。
2008年に常務理事審査部門長となり、株式会社ランドの資産過大計上を指摘[5]。しかしランド側が妥協せず契約を解除される[6][7]。
後に新日本有限責任監査法人を退職し、2011年7月に独立開業。同月に設立された恒心綜合法律事務所の顧問に就任し、連携して業務を行っている。
2012年10月17日、海城OBによる業種別組織「海原士業会」に会長として参加[8]。
唐澤洋は公認会計士界でも有数の地位にいると思われる(なお、会長にはなれなかった模様)。
疑惑画像
paranoid撮影(2015年8月18日)
ださいたまによる望遠レンズでの撮影。(2015年8月20日)
註釈
- ↑ ひらまつ役員 - Ullet
- ↑ E&Y - Global IPO Survey 2006(PDFファイル) p.55
- ↑ 日本で最初に誕生した監査法人であり、現在の日本で監査法人と言われる大手4法人(通称BIG4)の筆頭と言われている。
- ↑ ブルドックソースの監査報告書
- ↑ 株式会社ランド、会計監査人の異動を公表 - 会計腐蝕列島
- ↑ 会計監査人の異動および一時会計監査人の選任に関するお知らせ
- ↑ その後、2012年にランドに粉飾決算の疑いで強制捜査が入った(起訴は見送られている)。
- ↑ 海原士業会設立総会 - 海原会