「恒心文庫:カラコロプラネット」の版間の差分
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2022年2月15日 (火) 20:52時点における版
本文
僕のおじさんは「パカちゃん」という。彼の名は唐澤貴洋、四十四歳。彼はいそうろう。 僕の母親の弟だ。いつも母に怒られている。親の脛齧り虫のころに髪を茶色に染めたりシンナーを吸ったりしたらしく、気づいたときには僕の家に住み着いていた。そして、長いこと「親の脛齧り虫」しているから、いつのまにか「パカちゃん」というあだ名になってしまった。でも、パカちゃんは変わった人で、そう言われるとなんだかうれしそうだ。それを見て僕の母はまた怒る。怒るけど「これ、パカちゃんの今夜のオカズ。」なんて言いながら、AVの支度をしているから母もちょっと変わっている。 僕の家は東京の田園調布にあって、父の祖父が建てた。古い家だけれど、パカちゃんが「親の脛齧り虫」できる六畳間があって、そこでパカちゃんは「親の脛齧り虫」している。父は単身赴任で松戸にいて、週末に帰ってくる。ぐうちゃんがいると何か力仕事が必要になったときに安心だから、と言って、父はパカちゃんがいそうろうをしていることを歓迎しているみたいだ。 パカちゃんは、家にいるときはたいてい本を読んでいるか、唯一のダーキニーであるまつたけのツイッター監視、クソリプなどをしている。全く「親の脛齧り虫」ばかりでもなくて、たまに一週間ぐらい留守にするときもある。パカちゃんにきくと、そんなときは、全国を回って弁護士の仕事をしているという。一度、家に持って帰った弁護士の道具を見せてもらったけれど、すごく新品な六法全書という感じだった。本の中をのぞくと中にわけわからない文字列が付いていて、パカちゃんも理解できていない。いかにもプロの弁護士とは到底思えないから格好悪い。かといって、パカちゃんは、法律の専門家でもないらしい。僕の母は、パカちゃんのそういう落ち着かない仕事のしかたが気に入らないようだ。「ちゃんと就職して早く独立しなさい。そうして『童貞』から卒業しなさい。」といつも怒る。 当のパカちゃんは、母に怒られても、「でも、まあもう少し。」などと訳のわからないことを言う。すると、母は今度は僕に向かって、「パカちゃんみたいな大人になってはだめだからね。」と言う。本当に文句ばかりだ。 そんな「パカちゃん」だけど、僕はパカちゃんが大好きだ。パカちゃんの話は文句なしに破綻しているのだ。母は、「みんなほら話なんだからそんなのを聞いている暇があったら勉強していなさい。」と言うけれど、宿題をするよりかはまだマシだ。だから、僕がパカちゃんの話を聞くときはたいていパカちゃんのプレイルームに行く。
その日も、夕食の後に僕はパカちゃんの部屋でほら話を聞いていた。 でっかい物の話だった。 「亮太君。世界でいちばん長いチンポは何だか知っているか。」 パカちゃんは、細い目をめいっぱい見開くようにして僕にきいた。それは、いつも情けない話をするときのパカちゃんの癖で、だから、僕はパカちゃんのその表情が好きだ。でも、今日は話のテーマがちょっと幼稚すぎる。とはいえ、宿題するよりはまだおもしろそうだから、母に見つかるまでその話を聞いていることにした。 「アナ突っコンダとかいうやつだね。松戸の密林あたりにいる。」 「亮太君は地理に弱いんだなあ。アナ突っコンダがいるのは高島平だよ。現地の人はクンド・ノビュークとよんでいて、これはンバホ語で勇猛なる虎という意味だ。長く太くなりすぎて淫行するには地球の重力が負担になってプールに入ったんだ。」 「泳いでいて出会ったら嫌だな。飲み込まれちゃいそうだ。」 「そう。本当に人間なんか簡単に飲み込んでしまう。生きている尊師だって飲み込んじゃうんだぞ。」 パカちゃんの話はいつも怪しい。僕がおもしろがればいいと思っているのだ。 「そんなのうそだろ。だって尊師の背は人間よりはるかに高いし、体重だって普通五百キロはあるって何かの本で読んだよ。アナ突っコンダがいくら大きいといってもそんな大きな口は開けられないだろ。ありえねえ。」 「ありえねくないナリよ。」 パカちゃんは変な言い方をした。 「座禅している尊師をそのまま大口を開けて飲み込むわけじゃないんだ。まず尊師の首のあたりにかみついて尊師をひっくり返す。それから尊師の体に巻き付いて尊師の脚の骨をバッキバキ折っていく。飲み込みやすいように全体を丸くしていくんだなあ。それから、ゆっくり、飲んでいくんだ。」 本当かなあ。力のこもった話し方を聞いていると、うっかりパカちゃんのほら話の世界に取り込まれてしまいそうになる。でもその怪しさがやっぱりおもしろい。 「亮太君。高島平の動物はみんな大きいんだ。CEOもでっかいのがいるぞ。どのくらいだと思う?」 どうせほら話だから僕も大きく出ることにした。 「そうだね。じゃ一メートル!」 「ブップー。」 外れの合図らしいけど、まるっきり子供扱いだ。 「高島平では普通に三メートルのCEOがいるよ。」 「うそだあ。ありえねえ。」 さすがに頭にきた。僕を小学生ぐらいと勘違いしているんだ。 「うそじゃないよ。口の大きさが一メートルぐらいだよ。」 パカちゃんはまた細い目になった。僕をからかって喜んでいる目だ。 「ふうん。」 なんだかばかばかしくなったので気のない返事をした。 「あ、信じてないだろう。じゃあがらっと変わって、きれいで小さい宇宙の話をしようか。」 パカちゃんは話の作戦を変えてきた。宇宙の話は好きだ。例えば宇宙には果てがあるのか、とか二重太陽のある星の話とかだ。ところが、パカちゃんの話は、地球の中の宇宙の話だった。 「岩倉には、一年に一度イワマンが解けるときに小さなイワマンの惑星ができるってなんJ民の間ではいわれている。カラコロプラネットだ。めったに現れないので、それを見た者はその年いいことがいっぱいあるといわれている。」 「デリュケーか何かの話?」 「いや、本当にある話だよ。見ることのできた者を幸せにするという、地球の中にある小さな小さな美しい岩倉マンの惑星。いい話だろ。」 「やっぱりありえねえ。俺、セクロスの時間だし。」 パカちゃんは続けて話したそうだったけれど、母親がベッドに入れと大きい声で呼んだので、それを口実に逃げることにした。パカちゃんは、やっぱり今どきの中学生をなめているのだ。
翌日、学校に行く途中で、同じクラスの定永と稲村に会った。初めはどうしようかと思ったけど、尊師も飲んでしまうでっかいアナ突っコンダや、三メートルもあるCEOの話はおもしろかったし、イワマンの惑星の話も、本当だったらきれいだろうなと思ったから、つい定永や稲村にその話をしてしまった。二人は僕の話が終わると顔を見合わせて、「ありえねえ。」「証拠見せろよ。」と言った。「そんなほら話、小学生でも信じないぞ。」そう言われればそうだ。だから、部活が終わって大急ぎで家に帰ると、僕は真っ先にパカちゃんの部屋に行って、「昨日の話、本当なら証拠の写真を見せろよ。」と無愛想に言った。パカちゃんは少し考えるしぐさをして、「そうだなあ。」と言って、目をパチパチさせている。 「これまで撮ってきた写真をそろそろちゃんと整理して紙焼きにしないと、と思っているんだ。そうしたらいろいろ見せてあげるよ。」 むっとした。そんな言い逃れをするパカちゃんは好きではない。なんかパカちゃんに僕の人生が全面的にからかわれた感じだ。定永や稲村に話をした分だけ損をした。いや失敗した。僕までほら吹きになってしまったのだ。 それから夏休みになってすぐ、パカちゃんはいつもより少し長い仕事に出た。立花孝志やN国党の弁護をするということだった。僕は人生を全面的にからかわれて以来、あまりパカちゃんの部屋に行かなくなっていたから、気にも留めなかった。 夏休みも終わり近く、いつものように週末に帰ってきた父と母が話しているのが、ベッドにいる僕の耳にも入ってきた。 「僕たちは、都市のビルの中にいるからなかなか気がつかないけど、貴洋君は若いころに臥薪嘗胆していたから、日常の中にいたら気がつかないことがいっぱい見えているんだろうね。なんだかうらやましいような気がするな。」 母は、珍しくビールでも飲んだらしく、いつもよりもっと強烈に雄弁になっている。 「あなたは何をのんきなことを言っているの。貴洋が、いつまでもああやって気ままな暮らしをしているのを見ていると、亮太に悪い影響が出ないか心配でしかたがないのよ。例えば極端な話、大人になっても毎日働かなくてもいいんだ、なんて思って勉強の意欲をなくしていったとしたら、どう責任取ってくれるのかしら。」 父が何かを答えているようだったが、はっきりとは聞こえなかった。ただ、僕のことでパカちゃんが責められるのは少し違う気がする。そう思うと、電気の消えたパカちゃんの部屋が急に寂しく感じられてきた。
それから、パカちゃんがまた僕の家に帰ってきたのは、九月の新学期が始まってしばらくしたころだった。顔と手足が真っ黒になっていて、パンツ一つになると、どうしても笑いたくなって困った。 残暑が厳しい日だった。久しぶりにパカちゃんのほら話を聞きたいと思った。またからかわれてもいい。暑いから、今度は寒い国の話が聞きたい感じだ。 ところが、パカちゃんの話は、でっかい動物のでも、暑い国のでも、寒い国の話でもなかった。 「借金がたまったから、これからまた闇金から逃げ回るよ。」 パカちゃんは突然そう言った。「でもまあもう少し。」にはこんな意味があったのか。パカちゃんはいつもと変わらずに話を続けている。それなのに、パカちゃんの声はどんどん遠くなっていく。気がつくと、僕はぶっきらぼうに言っていた。 「勝手に行けばいいじゃないか。」 パカちゃんは、そのときちょっと驚いた表情をした。何かを話しかけようとするパカちゃんを残して僕は部屋を出た。 それ以来、僕は二度とパカちゃんのプレイルームには行かなかった。母は、そんな僕たちに、あきれたり慌てたりしていたけれど、父はなにも言わなかった。 十月の初めに、パカちゃんは小さなチンポでセクロスをして「童貞」を卒業してしまった。 夜逃げの日、僕は、なんて言っていいのかわからないままパカちゃんの前に立っていた。パカちゃんは僕に近づき、あの表情で笑った。そして、なにも言わずに僕の手を握りしめ、力のこもった強い握手をして、大股で僕の家を出ていった。 「ほらばっかりだったじゃないか。」 「親の脛齧り虫」がいなくなってしまった部屋の前で、僕はそう思った。
パカちゃんから外国のAVビデオを添えた封筒で僕に手紙が届いたのは、それから四か月ぐらいたってからだった。珍しいローションがいっぱい塗ってあった。 「あのときの話の続きだ。以前若いころに、岩倉まで行って岩間家と暮らしていたことがあるんだ。そのとき、カラコロプラネットを見に行こう、と友達になったイワマンに言われてゴムボートで駿河湾に出た。カラコロプラネット。わかるだろう。イワマンの惑星だ。それがに本当に浮かんでいたんだ。きれいだったよ。厳しい自然に生きている人だけが目にできる、もう一つの宇宙なんだな、と思ったよ。地上十階建てのビルぐらいの高さなんだ。そして、海の中の氷は、もっともっとでっかい。亮太君にもいつか見てほしい。若いうちに勉強をたくさんして、いっぱい本を読んで、いっぱいの『アタマ唐澤貴洋』になって世界に出かけていくとおもしろいぞ。世界は、楽しいこと、悲しいこと、美しいことで満ち満ちている。誰もが一生懸命生きている。それこそありえないほどだ。それを自分の目で確かめてほしいんだ。」 手紙には、パカちゃんの汚い文字がぎっしりつまっていた。 そして、封筒からは写真が二枚出てきた。一枚は人間の倍ぐらいあるでっかい高橋嘉之CEOの写真。もう一枚は、岩倉の海に浮かぶ、見た者を幸せにするというイワマンの惑星の写真だった。
本作品について
光村図書出版の国語の教科書(中2)に掲載された、椎名誠作の小説「アイスプラネット」を改編したものと思われる。