→坂本総合法律事務所
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[[小西一郎|KNS]]曰く唐澤は実質10日しか来なかったという。 | [[小西一郎|KNS]]曰く唐澤は実質10日しか来なかったという。 | ||
=== {{wpl|坂本堤}} === | |||
(-さかもとつつみ) | |||
1956年4月8日生まれ。神奈川県立横須賀高等学校、東京大学法学部卒業。法律事務所の事務職員勤務を経て、1984年(28歳)で司法試験に合格し、第39期[[司法修習]]生を経て弁護士となり、{{Archive|http://yokohamalawoffice.com/|https://archive.ph/nqO5I|横浜法律事務所}}で勤務する。 | |||
1989年に{{wpl|江川紹子}}経由で[[オウム真理教]]に出家した信者の親たちの依頼を受け、教団と交渉を開始、また「オウム真理教被害者の会」を設立したのだが、1989年11月4日に'''[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧|教団の幹部]]らによって{{wpl|坂本弁護士一家殺害事件|妻(都子)と長男(龍彦)と共に殺害されてしまう}}'''。33歳没(墓所は神奈川県鎌倉市の{{wpl|円覚寺}}・{{wpl|松嶺院}})。 | |||
死因は窒息死であるとされており、教団は{{wpl|第39回衆議院議員総選挙|翌年に控える衆院選}}への悪影響を恐れて犯行に及んだとされている。3人の遺体は別々の場所に埋められたということもあり、捜査は難航した。事件から6年後の1995年に犯人からの自供から遺棄場所が判明する。 | |||
そんな忌々しい事件が[[唐澤貴洋]]の若き頃に起こっているので唐澤貴洋も知らないはずがないのだが、唐澤貴洋は'''[[尊師#大喜利で尊師を使用|嬉々として大喜利のネタで尊師と発言]]したり[[弁護士唐澤貴洋のCALL_IN_SHOW#課金するぞ_課金するぞ_課金するぞ_と言われないか心配です。|弁護士のアカウントでオウムスラングの改変を発信]]'''したりと'''弁護士倫理が著しく欠如した行為'''を平然としている。天国の坂本堤弁護士が実に気の毒である。 | |||
余談であるが、坂本堤弁護士は事務員時代に{{wpl|豊田商事破産事件}}管財人弁護士団を手伝っていたことがあり、妻の都子も[[宇都宮健児]]の事務員として管財人弁護士団に参加していたため、管財人弁護士団経由で2人は巡り会ったのである。 | |||
=== 嵯峨山定年 === | === 嵯峨山定年 === |