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2015年9月16日 (水) 19:38時点における版
Muno(無能またはムノなど、お好きな呼び方でどうぞ)と申します。ユーザー番号338です。私自身へのご連絡、ご意見などは利用者・トーク:呉鎮守府第101特別陸戦隊またはウィキメールをご利用ください。
改名にあわせシングルログインとしております。
自己紹介
- 初投稿は2004年12月4日 (土) 18:13 (JST) です。その後しばらくの休眠期間を経て2005年3月12日 (土) 22:57 (JST) から本格的に活動を開始しております。
- 2023年現在は福岡県福岡市在住。今のところ人生の半分以上を九州で過ごしております。
- 皆様のご信任をいただき、2008年11月25日に管理者となりました。よろしくお願いします。
興味のある事柄
ウィキペディア(ウィキメディア)での活動
データ
- ウィキペディア中毒テスト:264点・・・(2010年7月14日 (水) 17:02 (UTC))
- 実績らしきもの
自分が主に行う編集
基本的には鉄道・バスを中心とした公共交通に関する記事でのみ活動しております。記事の執筆、加筆、撮った画像のアップロード(コモンズ)などが中心。ほかに九州・山口の市町村の記事などにも手を出すことがあります。
詳細な活動記録は以下をご覧くださいませ。
写真
2007年10月以前はウィキペディア日本語版にアップロードしていましたが、それ以降はウィキメディア・コモンズへアップロードしております。ウィキペディア日本語版にアップロードした画像についてもコモンズへ順次移しております。
場合によってはすでにある画像を差し替えさせていただくことがございます。
たわごと
- 読者の要望・批判は尊重されるべきと思いますが、方針(五本の柱)から逸脱したものは別です。読者にとって有益な編集が方針に反するときは、方針を優先せざるを得ないでしょう。日本のメディアにいろいろな不満や嫌悪感はあるでしょうが、ウィキペディアは正しいメディアの姿を追求する場ではありません。
- ウィキペディアに載せられるかどうかと、その事物の重要性とは別です。
- たとえ非常に重要な事物・事象であっても、信頼できる情報源の出典がまったくないなど、ウィキペディアに載せられない場合もあります。
- 逆に取るに足らない、くだらない、百科事典に載せるようなものではなさそうな事物・事象であっても、出典がたくさんあればウィキペディアに載る場合もあるでしょう。
- 形式上は信頼できる情報源の要件を満たしていても、その種類や執筆者などによっては、「知識の乏しい人による不正確な記述が多い」「現実味のない荒唐無稽な記述が多い」などの理由で、一般的に出典として使うのは敬遠されている場合があります。
- 私も人間ですから、自分の個人的感情もありますし、思想信条もあります。しかしながら、ウィキペディアはそれらを露骨に出す場ではございません。
- ウィキペディアの方針に沿うためにやむを得ず右翼的/左翼的な記述の修正、あるいは明らかに社会正義に反する編集や管理権限の行使などを行う可能性がありますが、それは自分の個人的感情や思想信条その他を反映したものではありません。
- また「それはあなたの個人的な考えである」として記述を差し戻し/除去した場合、その考えには反対しているかもしれませんが、心底では賛同しているかもしれません(どちらにしても百科事典の記述には無関係なので賛成/反対は表明しません)。
- 自分がよく知っているもの、自分が強い関心を示しているものであろうとも、特筆性を根拠にした削除依頼を出す可能性はあります。「自分が知らないから削除依頼を出している」と決めつけないように。
- 「ぼくがもんだいだとおもった」は「問題になった」と同義ではありません。
- 何らかの形で「社会をよくしたい」との強い思いを抱いたり、またその思いを胸に実社会やインターネット等で活動されたりするのは自由ですが、ウィキペディアは「正義」ではなく「中立的な観点」「検証可能性」が重視される場です。たとえ真っ当な主張でも、それをそのままウィキペディアでぶつけることは基本方針に抵触することになるでしょう。そうした活動・主張をされている方におかれましては、その強い思いに突き動かされながらウィキペディアで活動するより、ウィキペディアのことは忘れ、他の場所で活動されたほうが幸せかと思います。いつか検証可能性を満たすようになり、誰かが書いてくれる日も来るでしょう。
- 大きな政治問題や社会問題に対して一方の立場を支持することを表明しつつ荒らしたりルールに反した投稿を繰り返したりした場合、その立場に対する心象は非常に悪いものとなります。
- あなたが長い間の実務・研究・各種活動などで知り、お書きになられた事柄が検証可能性や独自研究は載せないに反するとして消されることもあるかもしれません。こればかりは本当に申し訳ありませんがご理解いただきたく。
- 「百科事典として『○○○』の記事があったらいいのに」と思うことはよくあるけど、「○○○」に関する信頼できる情報源が存在するのかどうか確証が持てず、ウィキペディア内で大っぴらに言いにくいことが多い。
- 記事を読んで「えっ? なぜこんな常識的なことが書かれていないの!?」と思ったときは、それをうっかり安易に書かないように。それは常識的なようでも信頼できる情報源たる出典がない事柄の場合が多いです。正式に公表されていない事柄で、書くと削除される場合もあります(例:芸能人の本名とされる名前)。
- そもそもあなたより知識のある方がたくさん編集に参加しているにもかかわらず、それが書かれていないということはどういうことかじっくり考えましょう。
- 右寄り/左寄りの思想など、偏った思考をお持ちの方であっても中立的な観点を満たす編集は可能です。
- ただし、論争の存在する事柄について、論争が存在するという事実を冷静に受け止めず、どちらか一方の立場を「正しい」と信じ込んでいるのであれば、結果としてウィキペディアの方針に著しく反した振る舞いを行ってしまう可能性が高いと思います。
- 他者に中立性を要求する者は中立的ではない。
- 方針に賛同するなら誰でも書けるが、誰でも書ける記事に対する評価は低い。
- どんなに大多数が抱いていようと主観は主観。客観にはならない。どんなに合理的で大多数が納得しようと推測は推測。事実にはならない。
- 意見の主張はそのまま意見の主張として書かず、「○○は~と主張している」という第三者視点の書き方を。
- 一つの文にいくつも出典がついている場合は暗に意見の主張が入っている場合が多い。特に多数のニュース記事にリンクして「これだけ多い」と主張したがる人が多い。
- 何らかの問題から書き始める記事は(その問題を解決することを謳う)商品もしくはそれを製造販売している企業の宣伝である場合が多い。
- 因果関係について、一度WP:SYN(特に「ロックバンドのガガガガーは…」以下)、前後即因果の誤謬、擬似相関などを熟読してほしい人が多い。
- いかに合理的に思えても前後即因果や擬似相関はそれ以上のものではありません。
- 事件・事故の記事において、報道に関する記述はほどほどに。事件・事故そのものに関する記述より報道に関する記述が多い記事は論外。ウィキペディアは報道研究の場ではない。
- 個人がYouTubeやニコニコ動画などの動画投稿サイトにアップロードしたテレビ番組の動画は出典になりません。無許諾でのアップロードであり著作権侵害という犯罪行為になる場合が多いですし、意図的に捏造・改変したものをアップロードしている可能性が絶対にないとはいえませんよね? あなた自身は捏造をしていないことを認知しているとしても、あなたがいくら「捏造していない!」と言ったところで信頼性はありませんし、見る側はそれを確認する手段を持ちません。
- 個人サイト・ブログに載せた新聞・雑誌等の記事の引用文やスキャン画像も出典になりません。これも上記同様に意図的に捏造・改変している可能性が絶対にないとはいえないので。上記と異なり、見る側に確認する手段がまったくないわけでもないでしょうが、手間がかかりすぎます。
- 「隠蔽」と言われた編集が本当に「隠蔽」というべき編集だったのを見たことがない。
- 逆に本当に「隠蔽」というべき編集が「隠蔽」と言われたのも見たことがない。
- 「一方的に消すな」「ノートで議論を」という人は本当にノートで話し合ったら自分の主張をただただゴリ押しするだけ。いつまでも納得しない。
- ネット上に出たとされる(ひょっとしたら執筆者が捏造したのかもしれない)無名の大衆による批判より、名前と権威と知識と経験があり関連的なことに精通している批評家・批判者による批判のほうがよっぽど重要。たとえそれが部外者から見て的外れであっても。
- 自分に都合のいい答えの「科学的」「論理的」な主張は本当にすばらしく感じるものです。しかし、一般社会に広く認められない限り、あくまでも「そういう意見が存在する」以上でも以下でもありません。
- ウィキペディアの記事は自分の意見を述べる場ではない。
- 「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください。」(Wikipedia:エチケットより)
- 自分自身があまりにも強く賛成・共感している事柄、逆にあまりにも強く敵視・憎悪・否定している事柄、あまりに深い関心を持っている事柄については、出典があっても書かないほうがいいでしょう。
- 自分がある程度の距離を置いている事柄であれば、出典をあたって書いていけばある程度の中立性は保てます。
- 逆に、自分があまりにも情熱を持っている事柄では、出典をもとに書いているつもりでも…
- 偏った出典ばかり使っているため、偏った内容になる。
- 書いているうちにいつの間にか自分の思いがにじみ出たりして、独自研究のようなそうでないような極めてもやもやした文章になる。
- こういうのはなかなか消しにくいのですが、ウィキペディアの質を落とすことになるのでやめてほしい。はっきり言ってグレーな独自研究。
- 自分自身があまりにも強く賛成・共感している事柄、逆にあまりにも強く敵視・憎悪・否定している事柄、あまりに深い関心を持っている事柄については、出典があっても書かないほうがいいでしょう。
- 「ウィキペディアは100%正確ではない」「読者が正確性を判断すべき」は記事を書く側がおおっぴらに言うことではない。ましてや怪しかろうが独自研究だろうが好き放題書くことを許されるための魔法の言葉ではない。
- 「この世からなくすべき有害な事物・人物」だからといって、その事物・人物の記事を削除依頼に出さないように。
- 初心者とおぼしき方(IPユーザー含む)にこういうことをする方が意外におられます。
- 賞賛ばかりの記事どころか、批判で埋め尽くされた記事さえも受容できないほどに存在を抹殺したいのか、それとも検証可能性を守ると賞賛ばかりの記事にしかならないのか…。
- 日本語版は日本版にあらず。英語版はアメリカ合衆国版にあらず。フランス語版はフランス版にあらず。スペイン語版はスペイン版にあらず。
特筆性を根拠として記事が削除されそうなとき、削除されたとき
- もしあなたがお作りになられた記事が独立記事作成の目安(いわゆる特筆性)を根拠とした削除依頼を出された場合、あなた自身が他の方を納得させる形で特筆性を証明するのは難しいと思います。
- 当然のことながらあなた自身は「これは百科事典に特筆されるべき事物である」と思って記事を作ったわけですよね? それにもかかわらず特筆性を示せていないという事実を認識すべきでしょう。
- 作成者自身は削除依頼でむやみに発言しないほうがいいと思います。どうしてもというなら、一度で相手を納得させられるだけの説得力のある発言をお願いします。削除票が出るたびに様々な理由を付けて何度も何度も繰り返し存続を訴えれば訴えるほど、逆に存続の可能性は下がるでしょう。
- 削除された記事でも、適切な改善がなされた場合、またはその記事の記述対象たる事物に対する状況の変化が生じてその事物が百科事典に記載されるべきものとなった場合、記事は再作成できます。そうして復活を果たして発展している記事もたくさんあります。
- 削除したからといって、その事物の百科事典的価値を永久に否定したわけでもありません。ましてや、その事物を葬り去るべきなどとはまったく考えておりません。削除された場合でもあまり気を落としたり、削除した管理者を恨んだりしませんように。
- まずは記事を改善することを試みましょう。ウィキペディアとは別に記事の原稿を保存していれば、その原稿までも消されるわけでもありませんし。
- ただし何の改善もなしに記事を再作成すると即時削除されます。
- 非常に重要な事柄であるにもかかわらず、様々な報道事情により情報が不十分で十分な出典が得られず、削除のやむなきに至ることもあるかもしれません。そのようなことがあった場合、それはウィキペディア側ではなく、報道を十分にしない側が非難されるべきです。本当にその事柄に本当に強い関心があるのなら、現実世界で様々な活動を行い、もっともっと世に広く知らしめてから再作成することをお勧めします。これが最も発展的ですばらしい手法です。信頼できる情報源でない情報源をいくら使ってもダメですが、頑張れば信頼できる情報源に取り上げられるかもしれません。
- ただし、「将来的に百科事典に記載されるべきものになるだろう」というのは受け入れられません。
- まずは記事を改善することを試みましょう。ウィキペディアとは別に記事の原稿を保存していれば、その原稿までも消されるわけでもありませんし。
- ただ単にその事物について取り上げている新聞記事、雑誌、ウェブサイト(ニュースサイト)を羅列しただけでは特筆性の証明になりにくく、他者を納得させられない場合が多いでしょう。
誰もが知っている言葉と、いわゆるケースE案件について
注:ケースE案件=削除の方針ケースEの抵触が指摘された削除依頼。
- 誰もが知っている言葉を記事化することについて、いかなる概念であるか、どういった歴史を経てどのように使われている(いた)のか、出典を付けて説明できるなら百科事典であるウィキペディアの記事として有用ですが、語義以外の事柄を出典付きで説明できない言葉は「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」であり、ウィキペディアではなくウィクショナリーで扱うべきと考えます。
- いかなる記事であれ、全文が完全に独自研究で構成された記事は原則的に削除対象です。
- 誰もが知っている言葉は出典のあるまともな記事に改善できる可能性があるので、削除依頼を出したときには意見が分かれるようです。
- 個人的にはもし削除依頼を出した後に実際に改善がなされれば早急に削除依頼を取り下げ(削除票を存続票に切り替え)、存続させるべきですが、実際に改善がなされなければそのまま削除すべきと思います。
- まともな記事に改善されなくとも、「まともな記事に改善できる可能性がある」というだけで存続を主張する方もおられるようです。
- なお、独自研究を理由に削除されたのち、削除された後に出典のあるまともな記事として再作成された場合、その記事は削除対象にはなりません。
- 誰もが知っている言葉は出典のあるまともな記事に改善できる可能性があるので、削除依頼を出したときには意見が分かれるようです。
速報について
- 速報自体は「速報であることを理由に」否定しない。
- しかし、速報を書くときにその事柄に対してウィキペディアでの執筆に必要な冷静・中立的・客観的な姿勢を保つのは難しいと思う。
- そして、その姿勢を保てないためと思しき以下のような事態が頻発するにつれて速報に対する心象も悪くなっていく。
- 情報が混乱中の速報的な記述
- わずかな文章と出典のURLを書いただけで、カテゴリを付ける、スタイルを整えるといったことをいっさいしていない記事
- よほど「一番乗り」で投稿したいのであろうか。
- 「遺族が泣き崩れ悲しみと怒りをあらわにしていた」「誰某(事件と無関係な有名人・政治家)は『○○』とコメントした」など、事件・事象を説明するのに何の役にも立たない取るに足らない事柄の記述
- 「起こったばかり」「現在進行中」のことは何もかもがとてつもなく重要なことに見えるものです。
- 主観を入れた独自解釈的な内容の記述
- 助詞の使い方がおかしいなど、まともな日本語になっていない文章の記述
- 「書きたい!書きたい!!」という気持ちが強く前に出過ぎているときにまともな日本語を書くのは難しいものです。
- 著作権侵害(ニュース記事の転載など)
- プライバシー侵害(被疑者・被害者の氏名記載など)
- 編集合戦
- 事件・事故・災害から長期間経過し、他の出来事が発生したとたんに放置
- 新規アカウント、もしくはそれまでほとんど活動していなかったアカウントによる記事作成・編集
- いちいち事件ごとにアカウントを使い分けて記事を書かないように(しかもアカウントの使い分けを知らせずに)。
- 事件の内容には大して関心を示さず、事件の報道に関することにやたらと興味を示す
- ウィキペディアは事件に関する報道について記述するものではなく、事件そのものについて記述するものです。
- 速報に対する制限に反対の声を唱える人々はこの冷静・中立的・客観的な姿勢を保てる人なのだろう。その確固たる姿勢を保てるからこそ、自信を持って反対できるのだろう。
過去の(ウィキペディアが世に出る以前の)諸問題の記事はスカスカ、現在(数年前以降)の諸問題の記事は報道をただただ垂れ流すだけ、という状況を改善できれば速報に対する心象もよくなりそう。
まあしかし、ウィキニュースでニュースを書くのはつまらないのに、ウィキペディアでニュースを書くことはとてつもなく楽しいと思う人も多いのだろう。なぜだかわからないが。
宣伝について
- Wikipedia:即時削除の方針#全般4「宣伝」は営利目的の事物でなくても適用されます。純粋にこの国を少しでも良くする気持ちで活動しているであろうボランティアや活動家、有益にして無料の品物、その他何か無償のモノ・サービスであっても同じです。
- 関係者による売名・広告宣伝ではなく、それをよく知っている第三者が「これは百科事典に特筆されるべきものである」と信じて書いた場合、「宣伝」とみなすかどうかは意見が分かれるようですが、宣伝とみなされて削除されてもやむを得ないでしょう。
- 逆に、明らかに特筆性があるにもかかわらず、内容が完全な宣伝になっている場合も削除すべきかどうか意見が分かれるようです。
- 「どの点が『広告・宣伝』に該当するのか具体的に指摘してほしい」という声をいただくことがありますが、「広告・宣伝」と判断した根拠を指摘された場合、ただ単にその根拠を排して再投稿しただけで「広告・宣伝」でなくなるわけではありません。
- 特に、会社名、その会社の代表者名、商品名と同じ名のアカウントでその会社や商品を宣伝する記事を作った場合、「アカウント名が一致する」という理由で「広告・宣伝」と言われることが多いと思いますが、アカウント名を変更すればいいというものではありません。
- 「宣伝」とは良いことを広めようとするだけではなく、悪いことを広めようとするのもまた「宣伝」です。
- 組織・人物の悪行や商品の悪評を世間に知らしめる意図で記事を書いた場合、それもまた「宣伝」となるでしょう。
- ある企業や団体が宣伝記事を作ったからといって、その記事にその企業や団体の不祥事を加筆するのは、改善にはなりません。
- 精神論的で恐縮ながら、あなたが何かの組織・人物・商品を宣伝しようという気持ちでそれの記事を作るのであれば、いかなる小細工をしようとも宣伝記事になると考えたほうがいいでしょう。
カテゴリ・リダイレクト
- 「よく知られている通称 → あまり知られていない正式名である記事名」へのリダイレクトは有用だと思う。
- 「あまり知られていない通称 → よく知られている正式名である記事名」へのリダイレクトにはあまり有意義性を感じない。
- 「厳密な定義」と「一般的な認識」に大きな乖離があるものはカテゴライズしてもあまり有用でないのではなかろうか。たとえば「犯罪者」など。
人物の記事(主に存命人物の記事)
- 存命人物の記事はその性質上、情報源が本当に存在しない記述なんてものは禁止でもあるが、それ以前にそんなもの(物理的に)作ることはできないんじゃないかなあ?
- あるとすれば
- 執筆者の妄想
- 本人とごく親しい・近しいなどで、本人から直接話を聞く
- 独自に本人を追跡調査
- 1.は豊かな想像力が必要、2.は本人との強いコネが必要、3.はものすごい行動力・情報収集能力が必要。どれもありえなくはないが通常の人では考えにくい。とするとあとは「情報源が存在するが信頼できる情報源の要件を満たしていない」パターンか。
- あるとすれば
- 性質上、すべての発言が検証可能性を満たす発言(公式な場での発言、本人のブログ・ツイッター・フェイスブック等での発言)を記載する場合に要求される条件は3通り考えられる。
- 無条件
- 発言をした事実を示す第三者出典が存在する
- 発言に対する評価を示す信頼できる情報源が存在する
- 1.は「ボクが重要だと思った」というだけで書き放題ということになるが、百科事典としてそれはちょっとどうかなあ。
- 無論、発言を独自解釈することは禁止である。
- 一般的に「○○ ⇒ △△」が成立するような事柄であっても、「○○」と発言したことを理由に「△△」と書くのはNG。
- そもそも、公式な場での発言や本人のブログ・ツイッター・フェイスブック等での発言はその場の状況・雰囲気・空気などに合わせている場合もあり、その人物の基本的なスタンス・人間性を示すものではない場合が多いので、人物の説明にはあまり使えないような気もする。
- 人物の行動や言動について「批判を浴びた」「非難を受けた」といったようなことを書く場合、その行動・言動を示す出典だけでなく、「批判を浴びた」「非難を受けた」ことを示す信頼できる情報源の出典が必要。たとえ誰が考えてもとんでもないと思えるような行動・言動であろうとも。
- 存命人物で本人自身(あるいは本人の代理者)がウィキペディア上でウィキペディアに不利益をもたらす行動や言動をした場合でも、ウィキペディア以外の出典が必要。ウィキペディア自身は信頼できる出典にならないので。
- 「万死に値する唾棄すべき存命人物」の記事について。
- あなたの思いはわかりますが、そんな人物の記事でもWikipedia:存命人物の伝記は必ず遵守してくださいませ。そんな人物の記事に対してなされた「正常な感覚に基づくものだが不適切な」編集を差し戻したからといって、その人物を支持しているなどと勘違いなさらないように。
- 逆に「こんな奴は百科事典に載せるな!」などといっていきなり削除の方針を完全に無視した削除依頼を出すのも勘弁してくださいませ。
個人・組織の違法行為の記述
「○○は~という違法行為をしている」ということを書く場合に必要な出典は2つ考えられる。
- 「○○は~をしている」(違法行為であるとは書かれていない)出典と、「~をすることを禁ずる」「~をした場合は罰せられる」旨が書かれている出典(主に法令の条文)
- 実際に○○のその行為を直接的に「違法行為」と書いている出典
- 「○○が違法行為をしている」ことを「特定の観点の主張」ととらえるなら1.は特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に該当するので2.でなければならないということになるだろう。「特定の観点の主張」と解釈しない場合は1.でもいいかもしれないけど、基本的に2.のほうが妥当な気がする。
- しかし、「○○は~という違法行為をしている」と書かなくとも「○○は~をしている。~は××法**条により禁止されている。」と書けば実質的に「○○が違法行為をしている」ということを主張できるのでは?
たまたま実例になる編集をした人がいた。ここで取り上げてるのはこういう感じの記述のこと。
「訴訟を起こした」ことの特筆性
人物・団体・組織について「○○に対して訴訟を起こした」ことは特筆に値することなのだろうか?「ない」とも「ある」とも考えられる。なお(少なくとも日本では)どんなくだらない訴訟でも情報源は存在する以上、「出典がある」という理由は特筆に値するかどうかを検討する材料にはならないものとする。
- 「ない」
- 理論上はどんなくだらないことでも訴訟を起こすことが可能(たとえば「飼い猫を乾かそうとして電子レンジで加熱したら死んでしまった。取扱説明書に『ネコを乾燥させてはいけません』とは書かれていない」でも訴訟を起こすことは可能である)。
- 情報源が信頼できる情報源の要件を満たすかどうか怪しい場合が多い。
- 「ある」
- 日本では訴訟の敷居が高く、実際にはあまりくだらないことで訴訟が起こされることは少ない。
- メディアに取り上げられている以上、その訴訟は何かの社会問題に一石を投げかけるものとみなされていることになる。
なお、当人の強い信念によりあまりにもくだらない訴訟が起こされた場合、「くだらないけど面白い、ちょっと考えさせられる」といった理由で特筆に値する場合もあり得よう(例:新幹線運賃差額返還訴訟、近鉄特急料金訴訟)。
「何も発表されていない」「何も取り上げられていない」「証明されていない」などの検証可能性
何かの話題・問題について公式サイト・その他公表された物などで何らの発表もない場合「○○については何も発表されていない」は検証可能性を満たすといえるのかどうか? 「○○で取り上げられていない」といったような場合も同様。
- 公式サイト(あるいは公表物・議事録など)を逐一つぶさに見れば確認可能だが、具体的にピンポイントで出典を示すことは性質上不可能。
- 公表物・議事録などを逐一つぶさに見るのはとてつもなく面倒だし、方針上適切といえるようかどうかも微妙である。
- 往々にして「本来は取り上げられているべき」「取り上げないことにより隠蔽している」「問題なのにスルーしている」「根拠がないのでウソである」などの執筆者独自の主張が入り込んでいる可能性がある。
- もちろん、明確に「何らの発表もない」と書かれた出典がある場合は別である。
- 最低限「その話題・問題自体の存在が信頼できる情報源により示されていること」が条件であるはず。そうしないと事実無根の話題・問題を勝手にでっち上げて「(その話題・問題について)何も発表されていない」と書けることになってしまう。
- 「存在を証明できない」ことは「不存在を証明する」ことにはならない。
- 「存在を証明できない」より「不存在を証明する」ほうがはるかに困難である。
- 「存在を証明できない」ことを「不存在を証明する」ことと同じことと思い込んでしまった人を説得することもこれまたとてつもなく困難である。
- 「『ない』ことを証明するのは困難なので、『ある』と主張する側が『ある』ことを証明できない以上、『ない』ことを証明したのと同じ」というのは実証する場合の話。ウィキペディアは実証するのではなく出典を示すものである。「ない」ことを実証するのは無理だが、「ない」ことを示している出典を示すことはできるだろう。
- STAP細胞騒動の余波があるが、科学界の考え方とウィキペディアの考え方は違うのである。
- 関連して気になる論争--2014年6月10日 (火) 00:56 (UTC)
「世界一」「世界初」「日本一」「日本初」の検証可能性
「世界一」「世界初」「日本一」「日本初」「戦後初」といったようなことを書くのは楽しいだろうが、それはすなわちそれを上回る例、もしくはそれより古い例が「存在しない」ことであり、上記の「『何も発表されていない』『何も取り上げられていない』ことの検証可能性」と似たような問題があるように思う。
- 基本的に「世界一」「日本初」などを明記している出典が必要になるだろう。
- 個人的にはそれを上回る/古い例の不存在を確実に証明できればまあいいのではとも思うが、これとて甘いかもしれない。厳しい考え方をすれば「新しい事実を主張する」ことであり、認めるべきではないという人もいるだろう。
- 単にそれを上回る/それより古い例の存在を証明できないだけで不存在を確実に証明できないのであれば認めるべきではないだろう。
「~が多発している」ことの検証可能性
「~が多発している」ということを書くときにどういう出典を用意したらいいか?
- 「~が発生した」ことを示す出典を多数用意する
- 「~が多発している」と直接的に書いている出典を用意する
厳しい目で見れば2.かなあ。こういうのを書きたがる人に限って1.の方式で書こうとするだろうけど。
特定の観点を推進するような、発表済みの情報の「並列」
(未執筆)
アーカイブサイトの利用
ウェブアーカイブ。記事の内容を充実させるためにはぜひとも使いたいし、かといっていろいろとリスクもあるようで悩ましい。
「誰かの手によって意図的に保存される」という点が悩みどころ。ウェブ魚拓を存命人物の記事に使う場合、「当人が過去に公開していても現在は非公開化を望んでいる情報を、第三者が当人の意思に反して公開する」ということにもなってしまう。
出典のある記述を消すことについて
「出典のある記述を消してはいけない」と主張する人は多数見受けられる。しかしこれはどういう方針に基づいているのか不明。
- 出典がある記述を除去する理由は2つ考えられる。
- 出典があるといえども、百科事典に載せる価値がない(よりよい百科事典を作るための除去)
- 自分の主張を述べるにあたり都合が悪い(特定の観点を推進するための除去)。
- ウィキペディアの目的は「出典のあるすべての事象を蒐集すること」ではなく「百科事典を作ること」のはず。百科事典として無意味な記述であればたとえ出典があっても消されるのはやむを得ない。1.は考え方としては真っ当だろう。
- 逆に言えば「出典のある記述を消してはいけない」と主張するのではなく、「その記述が百科事典に載せるべき有用な記述である」すなわち「それを書くことにより、百科事典の記事としての質がより高められる」ことを説明すればいいんじゃなかろうか。
- 実際に出典がある記述が消される場合、1. が理由であることのほうが多いと思う。
- 「出典のある記述を消してはいけない」と主張する人は2. としか受け取ることができないように思う。
- 明らかに2. と思しき除去も見受けられるが、その場合もまずは「その記述が百科事典に、そしてその記事に載せるべき有用な記述である」ことを説明するのが筋だろう。そうすれば2. であることが自然に露呈するはず。
- 活動内容や他者への対応がまともと思える人が「出典のある記述を消してはいけない」と主張しているのを見たことがない。
- まともなことを書く人なら上記のようにまず「その記述が百科事典に、そしてその記事に載せるべき有用な記述である」ことを主張するはずで、「出典があること」をわざわざ主張しないだろうから。
- そもそも、自分なりに「その事象は百科事典に書かれるべき事柄である」と思ったから百科事典に書いたはずなので、そう思うに至った理由を説明できるのが当然。「出典があるから」という理由だけではそうは思わないはず。百科事典は出典のあるすべての事象を蒐集する場ではないのだから。
- でも、なんでもかんでも消さないでね。
- 今まで述べたことは除去する側にも反対のことが言える。つまり「その記述は(たとえ出典があっても)百科事典に載せる価値がない」ことを説明すべき。
なおWikipedia:荒らしにある「不当な白紙化」の文言に基づいているのかもしれないが、あれは全文を読む限り「如何なる理由があろうとも出典のある記述を消してはいけない」というのは誤読であろう。
ちょっと気になる方々
- 以下の傾向のある人は執筆・編集した記事の記述対象の事物に関して専門的知識や実務経験や強い関心があるのだろうと思う。有益な内容の加筆が大いに期待されるが、その反面、「書きたい!書きたい!!」という気持ちが強く前に出ている状態である場合が多いため、独自研究を書いたり、中立性に欠けたり、宣伝的なことを書いたり、他者との対話の必要性が生じたときに対応に問題を生じたりする懸念もある。
- 利用者ページを作らない。たぶんそんなものに関心が向かない。
- 初投稿が高度な専門的知識を要する執筆。
- ある程度の大きさを持ち学術的・実務的知識を要する記事の新規作成。
- 既存記事に対する新たなテーマの加筆・改稿。
- 一つの記事しか編集しない。他の記事を編集したとしてもその記事へのリンクなどのみ。
- 何らかの一つの事柄に関連する記事しか編集しない(「日本」「政治」「鉄道」など、あまりにも広範囲にわたり漠然とした事柄は別)。
- 連続投稿が非常に多く、記述内容の増加を伴わない連続投稿も見られる。
- 細かいこだわりを持ちつつ繰り返し投稿するためか。
- 定義文を書かない。冒頭からいきなり説明を書き始める。
- 丸付き数字、括弧付き数字、句点としてのコンマ、読点としてのピリオドなど、表記ガイド外の表記法を用いる。
- これ自体(特に句読点に関して)は目くじらを立てる必要もないとは思う。その執筆者ではなく、そのように日本語の書式が不統一であることが悪いのであって、そのために執筆者に不愉快な思いをさせたくない。
- とはいえ、その人が新しく作った記事であればともかく、既存の記事を加筆・改稿したときに、元の表記法を無視したり、元の表記法をわざわざ書き換えてまで異なる表記法を使う人はどうなのかなとは思う。論文を書いているなどで、よほどその表記法に慣れきっているのか。
- 「我が国」という表現を用いる。
- 日本の法令や社会事情などに基づく記述をする。
- いきなりコピー&ペーストで記事名を変更する。
- 知らずにやっているとは思うが、記事を削除しなければならなくなるのでご遠慮いただきたい。
- 2桁以上の数字を半角で書き、1桁の数字は全角で書く人は何十年も前から文書を作成している方なのだろう。
- あと、こういう人はどうなのかな…とも(あくまでも全体的な傾向としての話ですが)。
- 英数字をすべて全角で書く人。
- 利用者ページが「白紙」の人。
- 利用者ページに数文字から十数文字程度の文字列・文章しか書いていない人。
- 新しい事件が発生したとき、あるいは新しい事象・言葉が生まれたとき、わざわざ新規アカウントを作ってそれらの記事を新規作成する人。
- 普段は活動しないのに、新しい事件が発生したとき、あるいは新しい事象・言葉が生まれたときだけ急に活動的になってそれらの記事を新規作成する人。
- 会話ページを過去ログ化せず除去していいのかどうかは議論が分かれるようであるが、ルール上はともかく、活動内容や他者への対応がまともと思えるユーザーがこの行為をするのをいまだかつて見たことがない(明らかな荒らし・誹謗中傷・個人攻撃などを除く)。
- 他人の意見に反対するのはいいけど、他人の意見を「無効」と言う人は何様?(規定投稿数を満たしていないなど、明確化されたルールに基づく場合は除く)
管理者立候補における投票について
- 反対票が賛成票の3倍の力を持つシステム自体はウィキペディアの基本的な考え方からして妥当だろう。
- しかし、どれだけその候補者が管理者としてふさわしくないか他者にキチンと説明することなしに、1人で3人の賛成者の意見を否定するような強力な票を安易に入れる気にはならない。私自身は。
- 確固とした理想の管理者像があって、立候補する人がそれに叶わない人ばかりというのであれば、妥協するか、自分で理想の人を見つけて交渉して推薦するか、自分自身がその理想像を実践して立候補するといいんじゃないかなあ。
秀逸な記事・良質な記事とは
- 秀逸な記事・良質な記事は、あくまで「百科事典の記事として秀逸・良質」かどうかが問われるべき。そもそも百科事典は百科事典であって、専門書ではない。
- 秀逸な記事の目安の一つに「詳しくない読者にもその主題について理解できるように、わかりやすく書かれている」というのがある。
- したがって、「あまりに高度に専門的な観点での正確性」と「わかりやすさ」が共存しない場合、「わかりやすさ」を犠牲にして「あまりに高度に専門的な観点での正確性」を追求することは必ずしも求められているわけではない。
- むしろ逆に「あまりに高度に専門的な観点での正確性」を多少犠牲にしてでも、「わかりやすさ」に配慮したほうがいいかもしれない。
- 専門家は「あまりに高度に専門的な知識を当たり前に知っている」がゆえに、「詳しくない読者」の存在を蔑ろにすることも考えられる。
- 専門家が記事を書く場合「詳しくない読者にもその主題について理解できるように、わかりやすく書かれている」ような記事を書けるものかどうか。
- 専門家が記事を評価する場合「詳しくない読者にもその主題について理解できるように、わかりやすく書かれている」記事を見分けることができるのかどうか。
日本・日本語・日本人・日本文化とウィキペディア
- 日本語版のウィキペディアンとは、日本語という、「異なる考え方を持つ人との間の、文章だけによる正確な情報伝達・コミュニケーション」にまったく適さない言語でもって、「異なる考え方を持つ人との間の、文章だけによる正確な情報伝達・コミュニケーション」を実現させようという壮大な実験を試みている集団です。
- 日本語では深く掘り下げた内容の表現に関して「正確性」と「(特に専門外の人への)わかりやすさ」はまったく両立しない。完全に相反する。
- 質問サイトなどにときおり見られる「ウィキペディアで調べても意味がわからない」といった書き込みは百科事典という以上、わかりやすさよりは正確性をとる執筆者が多いということなのでしょう。各執筆者の文章能力・構成能力等の問題もあるとしても。
- もっとも、その「わかりやすさ」はあくまでも「現代の日本社会に生きる日本人にとってのわかりやすさ」と割り切ればそれまでかもしれない。
- 日本語では言葉の一部を切り取ったり、言葉の配列を変えたりするだけでも意味・主張が異なる場合が多い。かといって、全文引用するのも様々な問題で難しいし、「全文引用していない=作為」と決めつけるのもどうかとは思う。
- Wikipedia:善意にとるも重要な手段のひとつでしょう。
- 日本語の単語の意味は時代とともに変化していく。
- 最近のこの国の社会情勢のめまぐるしい変化は様々な新しい言葉を次から次へと生み出す。その多くは時代とともに人の語彙から消え去っていくが、ウィキペディアではそういった言葉も保存される。
- 日本語では深く掘り下げた内容の表現に関して「正確性」と「(特に専門外の人への)わかりやすさ」はまったく両立しない。完全に相反する。
- 日本民族は日本列島という他のどの地域とも異なる気候風土の中で、日本語という他のどの言語とも異なる言語を用い、2000年以上の長きに及ぶ激動的な歴史を積み重ね、他のどの民族とも異なるまったく独自の文化と価値観を構築してきた集団。それを頭ごなしに否定してもしょうがないでしょう。たとえそれが非合理的でバカげたことであろうとも。
- そして、そういった価値観を持つ集団でもいい百科事典は作れるんじゃないですかね。
- しかし、日本民族といえども日本民族独自の価値観を(部分的にでも)否定している人の参加も歓迎されますし、日本版ではなく日本語版なので、他民族の人の参加ももちろん歓迎されます。
- 「日本語ができない人の参加はお断り」という主張を見かけるが、「日本語ができる人」とはどのくらいのレベルで日本語に精通している人なのだろう?
- 日本語という言語は本質上、たとえ母語としていても100%完全に習得できることは考えられない言語である。
- しかし、「普通に読んで理解できるレベルの文章」は存在する。
- 本来は誤用・誤った意味であっても、年齢層を問わず定着しているとみなせる言葉を用いることは問題ないと思う。
- 例:
- 確信犯
- 敷居が高い
- 恣意的
- 最も…なものの一つ(元々は英語の“one of the (最上級) (複数形)” を日本語で表現するために作られた熟語である)
- 定着するということは、そういう意味の言葉を用いる必然性が生まれたということなのだから。そしてその必然性は、日本という国の激動の歴史が生み出したことなのだから。
- これをどうしても拒否するなら、文章の意味合いを変えずに代替できる表現を使ってください。
- 例:
- 学術的な意味と社会一般的な認識による意味が大きく異なる語は、社会一般的な認識による意味に合わせたほうが揉めないと思う。学術的な意味で使う場合は十分な配慮を。
- 例:暴力、放射能
- 日本語はたった17文字ですばらしい文学作品を作ることができ、たった140文字の中に濃密な内容を盛り込むこともできる言語ですが、百科事典という場で使う場合はまったく別の使い方が求められるのでしょう。
信頼できる情報源とは
- 「信頼できる情報源」とは「自分が主張したいこと、強く共感できることが書かれている情報源」ではありません。
- 「信頼できる情報源ではない情報源」とは「自分にとって都合の悪いことが書かれている情報源」ではありません。
その他
- くどいですが私の編集、管理行為、その他ウィキペディアにおける一切の活動は個人的感情や思想信条・民族的性質その他とは無関係です。
- 時として編集や管理行為が個人的感情・思想信条・民族的性質などを映し出す「ように見える」この国の国情では理解されないことかもしれませんし、またそれゆえに他者から敵対視されるのは仕方がないかもしれませんね。
- 自分の側からは他者を敵対視しないように努めております。
- 聖人君子ではなく未熟な人間ゆえ「絶対に敵対視しない」とまではいいきれませんけれど…。
(以下追加予定)
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参考:⇒Wikipedia:ウィキバンク
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2005/11/28 | 1 | 21 | 11月月間感謝賞(Taisyoさんより) | |
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