「炎上」の版間の差分
>Ostrich (トークより) |
>恒心教調査部調査課長 細編集の要約なし |
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唐澤貴洋は『[[炎上弁護士]]』(128ページ)において、「炎上」を次のように定義している。 | 唐澤貴洋は『[[炎上弁護士]]』(128ページ)において、「炎上」を次のように定義している。 | ||
これまで、私の身に起きたインターネットによる炎上現象の話をしてきましたが、そもそも、炎上の定義について、私の見解をお伝えしたいと思います。 | これまで、私の身に起きたインターネットによる炎上現象の話をしてきましたが、そもそも、炎上の定義について、私の見解をお伝えしたいと思います。 | ||
私が考える炎上の定義は、「[[誹謗中傷]]などの権利侵害行為や、違法とは評価できない批判行為を繰り返すこと」です。 | |||
通常「炎上する」と批判を受ける側を主語にするのだが、唐澤貴洋はなぜか批判することを「炎上」としている。また、「炎上に加担する」という意味で「炎上行為」という語を多用する。 | 通常「炎上する」と批判を受ける側を主語にするのだが、唐澤貴洋はなぜか批判することを「炎上」としている。また、「炎上に加担する」という意味で「炎上行為」という語を多用する。 | ||
2020年9月3日 (木) 12:02時点における版
炎上(えんじょう)とは、何らかのきっかけで特定の個人や法人・団体が主にネット上で激しい非難にさらされる事である。個人の場合でも有名人・一般人を問わない。 日本だけでなく世界中で炎上は起こっており、アメリカでは死亡者も出ている(Jessi Slaughter事件[1])。「炎上 (ネット用語) - Wikipedia」も参照。
恒心教における炎上
恒心教自体が唐澤貴洋と長谷川亮太の炎上そのものといえる。長谷川亮太の特定された2012年3月7日を基準とすれば、12年以上継続しており、一般的な炎上と比較して非常に長期である。NHKのテレビ番組『逆転人生』でも「ネット史に名を残す最大級の炎上」とされている。
かつては両者の炎上のうち片方が活性化する時期が交互に到来し、ターン制と呼ばれていたが、現在主となっているのは唐澤貴洋である。
実在の弁護士をイジる関係上、恒心教に大なり小なり接点を持つ人物は多いが、その中でヘイトやネタを蓄積させて唐澤や長谷川とは別個にコンテンツ性を獲得し、外伝主人公として炎上する者もいる。この炎上は基本的にメインとなっている唐澤貴洋の炎上と語録や嫌がらせ手法を共有するなど関係が深く、騒動の持続発展に大きな役割を果たしている。
唐澤貴洋による定義
唐澤貴洋は『炎上弁護士』(128ページ)において、「炎上」を次のように定義している。
これまで、私の身に起きたインターネットによる炎上現象の話をしてきましたが、そもそも、炎上の定義について、私の見解をお伝えしたいと思います。 私が考える炎上の定義は、「誹謗中傷などの権利侵害行為や、違法とは評価できない批判行為を繰り返すこと」です。
通常「炎上する」と批判を受ける側を主語にするのだが、唐澤貴洋はなぜか批判することを「炎上」としている。また、「炎上に加担する」という意味で「炎上行為」という語を多用する。
自分の炎上で「違法とは評価できない」ラインを軽々と越えた嫌がらせ[2]を散々受けているにもかかわらず、わざわざ違法でないことを定義に加える必要があったのかというのも大変理解に苦しむ点である。もっと言えば他人に誹謗中傷を加える時点で名誉毀損罪や侮辱罪など刑法に抵触する可能性がある。
『そのツイート炎上します!』(6ページ)では
「炎上」とはなんでしょうか。 インターネット上の炎上とは、ひとことで言えば、「インターネットユーザーが行った投稿が集まった様子」を表します。 多くの投稿が集まる、その現象が「炎上」と表現されるのです。
と、「批判を受ける」という部分を外し、さらに的外れな定義をしている。
良い意味合いで(面白い絵を描くなどして人気が出るというように)大きな話題を集め拡散されることは一般的に「バズる」と表現される[3]。批判を受けることを要件から外すという定義をしたからには、『そのツイート炎上します!』において世間的に「バズる」にあたるケースも論じているのかと思いきや、実際は批判や誹謗中傷を受けた話ばかりであり噛み合っていない。こういった定義をした理由は不明。
唐澤貴洋はネット炎上の最前線にいる人物として各種メディアでも取り上げられており、炎上の話題において一定の影響力があるはずなのだが、もちろんと言うべきかこの2冊における独自の余りにも不可解な定義は世の中にまったく浸透していない。
炎上史
インターネット以前のパソコン通信の時代からオンラインの相手に対する嫌がらせは頻繁に行われていた。特にこの時代は個人情報に対する倫理観が緩く、今でいう「贈り物路線」のような攻撃は当たり前だったようである[4]。ただ、当時の攻撃は反撃のリスクも対等にあったことから、現在の「炎上」とはやや趣が異なっている。
こうした状況への反動からか、インターネット黎明期は利用者の匿名性が重視され、現在の日本のネット文化の基礎が形作られていった。一方でパソ通からの無礼講体質はそのまま持ち込まれ、ここに「集団vs個人」という炎上の構図が誕生することになる。1997年に発生した神戸連続児童殺傷事件では、加害少年の実名や顔写真がBBSや個人サイトで拡散され、「まとめサイト」が作成されては削除されたり、新聞各社が騒動を取り上げたことで情報の真贋が分かってしまう現在でいう「答え合わせ」が行われるなどその後の布石と言える出来事もあった[5]。
今は亡きネットワーカー研究所というサイトには、パソコン通信時代からネット黎明期にかけての炎上が記録されている。「嫌われ者&嫌われBBSリスト」というものも流通していた。この頃の炎上と言えば企業や公人などに対する者が多く、ネット上のトラブルは「ウォッチング」するという向きが多かった。
2001年には「1ch.tv騒動」と「古式若葉事件」というネット史に残る2つの騒動が起こった。前者は2chの影響力の拡大、後者は個人HPの隆盛を象徴する出来事であったのと同時に、「ネット上でのトラブルには傍観者に徹するべきだ」というそれまでの不文律が崩壊した瞬間でもあった。また、パカ弁の稼ぎ口であるプロバイダ責任制限法が制定されたのもこの年であり(施行は翌年)、その他の法整備も併せてネットが文字通りの無法地帯であった時代は終わりを迎えた。
2004年にはmixiが誕生、ブログやSNSを中心に幅広い層がネットを利用するようになったことで、情報管理の緩い者と匿名を志向する者との間の溝が生じるようになる。同じ年2ちゃんねるではニュース速報(VIP)板が設立され、その自由な気風からあっという間に利用者が増加した。彼らは多くの騒動や炎上を起こした。wikiやまとめサイトを作り炎上を拡大する手法も普及した。この時代の炎上は、前述のような情報管理の緩い者の悪事を暴いてプライバシーを晒し上げるという「世直し」的な性格の強いものだった。
炎上によって生み出されたネタはそのままスラングとなったり、画像やAAが作り出されたりといったいわゆる「ミーム化」が生じた。2006年ごろから動画共有サイトが普及するようになるとこの傾向はますます拡大し、「ケツ毛バーガー」「米倉放屁テロ事件」などの大義名分の無い炎上が多く出現するようになった。2007年にニコニコ動画が本格的にサービスを開始すると、「真夏の夜の淫夢」「エア本」のようにそれまでローカルなネタだったものも大きな勢力となり、「クッキー☆」のような新時代のネタ炎上が誕生する。一方でネット発の政治活動も目立つようになり、これを冷笑する文化との二極化が生じるようになった。
2009年には野球chの大規模規制によりなんでも実況J(ジュピター)板への集団移住が始まった。ネタ志向、ガラパゴスな文化、過激な性格といった新時代的要素は2012年3月7日の炎上史における革命を準備することとなる。
関連項目
註釈
- ↑ 参考( estorypost.com/アノニマス/what-is-anonymous-history/ の魚拓)(アフィ注意)
- ↑ 犯罪に当たる教徒の嫌がらせのうち尊師に直接被害を及ぼすものの代表例としてカッターナイフ表彰状事件が挙げられるが、サジェスト汚染などの時点で業務妨害罪に触れているといえる
- ↑ 「バズる」の意味や使い方 Weblio辞書(魚拓)
- ↑ 『SPA!』(97年5月14日号)「いじめっこVSいじめられっこ誌上討論会」
- ↑ 現代事件簿No.015 「酒鬼薔薇聖斗事件」でインターネット上に巻き起こった問題