「恒心文庫:特急やくも」の版間の差分
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うず煮とは、出雲大社の祭祀を司る出雲国造家に代々伝わる「ふぐ」を使った伝統料理の事だ。 | うず煮とは、出雲大社の祭祀を司る出雲国造家に代々伝わる「ふぐ」を使った伝統料理の事だ。 | ||
地元の料理と言っても、高校合格の記念で料亭で食べたのが最後だから母の料理のチョイスは意外だった。 | 地元の料理と言っても、高校合格の記念で料亭で食べたのが最後だから母の料理のチョイスは意外だった。 | ||
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*[[恒心文庫:東急線]] - 電車を題材にした作品 | |||
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2022年4月8日 (金) 20:59時点における最新版
本文
僕の名は山岡裕明。1982年5月26日生まれの39歳だ。
生まれは島根県出雲市にあるふざけた田舎だ。
今思い返すと、高校時代までは自分はクソが付くほどの真面目な子であった。
県内の理数科を除くとトップレベルの難関に当たる出雲高校でも優秀な成績を修め、一年間は大阪の予備校で臥薪嘗胆したものの、翌年には晴れて東大に合格した。
地元では東大生の誕生の知らせに大盛り上がりだ。
自分が「東大生になる」という実感すら初期の頃は湧いていなかったのだ。
地元出雲とは異なり、東京には何でもある。
松江にはないものまで、東京23区に揃っている。
大学の友人から「淫行」というものを教えられた。
高校時代までには縁もない世界だ。
淫行と一括りにはしているが、実際には何種類も行為がある。
一人愉しむものから女の子と一晩過ごす長期プレイまでさまざまだ。
その中でも僕がお気に入りだったのはメスイきだ。
オスなのにメスのようにイくのが好きな男であった。
メスイきは楽しい。時間も忘れてひたすら同じ所だけに打ち込むことで性の絶頂が訪れる。
メスイきの時だけは勉強や課題が忙しくても一時的に幸福感ーそれは自分の中で生き甲斐ともいえるものーをもたらしてくれる。
時にはメスイきの魔法に囚われて留年してしまうという痛い経験もしたけれど、それでも何とか東大法学部を卒業し、時には中央大学法科大学院にもお世話になりつつ、2009年司法試験に合格した。
「これにて晴れて念願の弁護士になれるんだ。」
僕は嬉しかった。幼い頃から抱いていた夢が遂に実現することにただならぬ絶頂を感じた。
ところが、弁護士という職業は苦悩の連続だ。
司法修習が始まって数ヶ月で痛感した。
弁護士という職業は、人と人との繋がりだ。
依頼人と弁護士という関係。あるいは事務所内の弁護士と弁護士という関係。簡単そうに見えて実はこれが難しい。
東京にはべっぴんさんが多い。依頼人の多くが女性ということもあり、僕のチンコが疼く。
ビンビンの巨根の刺激に耐えつつ平常心を保つのは困難を極めた。
仕事中にイッてはならないことは東大卒の頭脳をもつ僕なら分かる。
しかしながら、僕の巨根は脳との主従関係が逆転しているようだ。
チンコは脳より強し。1年の間だけでも何回早漏したかは分らない。
その度に先輩から怒られ、オナ禁を言い渡される。
今までのように「イきたい時にイけないこと」、それが弁護士として最初に痛感した挫折であったのだ。
とある金曜日の夜。明日からは3連休ということもあり、久々に出雲へ帰ることにした。
親の顔を見るのも久々だ。始発の新幹線は東京駅で待つことにした。
夏とは言え、夜だからそれなりには涼しかった。
周りには誰もいなかったので久々に改札前でメスイきをする。
久々にヤッたということもあり、得られた快感はすさまじかった。
日も昇り、いよいよ東京駅から新幹線のぞみに乗って岡山駅へ向かう。
そして岡山駅から出雲市駅までは特急やくもに乗ることとなる。
約7時間の長距離移動だ。
もっと早く行くなら羽田から飛行機に乗ればいい。
だが敢えて長距離移動を選んだのは、僕は「やくも」が好きだからである。
やくもは僕が生まれる前から運航しているらしく、国鉄型特急車両を使用している。マニアの間では381系と呼ばれているらしい。
岡山と出雲市の間を3時間弱で繋ぐ特急列車である。
車窓からは懐かしい光景が次々と消えては浮かんでくる。
カーブの際にやや不愉快さを抱くのはご愛敬だ。
カーブが多いのは自然振り子方式というものを導入して対応しているようだ。JR西日本なりの粋な計らいなのであろう。
懐かしい光景と振り子から連想される空想で車内でもイきそうになる。
新幹線では感じないドライオーガーズムも、やくもではビンビンに感じる。恐らく思い出補正といったものなのだろうか。
家に帰ると最初両親は驚いたが、すぐに歓迎してくれた。
母は「随分と垢抜けたわね。」と言った。
高校卒業以来帰っていなかったのだから確かにそうであろう。
父は母に続けて「弁護士というよりも、一人の男♂になったな。父ちゃんは嬉しいゾ。」と。
父からは不穏な匂いを感じた。
その日の夜、母はうず煮を振る舞ってくれた。
うず煮とは、出雲大社の祭祀を司る出雲国造家に代々伝わる「ふぐ」を使った伝統料理の事だ。
地元の料理と言っても、高校合格の記念で料亭で食べたのが最後だから母の料理のチョイスは意外だった。
月曜日の夜にはまた帰らないといけないものの、久々に家族団欒、楽しい時間を過ごした。
父に部屋に呼び出され、「大事な話がある」と言われていたので父の部屋に入る。
襖を開けると父の姿はない。
どこにいったのかと思っていた矢先、後ろから大男が僕をめがけて飛び込んできたのだ。
恐らく父であるだろうが、何が起きているか分らなくてパニックになる。
たった数秒で目隠しをされ、手足を紐で結ばれ束縛されてしまう。
大男はパニックになる僕に構うことなく、僕の禁忌に触れる。
あくまでも自慰を好む男だったので他人から加えられる刺激というものには慣れていない。
ところが、大男の手つきはなれなれしく無駄がない。しかも気持ちいい。
僕はイッた。長旅の疲れなど、ありとあらゆる苦悩が吹っ飛んだ瞬間だった。
後ろから「どうだ。悪くないだろう。これが俺の処世術だ。」と、父の声がする。
父は持ち前のテクニックを使って世渡りをしていったのだろうか。熟練のテクニックに僕はかっこいいと思った。
父としては僕に訴えかけたいものがあったのだろう。
それは思わぬ形として現れたのであったのだが。
月曜日の夕方に、再度来た道を帰る。
あの夜父から受けたプレイの感覚が今でも残っている。
やくもの中で考えていたが、やはり父の言動の意図が分らない。
新幹線の中でも考えていたが、疲れていたのか、やがて眠ってしまった。
次の日からは元通りの日常だ。
東京での慌ただしい生活が帰ってくる。
事務所に出勤するのだが、見えている光景が今までとは違うのだ。
オナ禁野郎とかリャマ岡と僕のことを散々バカにしてくる男弁護士に性の興奮を感じるようになってしまったのだ。
父から受けた渾身の一撃は、僕を男に興奮する弁護士へと変貌させてしまったのだ。
女性の依頼人が来ても平常心で対応が出来るようになった。
異性に対して微塵も興奮しなくなったからである。
しかし、問題なのは同性の依頼人。
自分の予想通り、依頼人と束縛プレイをする光景しか浮ばなくなってしまったのである。
僕は妄想もオカズに出来る男であるものだから、オナ禁するのは難しい。
幸いにも依頼人は女性が多いので以前よりもお漏らしの回数が減った。
何とか大変な一年が終わり、正式に弁護士になることができたのだった。
僕が配属されたのはクロス法律事務所という、インターネット関連のトラブルを専門に取り扱う法律事務所だった。
できたのは数ヶ月前らしく、綺麗な新しい事務所。
噂によれば、事務所の代表を務める唐澤貴洋という弁護士の父が大物らしく、お金持ちの一族ようだ。
この唐澤貴洋という弁護士が僕の性的興奮を擽る。
男としての魅力に加えて、噂によれば僕よりも5歳も年上なのに未だに童貞なのである。
僕のタイプであったのと同時に童貞というギャップに萌えた。
仕事はできるが、人付き合いが不慣れというところも「教え甲斐」があるな、と勝手に思っていた。
せっかく念願の弁護士になって法律事務所に配属されたというのに、仕事に集中できないのだ。
僕はいつか、唐澤貴洋でイきたいと強く願って、こみ上げてくる衝動を抑えながら仕事に励む日々が始まったのだ。
唐澤貴洋という弁護士は僕よりも5歳年上の弁護士で、匿名掲示板やSNSトラブルといったものが専門の弁護士である。
ネットに強い弁護士を意味する「インターネット弁護士」を名乗ったのは、唐澤貴洋が最初であり、現在でもインターネット弁護士を名乗る弁護士は唐澤貴洋以外に聞かない。
この業界では、依頼人に書き込み主を開示依頼を受けてから現場に乗り込むまでの早さが極めて早いことから、JR東日本の東京ー甲府間を運行する特急かいじの名を借りて、特急かいじと言われているようだ。
開示の成功割合は高くないものの、速やかな問題解決を求める者が唐澤貴洋に頼ろうと、連日事務所には多くの依頼人が訪れるのだ。
そのような者は男性もいれば女性もいる。
男性の場合、多くはなんJやニュー速といった2ch(現在は5ch)や爆サイ、はたまたダークウェブでのトラブルが原因のようだ。
匿名なら何を言ってもいいと勘違いをして過去にばらまいたパズルピースを元に個人情報を特定されてしまった者や匿名化を怠って国セコに捕まってしまった者もあった。
彼らは恐らく匿名掲示板が自己主張の場ばのであろう。
ドライオーガーズムの快感を教え込ませたいというのが本音なのだが、如何せんオスの依頼人を見ると自分がイきたくなり、葛藤した気持ちに耐えられなくなってしまうのだ。
12月29日、この日は仕事納め。
珍しく唐澤貴洋が事務所の皆と打ち上げを開催すると言って、板橋区にある越後屋という居酒屋に僕たちを招待した。
この店はマンコーというあだ名の店長の手打ち蕎麦が売りのようであり、蕎麦アレルギーの者がいなかったのでみんな蕎麦を注文した。
唐澤貴洋は蕎麦2枚に加えて開示丼というどんぶりも注文したので、僕もそれを注文することにした。
何となく、唐澤貴洋と一緒のものを注文したかったからである。
すると唐澤貴洋が「山岡君、通ナリね。この店は当職の常連だから当職のためにいつもこのどんぶりを作ってもらっているナリよ。君も常連ナリか?」と僕に話しかけてきた。
僕はどきっとした。
というのも仕事以外の会話をしたことがほとんどなかったからである。
衝撃からか肛門も緩み早くもお漏らししかけたのでこの場は曖昧な返事でやり過ごした。
後から「嫌われてしまったかも。」という悔恨の念がこみ上げてくる。
それでも唐澤貴洋の今まで知らなかったプライベートの話が聞けるかもと期待する思いが勝ったのは事実なのである。
打ち上げは非常に盛り上がった。
見た目通り、唐澤貴洋は大食漢で大酒飲みだった。
とは言え、お酒にはあまり強くはないらしく、飲みの席も中盤になった頃には呂律が回っておらず、意識が飛び飛びになっていた。
唐澤貴洋は終始自分の趣味であろう競馬やアイドルの話、そして胡散臭い政治語りをしていた。
アイドルが好きというのは少々意外であったのだが、ここでふとこんなことを思う。
「酔っている今なら急接近できるのではないか?」と。
今まで僕からは遠い存在にいる唐澤貴洋が手の届く範囲にいると感じた。
僕は決心した。
唐澤貴洋が外に痰を吐きに行ったタイミングでビールをグラスに注ぐ際に薬局で買ってきた睡眠薬を入れた。
唐澤貴洋はビールを飲んで間もなく酒の力もあってかいびきをかいて寝てしまった。
それから数分経って皆で割り勘する。
唐澤貴洋をどうするかという話も出たが、自分が家まで送り届けると言ってその場は片付いた。
とは言っても車は持ってはいないのでタクシーを呼んで唐澤貴洋を連れ出すことにした。
策は功を奏し、唐澤貴洋と2人きりになることに成功した。
時間もなくしてタクシーがやって来た。
運転手は行き先を尋ねる。
僕は弾んだ声でとある歌舞伎町のラブホテルを行先に指定したのだった。
夜の東京とは言え、年末のシーズンだから車は多かった。
「夜の東京と唐澤貴洋と僕。」
なんだか感慨深い気分になった。
忙しない一年も一旦これで終わり。
僕は最後、やり残したことをするために今ホテルに向かっているのだ。
渋滞でタクシーが止まっている中、僕はふと特急やくもの事を思い出す。
「来年は家に帰らないけど親父は元気なのだろうか?まだビンビンしているのだろうか?」
「僕に教えてくれた処世術の使い方はこれで合っているのだろうか?」
「僕に訴えたかった真の意図とは何だったのか?」
わからずじまいのことがあまりにも多い。
「特急やくもと特急かいじ。特急同士。僕たちは出会うべくして出会ったのだろうか?」
「岡山ー出雲市を繋ぐ特急やくも、東京ー甲府を繋ぐ特急かいじ。繋ぐ地点は違うけど、どちらも電車なのだから、レールを使って地点と地点を繋ぐものであるのは一緒のはず。それなのにどうしてこんなに違うと感じてしまうのか?」
鉄道には詳しくないものの、2つの異なる特急というのが、あたかも自分と唐澤貴洋関係を暗示しているのだと思った。
本当にそうなのかは多分誰に聞いてもわからない。自分でもはっきりとはわからない。とりあえず、そう思うことにした。
岡山ー出雲市と東京ー甲府なんて、場所が全く違うから関係がないと言えば関係はないのかもしれない。
ただ、この時だけは自分が幼い頃から親しんできたやくもがまるで唐澤貴洋や自分の勤める法律事務所クロスまで導いてくれたのだと思い、思わず涙をポロリと流してしまった。
3時間弱の電車旅が短く感じるのと同じようにして、タクシーは渋滞にはまったかと思った割には早く目的地に着いた。
唐澤貴洋はまだ寝ている。
ホテルでチェックインをし、唐澤貴洋を引きずって部屋まで持ち込むことにした。
上司を乱暴に扱う部下などこの世にいないのかもしれないが、唐澤貴洋がまるで「私物」のように扱えるのが、僕はこの上なく嬉しかったのだ。
例の物はベッドで横たわって寝ているので衣類を脱がせるのは簡単だった。
暴れないように手足も手錠をかけておく。
いつの間にか、親父が僕を寝取ったときにやっていたことと一緒の事をしている。
僕はどうやらヤられる側からヤる側へとなってしまったようだった。
下ごしらえが完了したら早速唐澤貴洋の肛門に僕の巨根を貫通させる。
サイズがちょうどいい。今まで入れてきた穴とは段違いに素晴らしいものであった。
その時唐澤貴洋が目覚め、身体を起こそうとする。
「チャンスだ」と思い、僕は唇を彼の口に近づけ、再び唐澤貴洋の身体を押しつけようとしたのだった。
唐澤貴洋は驚いたようであった。
接吻する主がまさか自分だとは思っていないようであった。
法律事務所クロスに入ってからは司法研修時のようにお漏らしするのは我慢していたので、唐澤貴洋の目には真面目な弁護士像が映っていたはずであったのだ。
「ちょっと、何ナリか?ここはどこナリか?」
余計な詮索は入れさせない。
唐澤貴洋には純粋に快感を獲得させてやらねばと思っていたからである。
僕は親父のようにまだうまくは出来ないのだが、親父のように相手に快感の余韻を残してあげられるような、綺麗で美しいセックスをしようと思ったのだ。
身動きのできない唐澤貴洋をよそにデリバリ作業を1個ずつこなす。
僕も唐澤貴洋もイッた。最高の快感だ。ぶっちぎりの快感だ。僕は大満足だった。
唐澤貴洋は初めての経験であったこともあり、自分の現状を把握しきれていないようであった。
「気持ちよかったですか?」と尋ねてみた。
アルコールがまだ残っているのは意識はぼうっとしており、返事はない。
顔は怒っていないようだからきっと気持ちよかったのであろう。そう信じたい。
僕はあまりの快感に我慢しきれず第2回、第3回もヤってしまった。
今思えば初心者には少々酷だったかもしれないのだが。
あの夜ホテルで過ごした1夜は、僕にとっても唐澤貴洋にとっても忘れることのできないディープな時間であったのだ。
翌日、目覚めたのは夕方であった。携帯電話に1通のメールが届いている。
それは唐澤貴洋本人からであった。
昨日あんなことをしたのだからクビにされてもおかしくないはずである。
恐る恐る中を見ると、どうやらただの来年のスケジュールを送信したようであった。
ひとまずクビではなかったと安心した瞬間、次のメールが届いた。
またしても宛先は唐澤貴洋から。
中には「昨日打ち上げの場で寝てしまったようで大変申し訳ないナリ。
仕事中はあんなみっともないことをしたことがないから驚かせてしまったかもしれない。」
といった打ち上げで寝てしまったことへの謝罪文であった。
大したないようじゃないかと思っていたのだが、最後の1文には昨日見た夢の話が書いてあった。
それはまさしくあの出来事についてだった。
どうやら昨日寝てからのことは全部夢だと思っているようであった。
僕は少し悔しい気持ちになる。
「来年は一皮むいて仕事をしようと思いますのでよろしくお願いしまふ。」
これは謝罪文の最後の書き込みなのだが、僕はまだまだ唐澤貴洋の化けの皮を完全に剥ぐことはできなかったようであった。
昏睡レイプではなく、彼に本当のセックスを教えるための道程はまだまだ長い。
絶望ではなく、これは寧ろ今後も唐澤貴洋とセックスができる口実になることを僕は悟った。
近いようで遠い存在。これはまさに特急やくもと特急かいじの関係と一緒である。同じ特急列車ではあるのだが、特急毎に色が違う。
結ぶ地点が違えば、中身だって変わってくる。
僕は知っているはずの特急やくもを何も知らなかったのだ。
携帯電話を閉じてソファに横たわると親父の顔が浮かんでくる。
親父にまた教わらなければ。
そう思った瞬間、僕はまた出雲市へ向かうため、やくもへ乗るため、そして親父の指導を仰ぐため、すぐさま準備を開始し、大急ぎで東京駅へと向かったのだ。
先日、僕のお気に入りのやくも381系の引退が正式に発表された。
381系の引退は確かに悲しい。
273系に自然振り子方式が継承されるなど、381系の面影が残るのは不幸中の幸いなのかもしれない。
ただ、半世紀近くにわたって僕たちを支えてきたやくもには「お疲れ様でした」と最期を見守ってあげるのが正しい対応なのかもしれない。
難しいことができないのだが、最後までやくも381系を愛することこそ、僕がやくもに対してやれる唯一のことであるだろう。これだけは確信を持って言える。
そして現在、僕も唐澤貴洋も別々の事務所で働いている。
僕は新たに事務所をつくる際にやくも法律事務所と名付けた。
名前由来はもちろん、僕のお気に入りの特急やくも由来であるのだが、僕と唐澤貴洋の思い出も、「やくも」の3文字が想起させる。
時代と共に電車というものは淘汰される。
弁護士だって古い人間は捨てられてしまう。
果たして、僕はやくものような偉大な存在になれるのだろうか?
ラストランまで走り続けることはできるのだろうか?
唐澤貴洋とセフレになれるのだろうか?
僕の挑戦は現在進行形で続いている。
この作品について
特急やくもが題材である。