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大学卒業後、神奈川県職員を経て司法試験に合格、1983年弁護士登録。  
大学卒業後、神奈川県職員を経て司法試験に合格、1983年弁護士登録。  


友人の[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/坂本堤|坂本堤]]弁護士から[[オウム真理教]]の存在を聞かされ、当初は宗教問題の面倒さを理由に関与を断っていたが、1989年11月に{{wpl|坂本堤弁護士一家殺害事件|坂本弁護士が失踪したこと}}を契機に、「オウム真理教被害対策弁護団」に加わる。また信者の脱会カウンセリングにも携わるようになり、[[麻原彰晃]]の[[空中浮揚]]の写真を自ら再現し(上記)、多数の信者を説得して脱会させた。
友人の[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/坂本堤|坂本堤]]弁護士から[[オウム真理教]]の存在を聞かされ、当初は宗教問題の面倒さを理由に関与を断っていたが、1989年11月に{{wpl|坂本堤弁護士一家殺害事件|坂本弁護士が失踪したこと}}を契機に、「オウム真理教被害対策弁護団」に加わる。また信者の脱会カウンセリングにも携わるようになり、[[麻原彰晃]]の[[空中浮揚]]の写真を自ら再現し(右記)、多数の信者を説得して脱会させた。


当然教団からは反発を招き、坂本弁護士同様に[[ポア|暗殺]]を計画され、[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/青山吉伸|青山吉伸]]らにより、車にサリンを仕込まれる・車のドアノブにVXを塗られる・ボツリヌス菌入りジュースを飲まされるなどの攻撃を受けるが、いずれも命に別状はなかった。({{wpl|滝本太郎弁護士サリン襲撃事件}})<br>これは教団側の準備不足の他、滝本弁護士側も[[オウム]]の危険性を勘づき、信者やその家族と接する際には常に使い捨ての手袋やマスクを着用する・出された食べ物には手をつけない・飲み物も一口舐める程度、などの徹底した自己防衛を怠らなかった為だと言われている。
当然教団からは反発を招き、坂本弁護士同様に[[ポア|暗殺]]を計画され、[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/青山吉伸|青山吉伸]]らにより、車にサリンを仕込まれる・車のドアノブにVXを塗られる・ボツリヌス菌入りジュースを飲まされる、という攻撃を受けるが、いずれも命に別状はなかった。({{wpl|滝本太郎弁護士サリン襲撃事件}})<br>これは教団側の準備不足の他、滝本弁護士側も[[オウム]]の危険性を勘づき、信者やその家族と接する際には常に使い捨ての手袋やマスクを着用する・出された食べ物には手をつけない・飲み物も一口舐める程度、などの徹底した自己防衛を怠らなかった為だと言われている。


{{wpl|地下鉄サリン事件}}後には、逃亡中に逮捕された実行犯、[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#クリシュナナンダ正悟師|林郁夫]]の取り調べを担当した刑事から相談を受け、取り調べの際は麻原を呼び捨てにしない・医師であった林に対しては「先生」と呼ぶなどのアドバイスをし、結果として、林の自供やオウム事件の解明、そして麻原らの逮捕に繋がった。
{{wpl|地下鉄サリン事件}}後には、逃亡中に逮捕された実行犯、[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#クリシュナナンダ正悟師|林郁夫]]の取り調べを担当した刑事から相談を受け、取り調べの際は麻原を呼び捨てにしない・医師であった林に対しては「先生」と呼ぶなどのアドバイスをし、結果として、林の自供やオウム事件の解明、そして麻原らの逮捕に繋がった。


1995年6月8日、脱会した元オウム信者のケアの場を設けるため、オウムの脱会者やその支援者らで「{{wpl|カナリヤの会}}」を結成し、同年11月に設立された「{{wpl|日本脱カルト協会}}」では理事に就任。
1995年6月8日、脱会した元オウム信者のケアの場を設けるため、オウムの脱会者やその支援者らで「{{wpl|カナリヤの会}}」を結成し、同年11月に設立された「{{wpl|日本脱カルト協会}}<ref>厳密には、設立当初の団体名は「日本脱カルト研究会」であり、2004年4月に現在の名称に改称した</ref>」では理事に就任。


2012年には、出頭したオウム逃亡犯の[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#ポーシャ師長補|平田信]]の私選弁護士に選任されるが、平田を犯人蔵匿した容疑で逮捕された女性の弁護人に選出され、利益対立を避ける為に辞任。その後、同じくオウム逃亡犯の[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#エーネッヤカ・ダーヴァナ・パンニャッター師補|菊池直子]]が逮捕された際も、彼女の両親から私選弁護士に選任されるが、菊池本人により「親に迷惑をかけたくない。国選弁護人を希望する」として解任された。
2012年には、出頭したオウム逃亡犯の[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#ポーシャ師長補|平田信]]の私選弁護士に選任されるが、平田を犯人蔵匿した容疑で逮捕された女性の弁護人に選出され、利益対立を避ける為に辞任。その後、同じくオウム逃亡犯の[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#エーネッヤカ・ダーヴァナ・パンニャッター師補|菊池直子]]が逮捕された際も、彼女の両親から私選弁護士に選任されるが、菊池本人により「親に迷惑をかけたくない。国選弁護人を希望する」として解任された。
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