「唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/青山吉伸」の版間の差分
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*[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/坂本堤|坂本堤]] - オウム被害者の顧問弁護士 | *[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/坂本堤|坂本堤]] - オウム被害者の顧問弁護士 | ||
*[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/滝本太郎|滝本太郎]] - 坂本弁護士の後任、{{wpl|滝本太郎弁護士サリン襲撃事件|かつての殺害対象}} | *[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/滝本太郎|滝本太郎]] - 坂本弁護士の後任、{{wpl|滝本太郎弁護士サリン襲撃事件|かつての殺害対象}} | ||
*[[唐澤貴洋]] - [[恒心教徒]]からしばしば比較対象とされる | |||
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'''青山吉伸'''(あおやま よしのぶ、Aoyama Yoshinobu)(1960年3月9日~)とは、[[オウム真理教]]で幹部を務めた元弁護士である(大阪弁護士会所属、登録番号18785<ref>[[:ファイル:平成7年7月1日官報.JPG|平成7年7月1日官報]]より</ref>)。{{wpl|旧司法試験}}を全国最年少で合格したことでも知られる。 | '''青山吉伸'''(あおやま よしのぶ、Aoyama Yoshinobu)(1960年3月9日~)とは、[[オウム真理教]]で幹部を務めた元弁護士である(大阪弁護士会所属、登録番号18785<ref>[[:ファイル:平成7年7月1日官報.JPG|平成7年7月1日官報]]より</ref>)。{{wpl|旧司法試験}}を全国最年少で合格したことでも知られる。 | ||
[[ホーリーネーム]]は「'''アパーヤージャハ'''」<ref>由来はアパーヤジャハ(破悪趣菩薩、梵: <span lang="sa">ཨ་པཱ་ཡ་ཛ་ཧ། Apāyajaha</span>、蔵: <span lang="bo">ངན་སོང་རྣམ་པར་སྦྱོང་བ།</span> <span style="font-family: 'Microsoft Sans Serif', Arial;">/ŋɛ̃˩˧.soŋ˥ nam˥.paː˥.t͡ɕoŋ˩˧.wa˥/</span>)。菩薩の一尊で、衆生を三悪趣(地獄道・餓鬼道・畜生道)から離れさせる({{Archive|https://www.mikkyo21f.gr.jp/mandala/mandala_taizoukai_syobutu/08.html|https://archive.md/lln2h|諸仏解説 : MANDALA DUALISM}}より)。</ref>。教団での階級は[[正悟師]]であり、{{wpl|省庁制 (オウム真理教)|省庁制}}における役職は「法務省大臣」<ref>訴訟関係事務の責任者。なお、弁護士資格を有した出家信者は青山のみであった為、彼の部下は法律事務所の事務員のような役割だったと考えられる</ref>。 | |||
[[ヴァジラヤーナ|教団の犯罪行為]]に加担したことで懲役12年の実刑判決を受け、弁護士資格も剥奪された<ref>{{wpl|弁護士法}}第7条(弁護士資格の欠格事項)「禁錮以上の刑に処せられた者」に該当する</ref>。現在は出所済み。 | |||
== 概要 == | == 概要 == | ||
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大学在学中、全国最年少の21歳で旧司法試験に合格し、卒業後に[[司法修習]](36期)を経て弁護士となった。 | 大学在学中、全国最年少の21歳で旧司法試験に合格し、卒業後に[[司法修習]](36期)を経て弁護士となった。 | ||
1984年、大阪市の「なにわ共同法律事務所<ref>[https://www.naniwakyodo.com/ 公式サイト]</ref>」に入所し、{{wpl|西淀川公害訴訟}}や{{wpl|スモン|スモン病集団訴訟}} | 1984年、大阪市の「なにわ共同法律事務所<ref>[https://www.naniwakyodo.com/ 公式サイト]</ref>」に入所し、{{wpl|西淀川公害訴訟}}や{{wpl|スモン|スモン病集団訴訟}}などを手がけた。共産党員だったこともある模様。 | ||
=== オウムの顧問弁護士として === | === オウムの顧問弁護士として === | ||
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満員電車が原因で発症した腰痛を治すため、オウム真理教主催のヨガ道場に通いはじめ、[[麻原彰晃]]の著書も読むようになる。 | 満員電車が原因で発症した腰痛を治すため、オウム真理教主催のヨガ道場に通いはじめ、[[麻原彰晃]]の著書も読むようになる。 | ||
1988年、オウムに入信。翌1989年には「なにわ共同法律事務所」から独立して「青山法律事務所」を開設し、その後出家。 | |||
以後は教団の顧問弁護士として活躍し、「ああ言えば上祐」こと[[正大師#マイトレーヤ正大師|上祐史浩]](マイトレーヤ正大師) | 以後は教団の顧問弁護士として活躍し、「ああ言えば上祐」こと[[正大師#マイトレーヤ正大師|上祐史浩]](マイトレーヤ正大師)らと共に教団のスポークスマンとしてメディアに出演するなどした。 | ||
その裏では、他の幹部と同様に[[ヴァジラヤーナ|犯罪行為]]にも手を染めており、例として{{wpl|滝本太郎弁護士サリン襲撃事件|滝本太郎暗殺未遂事件}}には実行犯として[[参画]]しており、{{wpl|白い愛の戦士}}や{{wpl|島田裕巳宅爆弾事件|自作自演テロ}}の発案者であるともされる。また、逮捕された教団幹部らの弁護士として接見する際に「修行が足りない」等と脅して、自白を阻止しようとしていたと捜査側は主張している。 | |||
=== 逮捕、判決 === | === 逮捕、判決 === | ||
1995年[[1月4日]] | 1995年[[1月4日]]、{{wpl|サリンプラント建設事件|サリン製造疑惑}}を誤魔化すため、記者会見を開き「上九一色村([[サティアン]]付近)の肥料会社がサリンを製造して教団に毒ガス攻撃をしている」などという言説を唱え告訴するが、同年5月4日に肥料会社社長への名誉毀損罪で逮捕される。青山の弁護は{{wpl|遠藤誠 (弁護士)|遠藤誠}}が担当した。 | ||
1997年12月12日、かつて青山にボツリヌス菌入りのお茶を飲まされ[[ポア|殺害]]されそうになった[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/滝本太郎|滝本太郎]]弁護士は、青山の裁判に出廷し、青山に厳刑を求める陳述を行った。 | 1997年12月12日、かつて青山にボツリヌス菌入りのお茶を飲まされ[[ポア|殺害]]されそうになった[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/滝本太郎|滝本太郎]]弁護士は、青山の裁判に出廷し、青山に厳刑を求める陳述を行った。 | ||
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1996年6月22日、東京地裁で懲役12年の実刑判決を受け、滝本太郎弁護士に賠償金を支払う手紙を送っている<ref> | 1996年6月22日、東京地裁で懲役12年の実刑判決を受け、滝本太郎弁護士に賠償金を支払う手紙を送っている<ref>滝本弁護士は、全額を寄付した出家信者の青山に支払い能力があったことに驚いており、実家から援助を受けた可能性が考えられる</ref>。 | ||
{{Archive|http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/10-14.html|https://archive.ph/uIGVe|アパーヤージャハ正悟師こと青山吉伸被告からの手紙}} - カナリヤの会 | {{Archive|http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/10-14.html|https://archive.ph/uIGVe|アパーヤージャハ正悟師こと青山吉伸被告からの手紙}} - カナリヤの会 | ||
前略、現在私は接見禁止中ですが、民事判決に基づく賠償金の支払について謝罪の意を表するため、裁判所に発信許可をお願い致しました。 | 前略、現在私は接見禁止中ですが、民事判決に基づく賠償金の支払について謝罪の意を表するため、裁判所に発信許可をお願い致しました。 | ||
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滝 本 太 郎 先 生 | 滝 本 太 郎 先 生 | ||
その後控訴するが2002年1月31日刑が確定、同時に弁護士資格も剥奪された<ref>実際は{{wpl|刑法}} | その後控訴するが2002年1月31日刑が確定、同時に弁護士資格も剥奪された<ref>実際は{{wpl|刑法}}第34条「刑の執行を終えて十年を経過したときは刑の言渡しは、効力を失う」通り、理論上は2025年に法曹資格は回復できる。しかし、弁護士活動を行うためには弁護士会登録が必須であり、各弁護士会は登録を拒絶できる権限を持つため、弁護士としての活動は難しいと思われる。過去の例では、{{wpl|エセ電話事件}}で罷免された元裁判官の{{wpl|鬼頭史郎}}も、法曹資格回復後に弁護士登録を申請したが各弁護士会に拒絶されている</ref>。 | ||
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[[正大師#マイトレーヤ正大師|上祐史浩]](マイトレーヤ正大師)などと共に、世間から弾圧を受けるオウム真理教をよく弁護し、結果的には弾圧されたものの延命に成功。恒心教を含む、今日の[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教とネット文化|オウム系のネットアングラ文化]]に繋がった。 | [[正大師#マイトレーヤ正大師|上祐史浩]](マイトレーヤ正大師)などと共に、世間から弾圧を受けるオウム真理教をよく弁護し、結果的には弾圧されたものの延命に成功。恒心教を含む、今日の[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教とネット文化|オウム系のネットアングラ文化]]に繋がった。 | ||
ちなみに、[[ハセカラファミリー|恒心関係者]]の弁護士の内、[[至田明史]]と[[原田學植]]は、青山と同じ{{Wpl|大阪府立高津高等学校|高校}}・{{wpl|京都大学|大学}}を卒業している。<br>更に、至田に関しては{{wpl|柏原市|出身地}}も、原田に関しては'''[[尊師]]に[[たかひろくん係|寄り添っている]]'''点も同じである。 | ちなみに、[[ハセカラファミリー|恒心関係者]]の弁護士の内、[[至田明史]]と[[原田學植]]は、青山と同じ{{Wpl|大阪府立高津高等学校|高校}}・{{wpl|京都大学|大学}}を卒業している。<br>更に、至田に関しては{{wpl|柏原市|出身地}}も、原田に関しては'''[[尊師]]に[[たかひろくん係|寄り添っている]]'''点も同じである。<br>また、[[髙橋裕樹]]とは誕生日が同じである。 | ||
== 著書 == | == 著書 == |