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恒心文庫:人形館

提供:唐澤貴洋Wiki
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本文

趣味で小説を書いている私は、いつもとは少し違う毛色の作品を作りたくなった。題材は、日本人形について。
そこで、それに強くなる必要が出てきた。
しかし、どうにも自分が納得のいくような資料に辿り着かない。
手詰まりだ。
そんな時に、知人である、臥薪嘗胆して今は弁護士をやっているKにそのことを相談してみると、彼のツテから、
日本人形にまつわる昔話をよく知る知人を紹介された。

 一週間後、約束の時間に彼の住む大きな館へ向かった。広い前庭には多くの花がそれぞれの顔を覗かせている。
子供が何人か、芝生の上で遊んでいた。
館の方に目を向ける。
築何十年も経っているような、古めかしい洋館である。元は純白であったらしい壁には、
何かの植物のつるが沢山生え、すすけていた。いささか広すぎて通るのが面倒な前庭を通りぬけ、
洋風の観音開きのドアの横に備え付けられた、これまた古風なベルを鳴らす。
幾ばくか待った後、出迎えてくれたのはこの古邸に似合う、若い西洋人の女中であった。
お世辞にも顔色は良いとは言えなく、青白い肌から血管が透けて見えた。
ちらりと館の奥を見る。虚ろな表情の女の後ろは暗かった。

「どうも、本日ここのご主人にお話をうかがうことになってる、Oと申します。」
私があいさつをすると、女はどこを見てるかわからないような目で、
「お待ちしておりました。どうぞ中へお入りください。」
ぼそぼそと、平坦な抑揚で返された。中に入った途端、妙だな、と思った。
寒い。
まだ秋とはいえ夏の熱が残り、半袖で出歩くような人がいる、陽気漂う昼下がりだ。
「いやあ、なんだか変に寒くないですか?」
と私はほんの世間話のつもりで発言したが、女中は、
「主人はこの室温を好むのです。招き入れる客人にも常にそのように伝えております。なにとぞご了承を」
と静かに返した。女中の口が(私は背を向けていたので実際には見えていなかったが)音を発するたびに、
周囲の温度を奪うような錯覚を抱かせる、冷気を思わせるものであったことに私はすっかり話す気力を削がれた。
それから客間まで彼女に先導されている間、私は口をつむぎ、沈黙を守った。
廊下は目の前の女中の半袖のエプロンドレスから覗く青白い、生気の感じられない二の腕が、
異様に浮かび上がるほど薄暗い。しかし、それもこの寒さの中で冷えた結果だろうと自分の頭の中で結論を出す。

この寒い中で半袖の服を支給するとはここの主人も薄情なものだ。

客間に着くと、奥から人影が立ち上がり、にかりと歯をむき出しにして笑った。
「や、これはどうもどうも」
「どうもはじめまして。私はOと申します。本日はよろしくお願いします。」
その齢70を超えるであろう男はこの屋敷の主人であり、私にMと名乗った。
Mはどうやら足が悪いらしく、私のところへ来るまで、右足を引きずってきた。
なんとなく、年齢が古希を超えていると私が判断したのは、顔に多くの皺が散見され、
頬の肉も垂れ下がっていたためだ。
「しかし、なんというかすごい広い屋敷ですなぁ。」
客間を見回してみると、広い屋敷からか、普通の一戸建てのリビングより、やや大きいぐらいの広さを持っていた。
暖炉はあるが、長いこと使われていないようで埃をかぶっていて火の気が無い。
代わりに、天井にはシャンデリア型の白熱電球が吊り下がっており、それがこの空間を薄い橙に浮かび上げていた。
しかしその温かみのある人工光とは裏腹に、空気はひんやりとしている。
カーテンは閉めきられ、太陽の光を通さない。
「こんなふうにしてるのは、俺のコレクションを傷めない為なんだ。」
唐突にその風貌に似合わぬやや若めの口調とともにMは自分が座っているソファの後ろを指差した。
そこには壁の端と端まで棚や台で敷き詰められ、ずらりとやや青みがかった黒の髪を持つ、
日本人形が並んでいた。部屋の人形がある方の壁だけ暗くなるような仕掛けが施されてるようで、
そのためにさっきは気に留めなかったのだろう。
近づいてよく見てみると、この人形たちはそれぞれ僅かに微笑んでいる以外には、
顔の作りがひとつひとつ違っていた。
そしてそれは全て顔の横に人のような耳がなく、そのかわりに頭のてっぺんに三角形の、
位置的にもちょうど狐のような耳を与えられていた。
「珍しいかい?」
親しみのある言葉で老人が近づいてきた。
「これはすごいコレクションですね。私も長年小説の取材のために方々をまわってますが、
このような形の日本人形は見たことがありませんよ。」
「14年半かけてこれだけ集めた。全国に散らばってたからね。その話も聞きたい?」
そう言うと彼はシハシハと笑った。
酸っぱい臭いが漂う。
私は少し吐き気がした。
「ええ、それも興味が湧きますね。それでは、足の悪いあなたに立たせたまま話を聞くのも悪いし、
ソファのほうで話の続きをしましょう。」
彼の口から少しでも離れようと、ソファのほうへ促した。
「客人、あんたはできる人のようだな、今までの客は俺が何か言うまで何もできなかった、
指示待ち人間どもだったからな。」
Mは過去の客人に対して無礼な物言いをし、また私に向かい笑った。刺すような臭気が漂う。
彼がソファに向かい、私もその後を追おうとする時、視線を感じ、ふと人形の方を向いてしまった。
私は凍りついた。

さっきまで微笑を浮かべていたはずの人形達の顔は苦悶、悲哀、憤怒の表情を浮かべていた。
眼が、たくさんの点が私に向けられ、その無数の生気なき瞳孔の暗闇に、
私はなにかの呪詛や悪意をぴりぴりと全身で感じられずにはいられなかった。
どろどろと、粘性のなにかが垂れる音が、妙な臭いとと共に流れてきた。

かたかたかたと、歯をかちあうような音が鳴り響く。それはしだいに大きくなり――

どれほど経ったのだろうか、人形共はまた同じような微笑を浮かべ、
部屋の柱時計はさっきと変わりない時間を刻み始めていた。
「どうかしたかね?さあ始めようじゃないか」
Mに催促されるがまま、私は下座のソファに向かった。
老人の言葉がなければ私はすぐには動けなかっただろう。
 彼は私の小説のフックになりそうな話を数多くしてくれた。
彼は確かにKの言うように、人形に関して非常に強いようで、
日本人形の歴史から世界各地での扱いについて詳しく話してくれた。
しかしその間、彼が声を上げて笑う度、辺りに漂う肉を腐らせたような不快な臭いと、
飛び散る唾液に私はすっかりやられてしまい、
兎にも角にも予定より早く話を切り上げよう、と思った矢先、
「ところで君、ラブドールというものは知ってる?」
唐突に翁が口を開いた。

「ええ、その、オナホールなんかがついた、性処理に使う人形のことですよね。
広義的にはダッチワイフでしたっけ。」
「ああ、その通りだ。あれにもなかなか都市伝説やらなんやらがつきまとう、
オカルティックな人形の一つだ。例えば、南極の探検隊の性処理用に使われたとか、
山に埋められていたのが死体ではなくて、実はリアルなラブドールだったり。」
Mは明らかにさっきと打って変わって、ほほを紅潮させて早口になっていた。
息も、さっきより荒い。
私は少し圧倒され、何も言わずに頷いた。
「ああいうふうに話題になるのは理由がある。
念だ。
持ち主は擬似的に人形とセックスをするのだ。
生命を作ろうとする行為をするのだ。
精液という、いのちの源をその身に受け止めているのだ。
それだけの想いと、ヒトを作り上げるエネルギーを持った物質を受け止めている。
ラブドールは、魔女が混ぜている、あの得体の知れない鍋と同じだ。
それに、今だとより念を受けやすいように人間に近づいている。」
一気にまくし立て、彼はシハシハと笑った。
辺りは一気にMの口の臭いに近づいた。
くさい
だが、Mの話をもっと聞きたいという願望が心に浮かんだ。
小説の題材としてとても面白いと思ったのだ。
「私も、一研究家としてそれに興味を持ってね。実践してみたのだ。
どれほどのエネルギーを与えれば、人形、いやヒカリが動くのか。そして成功した。」
「どういうことです?まさか人形が動くなんて、さすがの私も信じられませんよ。」
急に、ばかばかしくなった。やっぱり帰ろうか。
「信じないのかね?では、証拠を見せてやろう。」

パチンと指を鳴らすと、あの女中がやってきた。しかし、さっきとまるで様子が違う。
肌の質感が、まるでプラスチックのようになっていた。
顔立ちも、玄関のやりとりの時の無表情ながらも生命を感じることができたようなものではない。
目はガラス玉のような光沢で、どこを向いているのか、知性を感じられなかった。
口は、開く事が出来ないらしく、微笑に固定されていた。
体の動き、歩き方のぎこちなさはこの上ないもので、人間にあるべき関節のいくつかが欠如しているようであった。背も縮んだようだ。
私は、自身の常識が挑戦されるような気がし、体ががたがたと震え始めた。
人形が動いている!
「ほらな、ちゃんと動いているだろう。おぉ、ヒカリや、かわいそうに。
こうしてエネルギーを補給してやらんと、人形にもどってしまうのだ。」
そういうと、Mはズボンを下ろした。
女中、いやヒカリもいつのまにか、全裸になっていた。
とても人間を模したとは思えない、醜い体だ。
よたよたと、ヒカリはMの上にまたがった。
「素晴らしい!素晴らしい!」
そう言いながらMはヒカリの穴にめがけて交尾を始めた。
その間、みるみるとヒカリが人間らしくなっていった。
おもちゃのような体に、命が吹き込まれていく。
顔はあの微笑をうかべたままだ。
それと比例するように、Mの肉体は次第に生命力を失っていくようであった。
髪がかさかさの粉になって、ボロボロとMの頭皮から抜け落ち、肌には皺が刻まれていく。
20秒もしない内に、老人は果てた。

荒い息でMが
「みての通り、ヒカリに力を与えるのも、なかなかの重労働でね。
私も特別な食事が必要になるのだよ。
話をしてやったんだ、腕を一本頂こうか。」
と言うと、全裸のヒカリが私に向かってきた。
私はもはや、全く恐ろしくなり、荷物も忘れて、一目散に部屋からでようとした。
しかし、ヒカリに肩を掴まれてしまった。
めきめきと、万力のような力で私の肩を握っていく。
余りの痛みにじたばたと逃れようとすると、私をそのままMの後ろの壁の方に放り投げた。
左腕がまったく動かない。血も出ているようだ。
ゆっくりと、ヒカリが無表情でこちらへ歩いてくる。
すると、不思議なことが起きた。
狐耳の人形だ。無数の青黒い髪を持った人形たちが、ヒカリとMに襲いかかってくる。
二人は無数の人形に包まれた。
青黒髪の人形はその腕で、肉を引きちぎっていく。
Mが悲鳴を上げると、それに呼応するようにヒカリは老人を守りにいった。
どこからか、火が引火してきたらしい。火の手が客間に伸びてきた。
私は好機と見て、左腕を守りながら逃げ出した。玄関に突進して、庭に出た。

振り向くと、屋敷が火に包まれていた。私は屋敷の敷地を出た辺りで、気絶した。

目を覚ますと病院の一室だった。左腕は無事だった。警察から事情を聞かれ、開放されると、
私は屋敷の跡に向かった。ニュースによると、中から老人の遺体が出てきたのだが、
それは無数の小さな人形らしきものに包まれていたという。
そしてその小さな人形からは、人間の骨が見つかったことも報じられていた。
DNA鑑定でどの骨もここ14年半の間に失踪した人間のものであったことが判明したらしい。
あの人形が私の血に反応して動いたのか、それは今でも分からない。
ただわかるのは、ヒカリが、今も近くにいることだ。グズグズになった身体で、つかず離れず、
部屋の隅から、
窓の外から、
帰り道の畑の真ん中から、
雑木林の木の影から。
ただただ私を見つめている。
あの恐怖の日から、人形の変わらぬ表情で。
殺意を私に向けている。

(了)

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