Wikipedia
Wikipedia(ウィキペディア)は、ユーザーが誰でも編集できるオンライン「百科事典(自称)」。ラリー・サンガーとジミー・ウェールズが2001年1月15日に英語版を作り、後に日本語版が作られた。
当Wikiで使用されているウィキソフトMediaWikiはWikipediaのために作成された。
当項目は、事実を示す根拠となる出典が著しく不足しています。力を。 |
日本語版
日本語版はWikipediaの中でも異様であり、サブカルチャーやオタク関係の記事ばかり充実している(反面、学術的な事柄は乏しい)。また、非ログインユーザー(IPユーザー)の割合が断トツに高い[1]。
項目「唐澤貴洋」
「我らが尊師をWikipediaに掲載しよう」という動きは騒動初期からあり、2012年5月30日には既にその存在が確認できる [2] 。しかし当時はまだなんJでもその存在が知られ始めたばかりであり、「特筆性」がないのは当然であった。結局この記事は翌6月6日に削除されてしまう[3]。
その後2012年10月には「恒心綜合法律事務所」の記事が作成されるも、「特筆性なし」「宣伝目的」という理由で12月30日に削除される。またそれから半年以上経過した2013年、尊師のFB恒心がスタートしハセカラが再び大きな盛り上がりを見せる中、8月には再び「唐澤貴洋」を復活させようという動きが起こり、一度は復活するも9月26日には「改善なき再作成」を理由に削除される。
しかし2013年下半期、状況に大きな動きがみられる。10月に尊師が雑誌AERAのインタビューに応じ、また12月にはカラコロにより大分の高校生が書類送検されたことが各種メディアで報じられた。ついに信頼性を持った一次ソースが登場したのである。さらに2014年に入ると片平騒動やカラッキング事件、福嶋誠也逮捕など大きな騒動が立て続けに発生、メディアでの報道が増え始めた。特に福嶋逮捕は「95万件の殺害予告を受けた弁護士」という論調で報じられたこともあり、この頃になると「『ネットの中傷被害に曝される弁護士』としての特筆性が存在するのでは?」という議論が持ち上がり、なんJ、カラケー等でしばしばWikipedia復活が提案されることとなる。特に2013年12月にはカラザイル掲示板で「殺害予告や●流出に関する騒動についての記事を書き、そこに尊師の名を掲載する」という提案も持ちあがっている。
だが一方で、「パカ弁」の項目が出典明記で長らく存在していたにもかかわらず、またもやワイルドカード「特筆性なし」を用いて削除されてしまう。「パカ弁」および「パカパカ」は本職の弁護士も使っている例があり、もはや専門用語と言っても差し障りないはずなのだが。(ただし使っていたのは数名だけかつ数回程度だけなので特筆性なしは妥当とも見れる)
2015年4月、ちばけんまショッピングモール路線に端を発したGoogle マップ改竄路線が実りを結び、「恒心教」の名が多くのニュース番組に取り上げられる事態となった。これを好機と一部信徒によるwikipediaに恒心教の記事を作成する新路線が本格的に実行されることとなったが、恒心教の記事はWikipediaの管理者の一人であるMuyoにノートごと削除されてしまう。恒心教徒から批難が集中した結果Muyoが特定され、この出来事によって恒心関連の記事を存続させるために恒心教に楯突いたWikipedia利用者を特定する路線が誕生した。
その他の恒心項目・記述
- 同様に「長谷川亮太」の記事も作られては削除され、「国士舘大学」「松戸市」「千葉経済大学附属高校」にたびたび勝手に追加されてはまた削除されている。こちらは正真正銘一般人なので反論の余地はない。
- かつて恒心教がWikipediaの「宗教一覧#非宗教、反宗教、メタ宗教」[4]に追加されたが削除され、その後「冗談宗教」[5]の項目の一覧に追加されたことがあったが、Muyoによってこちらも削除を受けている。
- Muyoが特定され活動を停止した2日後の2015年4月25日に、唐澤洋の項目が作成される。同記事を巡り恒心教弾圧派(Muyo派残党)により何度か削除が試みられ編集合戦が繰り広げられるも[8]、最終的に管理人さかおりにより保護され同記事の存続が決定する。
註釈
- ↑ これによって日本社会の匿名志向の強さが窺える
- ↑ Wikipediaに唐澤貴洋の記事を作ろうと思うんだが
「唐澤貴洋」のWikipediawwwwwwwwww - ↑ [1]
- ↑ 2014年6月21日 (土) 16:04の版
- ↑ 2014年12月27日 (土) 07:09の版
- ↑ 2014年9月7日 (日) 10:54の版(画像は現在削除)
- ↑ 新規作成者が八神アグモン太一というユーザー名
- ↑ 「唐澤洋」の変更履歴