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恒心文庫:大物

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本文

男の胸像が、窓の表面に映り込んでいる。落ち窪んだ目、弛んだ顎、アヒル口。疲れきった男が向こうからこちらを見つめている。
その顔面の背景を夜の闇が走っている。時折白いパイプや壁面がかすめる以外、窓の外は変わらず端から端へと流れて消えていく。男の顔面だけが変わらずそこに留まり続けている。
男は電車に乗っているのだった。横に広々と伸びる車内には誰もいない。男だけがぽつねんと腰を下ろし、電車の音を聞いている。
時折、電車の車体が揺れる。それに少し遅れて男のもみあげが揺れ、更に電車広告も前後に触れている。その内の一つに男は何となしに目を向けた。
壁の隙間の暗闇から子供が手を伸ばして睨んでいる広告である。「恐怖!かくれんぼ屋敷!20年前から、彼らは今もあなたを待っている・・・」というキャッチフレーズから察するに、なるほど、ホラーのアトラクションの広告らしい。男はおもむろに立ち上がると、広告を掴み取り、ふところに入れた。
しばらくして、電車から降り駅の改札を抜け、夜道を歩くと男はあったかい家に辿り着いた。自分の家である。妻と二人の子供が待つあったかい我が家である。男は一日の疲れが抜けていく様に感じながら、ドアを開けた。
お父さんおかえりー!次男の声が聞こえてくる。おかえりなさい、あなた。妻の声も聞こえてくる。男は顔を緩ませ、靴を脱ぎスーツを脱ぐ。そして食事が並ぶリビングへ。妻が注ぐビールは格別だ、あったかいご飯が身に沁みる。後ろでは子供たちが走り回って遊んでいる。
ふと、男はあの広告を思い出した。明日は珍しく休日だ。家族水入らず、家でゆっくりするのもいいが、暑い季節、ホラーで新鮮な体験をするのもいいかもしれない。男はふところから電車で採取した広告を取り出すと、子供たちを呼ぶ。次男が駆け寄ってきて、長男が這いずってくる。男は二人に広告を見せた。いたずらである。年を取って鈍った感性とは違い、子供たちは新鮮な反応をしてくれるのだ。親としてそれはまぶしくいつまでも見守っていたいものである。どんな反応でも、可愛らしく思えるのはその為だ。ともかく男の差し出した広告で、思った通り次男は広告を一瞥すると、急いで母親の元に駆け寄った。
その広告に次男は混乱していた。広告には暗闇から自分と同い年くらいの子供がこちらを見つめながら手を伸ばしている。あまりに見慣れないものであり、得体の知れなさもある。更にはそのキャッチフレーズを見て、なぜだが寂しい気持ちになったのだ。なぜそんなに待っているんだろう。次男ないまぜになった気持ちにとても一人ではいられず、母親の元に駆け寄ったのだ。
次いで長男のバカ笑いが響き渡る。
「20年前からって待ち過ぎだろwwwナリwww」
長男はいつまでも笑い続けていた。

この作品について

東京ドームシティで2014年の夏に開催されていた期間限定のお化け屋敷「恐怖のかくれんぼ屋敷」[1]をヒントにした作品である。

リンク・注釈

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