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恒心文庫:ひろし

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本文

父は度重なる疲労と激務に身を悩ませていた。
次第に酒の量も増え、終わらぬ仕事を終わらせるため夜も眠らず、父の脳は既に限界であった。
幾度となく身体が悲鳴をあげ、終には倒れてしまうこともあったが、目を覚ますとまた仕事に取り掛かるのである。
当職と弟は眺めるしかなかった。
そのため父との思い出は、考えてみると何もない。
いつも父の後ろ姿を見ていた、そんな気がする。
ただ思うに今を生きることができれば、それでいいと思う。
しかし、弟は違ったようだ。
物心ついた頃から親の愛を受けなかった弟は、反抗期を迎えると父に反抗するようになった。
父自体は何も言わず何もしない、いわば空気のような存在なのだが、弟はその態度が気に入らなかったようだ。
弟はまず酒を捨てた。
酒は父の唯一の嗜好品であり、それを奪うということは最大の「反抗」になると思ったのであろう。
当職は敢えて止めなかった。
父の事など気にも留めてなかったが、当職の知らない心の何処かに、弟と同じ感情があったのかもしれない。
どうあれ、弟の行為によって父が少しでも変わってくれるのならと、願望に近い感情があった事は確かだ。
夜、夕飯の支度をしている最中に、何も知らない父が酒を取りに来た。
当職は気にせず支度をする。
しかし、当職は続けながらも意識は父の方に向け、密かにどんな反応をするか楽しみにしていた。
父は冷蔵庫の扉を開けると、まずその異変に気付いた。
跡形もなく消え失せている嗜好品。
それを目の当たりにした父は、最初こそ事態を把握できずに固まっていたが、やがて落ち着きを取り戻すと、徐に扉を閉めてこちらを振り向き、全体重をのせた躊躇のない一撃を当職の頬に突入した。
あまりに咄嗟の出来事だったので、当職は訳もわからず転がり果てる。
父はそのまま馬乗りになると、当職の顔面を殴り始めた。
脳を直接揺らされるような重い一撃が、何度も何度も繰り返される。
「い、痛いナリ!痛いナリィィィ!」
悲痛の叫びをあげるが構わず殴り続ける。
意識が朦朧とし始めたころ、父は殴打を止め、代わりに首に手を当てた。
瞬時にこれから行われるであろう事を理解し、なんとかそれを避けるため弁明する。
「当職は何もしてないナリ!悪いのは全て弟ナリ!」
それを聞いた父は手を離し、もう一度顔を殴ってから厨房を後にした。

弟は死んだ。
死因は窒息死。
全身には殴打された後があった。
犯人は弟の、当職の父。
しかし、これを知るものは誰もいない。
当職は冷たくなった弟を河川敷に運んだ。
生きるため 仕方なかった。

あの時、当職は何をしたら良かったのだろうか。
自問自答する日々、最終的に出会ったのが法律だった。
弟が16、当職が17のことである。

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