「唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/青山吉伸」の版間の差分

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>チー二ョ
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彼は休憩時間でも、私が話しかけなければ誰とも会話せず、ずっと椅子に座って瞑想してました。周囲がどんなに騒がしくても、同じ姿なんです。5時の夕食の際にラジオが聴けるんですが、彼は部屋に戻るとスイッチを切ってしまうんです。
彼は休憩時間でも、私が話しかけなければ誰とも会話せず、ずっと椅子に座って瞑想してました。周囲がどんなに騒がしくても、同じ姿なんです。5時の夕食の際にラジオが聴けるんですが、彼は部屋に戻るとスイッチを切ってしまうんです。


部屋には14型テレビが置いてあって、月曜と金曜、日曜に数時間見ることができますが、彼が見るのは動物番組やNHKの「プロジェクトX]くらいで、ほとんど関心を示しませんでした。
部屋には14型テレビが置いてあって、月曜と金曜、日曜に数時間見ることができますが、彼が見るのは動物番組やNHKの「プロジェクトX」くらいで、ほとんど関心を示しませんでした。
思い出すのもイヤなのは、3か月に一度、隣りの某にスライド式に移る転房のときです。彼は私の隣りの舎房でしたから、私は必ず彼の使っていた房に移ることになります。ところが、彼はまったく掃除ができないんです。洗面受けの中なんか真っ黄色なんですよ。タワシでこすれば落ちるものを、よくここまで汚したな、と思ったほどです。
思い出すのもイヤなのは、3か月に一度、隣りの某にスライド式に移る転房のときです。彼は私の隣りの舎房でしたから、私は必ず彼の使っていた房に移ることになります。ところが、彼はまったく掃除ができないんです。洗面受けの中なんか真っ黄色なんですよ。タワシでこすれば落ちるものを、よくここまで汚したな、と思ったほどです。
便器は、さすがに汚物だけは流していましたが、周囲は汚れていて、陰毛もいっぱい落ちてるんです。棚も手で触れるとホコリだらけ。だから転房のときは憂鬱でしたよ。
便器は、さすがに汚物だけは流していましたが、周囲は汚れていて、陰毛もいっぱい落ちてるんです。棚も手で触れるとホコリだらけ。だから転房のときは憂鬱でしたよ。
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サリン事件後、逮捕された信者に口止めに回ったことについては、「当時は弁護士だったから、守秘義務があった。あくまで弁護士としての仕事をしただけで、(自分の)責任は取りました」と話すのみでした。
サリン事件後、逮捕された信者に口止めに回ったことについては、「当時は弁護士だったから、守秘義務があった。あくまで弁護士としての仕事をしただけで、(自分の)責任は取りました」と話すのみでした。


私が「オウム真理教という教団は結局、なんだったのか」と問うと、「教団とはマスコミが名づけただけで、教団とは思っていない」と子試した。彼は、「自分を高めるために調練していたのだ」といって、多くを語ろうとしませんでした。
私が「オウム真理教という教団は結局、なんだったのか」と問うと、「教団とはマスコミが名づけただけで、教団とは思っていない」と答えました。彼は、「自分を高めるために調練していたのだ」といって、多くを語ろうとしませんでした。
教祖だった麻原彰晃(48=松本智津夫被告)については「もう過去の人です」といって、「会いたくない」と話してましたね。私の目には、オウムと完全に訣別しているように見えましたね。
教祖だった麻原彰晃(48=松本智津夫被告)については「もう過去の人です」といって、「会いたくない」と話してましたね。私の目には、オウムと完全に訣別しているように見えましたね。


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