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坂本堤弁護士は東京大学法学部卒業後は法律事務所の事務職員勤務を経て、1984年(28歳)に司法試験に合格し、第39期[[司法修習]]生を経て1987年より弁護士となり、{{Archive|http://yokohamalawoffice.com/|https://archive.ph/nqO5I|横浜法律事務所}}で弁護士業務に携わった。
坂本堤弁護士は東京大学法学部卒業後は法律事務所の事務職員勤務を経て、1984年(28歳)に司法試験に合格し、第39期[[司法修習]]生を経て1987年より弁護士となり、{{Archive|http://yokohamalawoffice.com/|https://archive.ph/nqO5I|横浜法律事務所}}で弁護士業務に携わった。


事務職員時代は{{wpl|豊田商事破産事件}}管財人弁護士団を手伝っていたことがあり、妻の都子も[[宇都宮健児]]の事務員として管財人弁護士団に参加していたため、管財人弁護士団経由で2人は巡り会ったのである。
事務職員時代は{{wpl|豊田商事破産事件}}管財人弁護士団を手伝っていたことがあり、妻の都子も[[宇都宮健児]]の事務員として管財人弁護士団に参加していたため、管財人弁護士団経由で2人は巡り会ったのである<ref>{{Archive|https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20191103-00149458|https://archive.ph/mZJa1|坂本弁護士一家殺害事件から30年  ~事実や教訓を正しく後世に伝えたい}} - Yahoo!ニュース</ref>。


1989年からは{{wpl|江川紹子}}経由でオウム真理教に出家した信者の親たちからオウム真理教脱会について相談されたことをきっかけに、教団と交渉を開始、また同年5月には「オウム真理教被害対策弁護団」を設立し、オウム真理教の[[事実追求路線|事実追求]]や批判を行った。
1989年からは{{wpl|江川紹子}}経由でオウム真理教に出家した信者の親たちからオウム真理教脱会について相談されたことをきっかけに、教団と交渉を開始、また同年5月には「オウム真理教被害対策弁護団」を設立し、オウム真理教の[[事実追求路線|事実追求]]や批判を行った。
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坂本堤弁護士は<s>[[唐澤貴洋|どこかの誰かさん]]とは違い</s>法的措置をとり、<s>どこかの誰かさんのように[[唐澤貴洋被害者説|プロパガンダ]]を垂れ流す目的ではなく</s>オウム真理教の真実を知ってもらうべく取材<ref>オウム真理教に対し当時から批判的な立場をとっていた{{wpl|サンデー毎日}}への関わりが強かったとされる</ref>やマスコミ<ref>後に{{wpl|TBSビデオ問題}}などへと繋がる</ref>にも登場しては教団の問題点を指摘した<ref>{{Archive|https://bunshun.jp/articles/-/40970|https://archive.ph/Z85di|「私が地下鉄にサリンを撒きました」 坂本弁護士一家殺害事件の犯人が自首した理由}} - [[週刊文春]]</ref>。それらの結果、坂本堤弁護士は教団からの反感を買い、1989年11月4日の午前3時頃に'''[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧|教団の幹部]]らによって妻の都子と長男の龍彦と共に殺害されてしまった({{wpl|坂本弁護士一家殺害事件}})'''。[[麻原彰晃]]が犯行を指示([[ポア]]のサインを出し、{{wpl|塩化カリウム}}で殺害するよう命じたとされる)し、犯行に関与しているとされたのは[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#マハー・アングリマーラ大師|岡崎一明]]・[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/村井秀夫|村井秀夫]]・[[正大師#ミラレパ正大師|新実智光]]・[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#ティローパ正悟師|早川紀代秀]]・[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#ヴァジラ・ティッサ正悟師|中川智正]]・[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#ガフヴァ・ラティーリヤ師長|端本悟]]である。
坂本堤弁護士は<s>[[唐澤貴洋|どこかの誰かさん]]とは違い</s>法的措置をとり、<s>どこかの誰かさんのように[[唐澤貴洋被害者説|プロパガンダ]]を垂れ流す目的ではなく</s>オウム真理教の真実を知ってもらうべく取材<ref>オウム真理教に対し当時から批判的な立場をとっていた{{wpl|サンデー毎日}}への関わりが強かったとされる</ref>やマスコミ<ref>後に{{wpl|TBSビデオ問題}}などへと繋がる</ref>にも登場しては教団の問題点を指摘した<ref>{{Archive|https://bunshun.jp/articles/-/40970|https://archive.ph/Z85di|「私が地下鉄にサリンを撒きました」 坂本弁護士一家殺害事件の犯人が自首した理由}} - [[週刊文春]]</ref>。それらの結果、坂本堤弁護士は教団からの反感を買い、1989年11月4日の午前3時頃に'''[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧|教団の幹部]]らによって妻の都子と長男の龍彦と共に殺害されてしまった({{wpl|坂本弁護士一家殺害事件}})'''。[[麻原彰晃]]が犯行を指示([[ポア]]のサインを出し、{{wpl|塩化カリウム}}で殺害するよう命じたとされる)し、犯行に関与しているとされたのは[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#マハー・アングリマーラ大師|岡崎一明]]・[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/村井秀夫|村井秀夫]]・[[正大師#ミラレパ正大師|新実智光]]・[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#ティローパ正悟師|早川紀代秀]]・[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#ヴァジラ・ティッサ正悟師|中川智正]]・[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#ガフヴァ・ラティーリヤ師長|端本悟]]である。


坂本弁護士らは強く抵抗したため毒殺は実現できず、首を絞めて殺害したため死因は窒息死であるとされている。犯行に及んだ動機は{{wpl|第39回衆議院議員総選挙|翌年に控える衆院選}}への悪影響や今後の教団の発展の障害となることを恐れたからだとされている。麻原は殺害の成功を喜び、説法の後に3人の遺体をドラム缶の中に入れて別々の場所に埋めるよう指示したということもあり、捜査は難航した。麻原は死体遺棄を終えて帰ってきた一行に「真理を妨害することで得た金で養われている者も悪行を積んでいる」と説いて、「三人殺したら死刑は間違いない。みんな死刑だな」と笑いながら語ったとされている。事件から6年後の1995年に[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#マハー・アングリマーラ大師|岡崎一明]]からの自供により3人の死体遺棄場所が判明する<ref>{{Archive|1=https://www.jiji.com/jc/d4?p=aum995-jpp05676464&d=d4_aum|2=https://archive.ph/U51qy|3=日本震撼、オウム事件全史 写真特集}}</ref>。供述に基づき捜索したところ、同年9月6日、新潟県西頸城郡名立町(現・上越市)の山中から発見された。同じ日には富山県魚津市の林道脇から妻の遺体が、4日後の9月10日には長野県大町市の山中から長男の遺体が発見された。日弁連が声明を出しているので掲載する。
坂本弁護士らは強く抵抗したため毒殺は実現できず、首を絞めて殺害したため死因は窒息死であるとされている。犯行に及んだ動機は{{wpl|第39回衆議院議員総選挙|翌年に控える衆院選}}への悪影響や今後の教団の発展の障害となることを恐れたからだとされている。麻原は殺害の成功を喜び<ref>{{Archive|https://blog.goo.ne.jp/h_inagiku5/e/5c560ecd2854629d4cdd29299b007638|https://archive.ph/t76Y9|坂本弁護士一家殺害事件ーまだ残る闇ー}} - 小川洋子のブログ</ref>、説法の後に3人の遺体をドラム缶の中に入れて別々の場所に埋めるよう指示したということもあり、捜査は難航した。麻原は死体遺棄を終えて帰ってきた一行に「真理を妨害することで得た金で養われている者も悪行を積んでいる」と説いて、「三人殺したら死刑は間違いない。みんな死刑だな」と笑いながら語ったとされている。失踪が明らかとなった時点で、オウム真理教の関与が強く疑われたものの、麻原はテレビに出演し強く抗議、捜査は難航した。
日弁連は1990年2月15日、名指しこそはしないものの実行犯の良心に訴え、事件の早期解決を願う会長声明を発表している。
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{{Archive|https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/1990/1990_3.html|https://archive.ph/X4Pbr|「坂本堤弁護士一家の拉致事件」に関与した「あなた」に訴える}}
<div class="mw-collapsible-content">
わたしたちは、この事件に関与したあなたの良心に訴えます。
 
わたしたちは、人が人として有するはずの良心が、あなたにあることを信じたいと思います。
 
弁護士は、つねに人権を擁護し社会正義を実現しようと努力しています。
 
ひとびとの紛争が解決し、社会生活を円満に営むことができるように、つねに最善の努力をはらっています。
 
それがわたしたち弁護士としての仕事であり、使命なのです。
 
坂本弁護士は、この弁護士としての当然の仕事をしていました。
 
その仕事がかりにあなたの意に沿わぬ場合には、他の弁護士があなたの利益を守るために働くことでしょう。
 
あなたの意に沿わない弁護士を実力で拉致し、その身柄を拘束することは、絶対に許されないことであり、いかなる理由を付けてもそれを正当化することはできません。
 
これは「人間の尊厳」を踏みにじる重大な犯罪行為であり、その責任は極めて重いものであることはあなたも知っているとおりです。
 
ましてや坂本弁護士の家族の生命や身体、さらに精神状態にもしものことがあればなおさらのことです。
 
弁護士は、日本の司法制度の重要な一翼を担うものであり、その弁護士の生命、身体を暴力をもって侵害することは、司法制度そのものの否定、ひいては民主主義への重大な挑戦となります。わたしたちは、この雪の降る厳冬の折りに、幼い龍彦君がどうしているのか、寒さに震えていないか、食べるものは十分与えられているのか、ほとんど何も持たずに拉致された坂本夫妻はどうしているのだろうかと本当に心配しています。
 
あなたの良心を信じ、訴えます!
 
坂本弁護士一家の安否の情報提供を!
 
彼らを一刻も早く解放し、彼らの自宅に無事戻すことを!
 
1990年(平成2年)2月15日
 
日本弁護士連合会
会長 藤井英男
</div></div>
また、1992年の第43回日弁連定期総会では、坂本一家救出決議が採択されている。
<div class="toccolours mw-collapsible mw-collapsed">
{{Archive|https://www.nichibenren.or.jp/document/assembly_resolution/year/1992/1992_1.html|https://archive.ph/vjvJ0|第43回定期総会・坂本弁護士一家救出に関する決議}}
<div class="mw-collapsible-content">
'''(坂本弁護士一家救出に関する決議)'''
 
坂本弁護士が、妻都子さん、長男龍彦君とともに、1989年(平成元年)11月4日自宅から忽然と姿を消して2年6か月が経過した。
 
この間、一家の救出に向けて警察の懸命の捜査、多くの市民・マスコミの温かい協力、私たち自身のさまざまな努力が続けられてきた。
 
しかし、誠に残念ながら、今日まで一家の救出には至らず、安否の確認はおろか、事件の概要すら判明しないという状況にある。
 
いま、時の経過のなかで、この事件が人々の意識から遠ざかりつつある。一部には生存を危ぶむ声や、救出への懐疑的な姿勢もみられ、誠に憂慮すべき事態に立ち至っている。
 
私たちは坂本弁護士の沈着、冷静かつ粘り強い性格からして、一家はどこかで必ず生きていると信じている。救出の手が差し延べられるそのときを固く信じて、今このときも不屈の精神でたたかい抜いているはずである。
 
私たちは、この問題を弁護士業務に関連した拉致事件と断定し、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士の活動を暴力的行為によって妨害する狙いをもったものであると位置づけた。坂本弁護士一家救出活動は、一家の救出と同時に、正にこのような狙いをもった暗黒の勢力による妄動の根絶に向けての活動でもある。
 
救出活動が功を奏さず、この事件が風化することは、家族をもまきこむというこの卑劣な事件の醸し出す恐怖が、私たちの意識の底に重く沈潜してくることを意味する。ひいては弁護士の活動が広範囲にわたって阻害され、逼塞し、わが国の司法制度ないし法秩序自体が危殆に瀕することとなる。
 
たゆみなく続けられる救出活動を通じ、民主主義や基本的人権を擁護する活動を、より強固に進めることによってのみ、犯人の狙いを打ち砕くことができるものと確信する。ここに私たちは坂本弁護士一家救出のため、総力をあげる決意を改めて表明するとともに、広く市民にこれまでに倍するご支援、ご協力を心から要請するものである。
 
以上のとおり決議する。
 
1992年(平成4年)5月20日
日本弁護士連合会
<Br>
'''提案理由'''
<Br>
1.坂本堤弁護士一家3名が1989年(平成元年)11月4日以来行方不明となってすでに2年6か月余が経過した。
 
事件が坂本弁護士の弁護士業務に起因したものであることは、当連合会の調査のみならず、警察の捜査によっても明らかにされ、今日では疑う余地のないものとなっている。
 
2.当連合会は、このような観点から平成2年度の第41回定期総会において、弁護士業務妨害に関する決議を採択し、その中で「暴力的手段による弁護士活動の妨害は司法制度ないし法秩序への挑戦であることを厳しく認識し、一致団結してこれと闘い、基本的人権の擁護と社会正義の実現のため全力を尽くす決意」を表明し、政府ならびに関係諸機関に対し「現に生命の危険にさらされている坂本弁護士とその家族の救出に総力をあげとともに、弁護士業務を原因として加えられる暴力から弁護士の生命身体の安全を確保するため万全の措置を講じるよう強く要請」した。
 
会長自ら数次にわたって現地におもむき、前記決議及び調査結果に基づいて警察庁、神奈川県警察本部に対し度々厳正な捜査を要請してきた。
 
また当連合会は、広く市民に救出と事件の本質を訴えることを目的とし関東弁護士会連合会および横浜弁護士会と共催で「生きてかえれ!坂本弁護士と家族の救出をめざす全国集会」を二度にわたって開催し、多くの市民の参加を得た。
さらに近時坂本弁護士一家拉致事件をはじめとする弁護士業務に対する暴力的な妨害が増加する中でその絶滅を期し、昨年11月21日当連合会は弁護士業務妨害対策協議会を発足させ活動を開始した。
 
3.この間、坂本弁護士一家拉致事件については、関東弁護士会連合会をはじめとする全国のほとんどの単位弁護士会において会長声明や決議がなされるとともに、坂本弁護士一家の救出をめざす弁護士会主催の集会も数多く開催されている。また弁護士有志の間で「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」(略称「救う会」)が結成され、この会には現在3000人を超える弁護士有志が参加し活動を継続している。このほか、市民のなかから「坂本弁護士と家族をさがす会」などの会が結成され、弁護士一家救出に向けてさまざまな取り組みがなされてきた。
 
さらに、弁護士と市民の有志からなる「坂本堤弁護士一家救出のための懸賞金広告実行委員会」が発足し、懸賞金広告が実施されている。
 
国会議員の間にも超党派による「国会議員懇談会」も結成された。
 
4.このような当連合会、各弁護士会連合会、全国の単位弁護士会、弁護士会員の努力、多くの市民の協力、捜査当局の懸命な捜査等にもかかわらず、残念ながら、今日まで坂本弁護士一家の救出はもとより有力な手懸りもないまま概に2年6か月余が経過した。
坂本弁護士一家の親族の方々の心痛を考えるとき、また、本件が単に坂本弁護士一家だけの問題ではなく、弁護士活動全体に対する挑戦であることを考えるとき、この問題の未解決のまま推移させることは許されない。
 
ことの重大性を認識しながらも、時間の経過は、人々の認識から事件を遠ざけていく。一部には生存を危ぶむ声やこのまま救出活動を継続していくことについて消極的な意見も聞かれ始めた。
 
事件の風化は単に事件が忘れ去られるということではない。事件直後に家族から「あなたは大丈夫?」と問われ、「危険な仕事はしないで」と請われた会員も少なくない。坂本弁護士一家の救出活動が功を奏さず、事件の解明がなされないということは本来弁護士業務と無関係な家族をも巻き込むという卑劣なこの事件が醸し出す恐怖が私たちの意識の底に深く沈潜していくことを意味する。
 
基本的人権の尊重と社会正義の実現を使命とする弁護士が1回や2回の業務妨害で、その使命を放棄することはあり得ない。しかし、これまで100歩出て、人権侵害とたたかっていたものが、99歩、98歩、あるいは90歩になることも否定できない。基本的人権の尊重や民主主義の擁護が不断の努力とたたかいによってのみ維持・発展していくものであるという歴史の教訓からすれば、一人ひとりの少しずつの後退がもたらすものの大きさは図り知れない。
 
5.マスコミによる坂本事件の報道も極端に減少しているいまこそ、当連合会は坂本弁護士一家の生存を信じ、救出を改めて訴えると同時に、事件の本質即ち弁護士業務の暴力的妨害がもたらすものが、わが国の民主主義や人権を大きく後退させることに繋がることを各界に強く訴える必要がある。救出活動のあり方も、広く市民の力をかりて、ともに救出のために奮闘し合うことが、救出の最大の保障である。そして、その活動を通じてわが国の民主主義や基本的人権の尊重がより強固に確立されることにより犯人の狙いを打ち砕くことができる。
 
引き続き捜査機関に対し、一層強力な捜査を要請するとともに、当連合会の坂本弁護士事件に対する考えを明確にアピールすることが、いま求められている。
 
以上の理由により本決議を提案する次第である。
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事件から6年後の1995年に[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#マハー・アングリマーラ大師|岡崎一明]]からの自供により3人の死体遺棄場所が判明する<ref>{{Archive|1=https://www.jiji.com/jc/d4?p=aum995-jpp05676464&d=d4_aum|2=https://archive.ph/U51qy|3=日本震撼、オウム事件全史 写真特集}}</ref>。供述に基づき捜索したところ、同年9月6日、新潟県西頸城郡名立町(現・上越市)の山中から発見された。同じ日には富山県魚津市の林道脇から妻の遺体が、4日後の9月10日には長野県大町市の山中から長男の遺体が発見された。日弁連が声明を出しているので掲載する。
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{{Archive|https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/1995/1995_9.html|https://archive.ph/tCy7Y|坂本堤弁護士遺体発見に関する声明}}
{{Archive|https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/1995/1995_9.html|https://archive.ph/tCy7Y|坂本堤弁護士遺体発見に関する声明}}
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余談だが、坂本堤弁護士の母の坂本さちよ氏は2020年3月にインタビューに応じ、当時の心境やマスコミ対応への不満を述べている<ref>{{Archive|https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/35160|https://archive.ph/jL0Yk|坂本堤弁護士の母・坂本さちよさん/「生きている者の義務」として(松島 佳子)2020年3月}}</ref>。
余談だが、坂本堤弁護士の母の坂本さちよ氏は2020年3月にインタビューに応じ、当時の心境やマスコミ対応への不満を述べている<ref>{{Archive|https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/35160|https://archive.ph/jL0Yk|坂本堤弁護士の母・坂本さちよさん/「生きている者の義務」として(松島 佳子)2020年3月}}</ref>。
本事件の反省から弁護士への業務妨害への対策が急務となり、各弁護士会には「業務妨害対策委員会」が設立された<ref>{{Archive|https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/jfba_info/publication/70kinenshi_4-5.pdf|https://web.archive.org/save/https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/jfba_info/publication/70kinenshi_4-5.pdf|V.弁護士業務妨害対策}} - 日弁連七十年</ref>。第一東京弁護士会の業務妨害対策委員会では、[[若手会員が知っておくべき弁護士業務妨害対策|尊師が座談会に参加]]し、[[インターネット上の誹謗中傷と業務妨害|尊師]]や[[インターネットを利用した業務妨害|山岡]]が時折寄稿している。


== 恒心教との関係 ==
== 恒心教との関係 ==
[[恒心教]]が[[パカ弁]]を中心とした[[弁護士]]というジャンルを取り扱っており、また、恒心教はオウム真理教と不謹慎文化の影響が根強いため、直接的な関係性はないが、親和性は高いと思われる。
[[恒心教]]が[[パカ弁]]を中心とした[[弁護士]]というジャンルを取り扱っており、また、恒心教はオウム真理教と不謹慎文化の影響が根強いため、直接的な関係性はないが、親和性は高いと思われる。
2015年12月2日、第一東京弁護士会会長[[岡正晶]]は[[爆弾三勇士|GoogleMap改ざん事件]]にて「弁護士制度に対する重大な挑戦」という声明を発表<ref>{{Archive|http://www.ichiben.or.jp/opinion/opinion2015/post_308.html|https://archive.vn/f1MYK|弁護士業務妨害に対する会長声明 - 第一東京弁護士会-声明・決議・意見書-2015(平成27)年度}}</ref>。単なるいたずらにししては大げさという意見<ref>{{Archive|http://www.morihigaisya.shop/kirasen2/test/read.cgi/audray/1450785899/959|https://archive.ph/1kGwL|【大幸薬品】雑談★17【下痢弁担当】>>959}} - ドリケー</ref>もあったが、本事件のように弁護士が殺害された事件が念頭にあったため<ref>{{Archive|http://www.morihigaisya.shop/kirasen2/test/read.cgi/audray/1452609552/756|https://archive.ph/PRpo8|【小関直哉】雑談★25【初霜担当】>>756}} - ドリケー</ref>と思われる。


== 唐澤貴洋との関係 ==
== 唐澤貴洋との関係 ==
唐澤貴洋が坂本堤弁護士について言及したことこそないのだが、前述した忌々しい事件は[[唐澤貴洋]]の若き頃に起こっているので唐澤貴洋も知らないはずがないのだが、唐澤貴洋は'''[[尊師#大喜利で尊師を使用|嬉々として大喜利のネタで尊師と発言]]したり[[弁護士唐澤貴洋のCALL_IN_SHOW#課金するぞ_課金するぞ_課金するぞ_と言われないか心配です。|弁護士のアカウントでオウムスラングの改変を発信]]'''したあげく、批判した教徒をブロックしたり<ref>{{Archive|https://twitter.com/AYANO_TEC/status/1524782188129972224|https://archive.ph/3BC35|ブロックされた教徒1}}</ref><ref>{{Archive|https://twitter.com/hi_bai_hin/status/1525449467628908544|https://archive.ph/RJD25|ブロックされた教徒2}}</ref>と'''弁護士倫理が著しく欠如した行為'''を平然としている始末である。
唐澤貴洋が坂本堤弁護士について言及したことこそないのだが、前述した忌々しい事件は[[唐澤貴洋]]の若き頃に起こっているので唐澤貴洋も知らないはずがないし、[[岡正晶]]が声明を出した背景も当然理解しているはずである。また、2022年2月3日には[[正大師#マイトレーヤ正大師|上祐史浩]]が当事件を語ったYouTube配信通知をわざわざリツイートしているため、配信も視聴したと見られている<ref>{{Archive|https://ensaimada.xyz/test/read.cgi/43044/1643477764/160|https://archive.ph/MT1bD|【唐澤貴洋殺す】雑談★27【44歳児】【お問合わせフォームマン3号】>>160}} - マヨケー</ref>。
 
しかし一方で唐澤貴洋は'''[[尊師#大喜利で尊師を使用|嬉々として大喜利のネタで尊師と発言]]したり[[弁護士唐澤貴洋のCALL_IN_SHOW#課金するぞ_課金するぞ_課金するぞ_と言われないか心配です。|弁護士のアカウントでオウムスラングの改変を発信]]'''したあげく、批判した教徒をブロックしたり<ref>{{Archive|https://twitter.com/AYANO_TEC/status/1524782188129972224|https://archive.ph/3BC35|ブロックされた教徒1}}</ref><ref>{{Archive|https://twitter.com/hi_bai_hin/status/1525449467628908544|https://archive.ph/RJD25|ブロックされた教徒2}}</ref>と'''弁護士倫理が著しく欠如した行為'''を平然としている始末である。その態度は、[[弁護士マップ]]でも批判されている<ref>{{Archive|https://ensaimada.xyz/test/read.cgi/43044/1652691072/561|https://archive.ph/YvL6T|【唐澤貴洋殺す】雑談★31【N国狂信者】【宮迫再コラボ】【尊師ール恒認】>>561}} - マヨケー</ref>。


これには[[オウム]]ネタを初めとする不謹慎ネタを嗜む[[恒心教徒]]ですら[[長谷川亮太の常軌を逸した書き込み|ドン引きするばかり]]であった。
これには[[オウム]]ネタを初めとする不謹慎ネタを嗜む[[恒心教徒]]ですら[[長谷川亮太の常軌を逸した書き込み|ドン引きするばかり]]であった。
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