恒心文庫:首都崩壊

本文

『警告します、全ての住民は行政機関の指示に従い所定の場所への退避を命じます。繰り返し警告します、全ての……』
街中に響き渡るサイレンと悲鳴。道には拳銃を構えた警官とライフルを持った自衛隊員が殺気立った目であたりを見回している。
道端には死体がいくつか転がっているが、道行く人々はそれに目を留めることもなく足早に通り過ぎていく。
「どうしてこんなことになったんだ。どうしてこんなことに……」
洋はピュア虎ノ門4階から眼下の惨状を見下ろしていた。
つい先刻まで法律事務所兼会計士事務所だったオフィスは、戦場のように荒れ果てていた。
デスクと椅子はひっくり返り、ソファは二つに割れ、床には書類が散乱している。そして壁には赤い染みが鈍い光を放ち、
それが付いたばかりであることをアピールしていた。
「何やってるんですか洋さん!早くここから逃げましょう!」
洋が振り返ると、息子の同僚であった山岡と事務員の渡邊が銃を持って立っていた。
その銃はAK-47、通称カラシニコフ自動小銃だったかなと場違いなことを洋がぼんやり考えていると、階下から複数人の悲鳴と聞きなれた『絶叫』が聞こえた。
「糞、またこっちに来たのか。洋さんは何か盾になるものの影に……!」
山岡と渡邊がオフィス入り口に銃を向けた時、オフィス内に『それ』が侵入してきた。
ぶよぶよの肉体は2メートルに達し、ピンク色の光沢を放っている。その頂点には人の頭が乗っていた。
そう、洋の息子。唐澤貴洋の頭だ。
「からさん、本当にすみません!」
そう叫ぶや否や、山岡は慣れない手つきで銃を唐澤貴洋に向かって撃ち、渡邊がそれに続く。その情景を洋はただ黙ってみているほかなかった。
数十秒後、オフィスにいる人間には何十分にも感じられた時間が過ぎたとき、かつて唐澤貴洋だった『それ』は血まみれの肉塊と化して動かなくなった。
「……山岡君、息子がいつも迷惑をかけるねえ」
洋が力なく呟くと、山岡は泣きそうな顔で肩をすくめた。
そのとき、床に転がっていたテレビから映像が流れる。レポーターの男性がカメラに向かって何やら叫んでいる。
『政府は港区の完全封鎖と焦土作戦の実行を決定しました。現在どの道も避難民であふれかえりパニック状態です。該当地域の住民の皆さんは速やかに避難してください。繰り返します、該当地域の住民の皆さンマ゛ッ!』
一瞬ののち、レポーターの頭が砕け散るとテレビカメラは首を喪失してゆっくり崩れ落ちるレポーターの胴体とそれの犯人である唐澤貴洋を映し出す。
『あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!』
唐澤貴洋の絶叫が響き渡ると同時に画面は切り替わり、顔面蒼白になった女性アナウンサーが新たに映し出された。
『た、ただいまより港区の完全封鎖を開始するとのことで、じゅ、住民の皆様は迅速な避難をお願い……』
山岡は疲れた顔テレビを見ていたが、気力を振り絞って笑顔を作ると洋たちに向き直った。
「とりあえず、ここから脱出しましょう。また『からさん』が来る前にね」
オフィスから出ていく三人。テレビの光だけが誰もいなくなった室内を不気味に乱舞していた。

今の惨状を反映するかのように空には暗雲が立ち込める。
唐澤貴洋の集団が逃げ遅れた住民や、殿となって避難を援護する警官や自衛隊員を容赦なく引き裂いていく。
封鎖区域と安全区域の境界ではバリケードが築かれており、バリケードの外側からは戦車の火砲や重火器の弾丸が。空からは戦闘機から投下される爆弾が人間と唐澤貴洋の区別なく街ごと破壊していく。
その様子を洋たちは他の避難民たちと共に眺めていた。こうなるのも仕方のないことだと頭の片隅では理解している。それでも息子が傷つけられるのはやはり心苦しい。
肩を落とす洋の肩に山岡がそっと手を乗せたとき、近くのビルのモニターに初老の男性が映し出された。『政府首相代行、森公高』とテロップが下に写っている。
『国民の皆さま、今回の局地的災害と焦土作戦により港区では多くの人命が失われました。しかし、これは首都を守るための必要な犠牲であり、やむを得ない決断であったと……』
その時悲鳴が上がった。唐澤貴洋の一体がバリケードを突破したのだ。すぐに攻撃が集中するが、次から次へと後方から唐澤貴洋が際限なく湧いてくるためにやがて対処できなくなっていく。
唐澤貴洋が一両の戦車を腕で叩き潰したとき、その場から逃げ出そうと後ずさっていた群衆は一気に駆け出した。
武器を持っている者たちは勇気を奮い抵抗するが、多勢に無勢で次々潰されていく。
無意識のうちに洋たちはその場から全速力で逃げ出していた。だが、次の避難場所がどこなのか誰も知らない。
「港区は終わった。東京ももうすぐ……いや、首都圏全域かな?」
山岡が諦めた顔で呟くのを洋は聞いた。
「ああ、神様。これ以上ワシの息子に世界を滅ぼさせないでくれ」
洋は心の中で祈りながら機能を喪失した市街地を走り続けた。

終わり

挿絵

リンク