恒心文庫:秘密の関係

本文

「キミちゃん、お願いだからワシと別れんでくれ!」
ヒロ君が僕の足元にすがりついて懇願する。
今にも泣き出しそうな声で、まっすぐに僕のことを見つめて。
「もう、それが無理なのはヒロ君のほうこそわかってるだろ」
僕は冷たく言い放った。
ヒロ君が僕に未練を感じないように、僕のことを嫌いになってくれるように。

僕とヒロ君はずっと付き合っていた。知り合ったのは仕事の席でだ。
僕たちは二人とも会計士をしている。はじめはただの友達から始まった。
将来ワシは会長になるんじゃ、なんて息巻くヒロ君をみて変わったやつだなと思った覚えがある。
でも、会計士同士、ライバルとして仕事をしているうちにいつの間にか彼に惹かれていって、
気がつくと僕は恋に落ちていた。
勇気を出して何回も食事に誘った。
「今日のモミ型、可愛いですね」
精一杯の勇気でヒロ君を誉めると、彼も顔を赤くして照れたものだ。
僕達は両想いだというのはすぐにわかった。
それから交際が始まった。楽しい日々。一緒にいるだけで幸せ。
でも、僕たちは男同士だった。その上、僕達にはそれぞれ家庭があった。
愛し合っているのに結ばれない。認められない。
「僕達ってロミオとジュリエットみたいだね」
「さしずめモミオとモリエットといったところかのお」
そんな他愛もない会話をしては、つらい現実から目を背けようとしていた。
でもわかっていた。知っていた。気づいていた。いつか終わりが来ることは。

「なぜじゃ、なぜ別れようなんていうんじゃ。これ以上ワシをいじめんでくれ」
ヒロ君の声が震えだす。
やめてくれ。お願いだから。僕だってつらいんだ。好きな人とわかれるのは。
「なんでもするぞい。なんでもじゃ」
僕はなにも言うことができない。表情を変えることもできない。
何かしようとしたら、その拍子にきっと僕は泣いてしまうだろう。
素早く後ろを振り向くと僕は走った。駄目だヒロ君のことを考えちゃいけない。
僕は転びそうになりながらも、二人の秘密の愛の巣として使っていたマンションの一室を飛び出す。
必死になって道路まで出ると、タクシーを拾って自宅に帰る。
そこには愛なんかないのに。

これでいいのだ。ヒロ君は会長になる男。日本の会計士界を引っ張っていく男。
僕なんかと付き合ってるなんてばれたらどうなる。だめだ、そんなのだめだ。
僕にとっての一番の幸せは、ヒロ君が幸せになること。
ヒロ君の夢は会長になることだった。その夢を叶えてあげなければ。

そして今日は会長選挙の発表。もちろん、ヒロ君が当選したはず。
僕は結果に目を通す。え、なんで、そんな。
そこにあるのは僕の名前。ヒロ君ではなく、僕の名前。
僕のケータイがなる。表示を見る。ヒロ君だ。出る、電話に出るよ。
「キミちゃん、どうじゃ、結果見たじゃろ?おめでとう」
「え、な、なんでヒロ君じゃないんだ」
ヒロ君は説明してくれた。当選を辞退して、代わりに僕を会長にしたことを。
そうすれば僕が喜ぶと思ってくれたそうだ。そして僕がよりを戻してくれると考えたそうだ。
何言ってるんだヒロ君。違うよ違うんだ。僕の幸せはヒロ君が会長になること。ヒロ君の夢が叶うことなのに。
だから僕は必死の思いでヒロ君と別れたのに、これじゃ全部無駄じゃないか。
それを僕は電話の向こうのヒロ君に伝えた。しばらく沈黙があった。それから、声が聞こえた。
「ワシの幸せはキミちゃんが幸せになることじゃぞ」

結局、僕達二人は相手が幸せになること一番の幸せだと感じていて、
そのせいでややこしいことになったわけだ。
僕とヒロ君はすぐに仲直りをした。仲直りのキスはずっとずっといつまでも続く。
「ねえ、ヒロ君、僕のこと好き?」
「ああキミちゃん、大好きじゃよ」
ヒロ君ははにかむ、僕は赤らむ。また唇を重ねる。
これからも、こうやって付き合っていく過程で、思い違いやすれ違いが起こるかもしれない。
ヒロ君の可愛いもみあげみたいに、僕達の思いがこんがらがることがあるかもしれない。
でもきっと大丈夫。
僕たちは大好き同士なんだから。地球上で一番のカップルなんだから。
舌を口の中に入れるとヒロ君が、可愛く喘ぎ声を上げた。

(終了)

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