恒心文庫:洋水
本文
「唐澤さん、あなたは男性の妊娠とは一体何だと思いますか……」
いつもの学説披露か、祥平は顔に静かな笑みを湛えてわたしの元に近づいてくる。
祥平の脳髄は常に新たな理論を構築し続けていて、ある程度完成したそれを同僚に披露するのが彼の楽しみだ。口を開いて早速畳み掛けてきた……
「わたしはですね唐澤さん、尿路結石こそが男性の妊娠の一つの形態であると思うのですよ、いやこれは女性の場合を考えてみてくださいね、卵巣から出てきた卵子が卵管を通って子宮まで運ばれてですよ、そこで卵子が精子と出会って受精卵になってですねそれが胎児となって子宮内で羊水に浸って成長して膣から外へ出てきます。
これを男性に当てはめてみてくださいよ、卵子に相当するシュウ酸が卵巣たる腎臓から卵管たる尿管から子宮たる膀胱に至ってですね、そこで胎児たる結石を作る、
膀胱の中で胎児は羊水たる尿に浸って大きくなって大きくなって、ついに激痛を伴って尿道から出産されるわけでしてそうでして」
祥平の口の発語能力は彼の燦然たる理論の説明には不十分ではあるが、それでも彼は口を動かし続ける……
「ですからね唐澤さん、わたしは結石を体内で砕いてしまおうと言う人は立派な赤子殺しとなにも違わないのではないかとおもうのですよ、いや最近は妊娠中絶に肯定的な意見が増えていっているのは事実ですけれどもね実際問題として胎児の命は失われているわけですからそれから目を背けるのはいかがなものかと思うのでしてね、いや話がそれてしまいましたがそんなわけでわたしは結石は立派な胎児に違いないと確信しておりましてね、唐澤さんはどう思われますか?」
祥平のこれが求めているのは意見ではなく、あくまで同意であるということをわたしはよく知っている……
「サア、わたしにはわからないけれども、そうなんだろうかね……」
「そうですか、唐澤さんはわたしが正しいと思ってくださるのですかそうですか、嬉しい限りですよ。というのもこの理論をわたしの大学時代の友人から親戚から弁護士仲間から色々な人に披露したところやれお前は頭がおかしいだのキチガイだの精神病院に行けだの散々な言われようでしてね、奴らはわたしの理論の素晴らしさを微塵もわかろうとしないのですよ、しかし唐澤さんはやはり素晴らしい。
そこでですね、わたしはこの理論を実際に証明しようと思い至ったのですよそうすれば彼らにもきっと納得していただけるでしょうから、そこで唐澤さんのお父様の力をお借りしたいのですがどうでしょうお願いしますよ唐澤さんこの前あなたの業務をお手伝いしたのと交換条件でよいのですよ」
彼の理論証明にわたしの父がどう助力できるのかサッパリ判らなかったものの、わたしは勢いにおされるまま首を縦に振った……
十数ヶ月後、祥平から着信があったのでわたしは彼の家の”実験室”――彼は自宅の一室を実験室と呼び、先述したような理論の証明に時間を費やしているらしい――に足を運んだ。実験室の戸を開けるわたしの視界に飛び込んできたのは、下着姿でベットに拘束され色とりどりの管を体に通されたわたしの父の姿であった……
「いやあ唐澤さんご足労かけて申し訳ない、とりあえずそこにある椅子に座ってくださいそれよりも見てくださいよ、実験の進捗は順調です」
「祥平くん、これは一体……」
「これですか、お父様の膀胱内に胎児を作るためにですねベットに横にさせたままシュウ酸をたっぷり取らせてですね、それだけでもまだ足りないので血管を通じてカルシウムやらなんやらを取らせてですね、大事な羊水、いやお父様の名前は洋ですから洋水というべきでしょうか、が尿管から外に出ていかないように尿道に蓋をしてましてねそれでですね、今や胎児は膀胱の10分の9を占め、膀胱も開始時の3倍に膨張するに至ったのですよ。
いやあそれにしても唐澤さん、洋水とはよく言ったものではないですか、どこか西洋チックでモダンですし、何より洋の三水はまさしく水のことを表しているわけですからいうなれば水羊水、羊水のなかの羊水という意味が含蓄されているようでなにか特別なものを感じましてね……」
わたしは祥平の発言を理解しようという気が起こらなかった……
「そこでですね唐澤さん、この実験が始まってもうとっくに臨月に至っているのでして、今夜お産をしようと思いまして、ぜひとも唐澤さんにお父様の出産を見届けていただきたいのですよ……」
わたしは首を横に触れなかった。この状態の彼の気分を害してしまえば父の命はないことを、わたしは誰よりも知っている……
さてお産である。祥平がなれた手付きで父の尿管に挿し込まれた栓を引き抜くと、橙色の尿が勢い良く吹き出す……
「唐澤さん、どうやらもう破水しているようです。イヤしかし困ったな、胎児が大きすぎて子宮の中で詰まっているみたいだ。すぐ産道を確保しましょう」
祥平は先程の管にバルーンをつけてそれを再度父の尿管に挿し込んで一気に膨らませると、悲鳴とともに陰茎が2つに裂けて割れる。バルーンを縮めた後、祥平はためらいもなく尿管の中に手を入れた……
「おっ唐沢さん、胎児がいますよ、今取り出しますからね、ぜひとも唐澤さんに抱き上げてほしいのです」
刹那、手のひら大の結石が取り出され、尿管から暗赤色の血がとめどなく溢れる……
「オヤこれは後産ですか、しかし参ったな、唐澤さん残念ですが死産みたいですよ、イヤ定期検診では確かに胎児がいるように思えたのですが取り出してみたら息がない」
落胆したようにみえる祥平は陰茎を釣り糸で結紮し、わたしを連れて実験室を出た。
居間で最初に口を開いたのは彼であった……
「イヤ申し訳ない、わたしがちゃんと出生前診断をしておけば良かったのです。しかしながらこの胎児はどうなさいますか、唐澤さんが欲しければお渡ししますけれども」
わたしは首を横に振る……
「いらないですか?そうですかわかりました。そうしていただけると有り難いのです。というのも竜涎香というものがありして、そうですマッコウクジラの、それでこの胎児でもそれを作れるのではないかと先程考えましてね。イヤ人体で作った竜涎香ともなれば希少この上ないですから、ぜひともどんな香水ができるのかと思いまして……あとお父様をもう十ヶ月ほど預けていただけないですか、次こそは成功させるつもりですし何より経産夫のほうがお産も楽に済むでしょうから、アッそうですか有り難うございます、そう言っていただけて何よりです」
わたしの父はどのみち助かりそうにない……
備考
「さてお産である。」以降の尿管は尿道の誤りである。