恒心文庫:洋「たったかひろ」

本文

あえぐ様な息づかいが、薄暗い部屋で繰り返されている。かすれた呼吸が、時折言葉の輪郭を形作る。
「た・・・たかひ・・・ろ・・」
弱々しく漏らされた言葉は薄暗闇に溶ける様にして消え、残された余韻が静寂を重苦しい沈黙に変えていく。
いや、重苦しいと感じているのは私だけかもしれない。そう思いながら、洋は自分の肩をかき抱いた。それは答えるもののない孤独からか、もしくは。
ふと、部屋の一隅に、橙色の光が灯った。
蝋燭の先で揺れる弱々しい光。その頼りなく震える灯火が一つ増えふたつ増え、やがて部屋の様相を焦らす様に露わにしていく。
そこは豪奢な空間だった。金糸に縁取られた赤々としたカーテンが、幾重にも月の光を遠ざけている。壁も真っ赤に塗りたくられ、棚の上は悪趣味な調度品で埋め尽くされている。変わらず薄暗い牢獄の様なその空間、その中心に、彼は座っていた。
黒々としたスーツ。真っ赤なネクタイ。黒々とした髪。黒々とした肌。
彼は血のように赤黒い玉座に深く腰掛け、毛足の長い真っ赤な絨毯に足を投げ出している。
そして、黒々とした瞳を哀れな羊に向けているのだ。
洋は罪を自覚した罪人の様により一掃腕を強くかき抱いた。白魚の様にぷりぷりとした指が、ラードの様にぷりぷりとした腕を締める。
洋は何も身につけていなかった。
下着も上着も、剃られてしまったのか陰毛もなかった。洋の足に手に、そして剃り跡にブツブツとした鳥肌が浮かんで行く。
その様子を見て、黒人の男はただ微笑を浮かべている。洋は耐え切れなくなったのか、息も絶え絶えに口にした。
「もう、やめにしよう・・・こんな・・・・こんな・・・」
しかし男に変化はなかった。洋の肌がじっとりとした汗に濡れて行く。濡れた肌に映って、蝋燭の火が急かす様に揺れている。
「あ、あ、たかひろ、たかひろ!」
男は貴洋だった。貴洋は変わらず座っていたが、自分の唇を舌先でなぞり続けていた。舌の動きが徐々に早くなっていく。
洋は貴洋をじっと見つめる様に祈っていたが、やがて顔をくしゃくしゃに歪ませた。そしてかき抱いていた腕をほどくと、そのまま頭の後ろまで持って行き手を組んだ。
途端あたりにすえた匂いが立ち込め始めた。洋は嗚咽をこぼしながら目をつむり、貴洋は舌を動かしながら立ち上がる。
匂いの元は洋のワキであった。剃られて数日たった剃り跡からはポツポツとした毛先が突き立ち、それでかぶれたのかワキの下を赤い湿疹が覆っていた。
貴洋はワキをさらけ出した洋の前に行くと、その腰を抱き寄せた。そしてその痛々しい剃り跡に口付けた。
「あっ あっ」
洋は思わず声をこぼした。屈辱に歪んでいた顔は徐々に緩み、悩ましげな表情で身をよじらせている。痒い所に手が届く気持ちに、洋は歓喜した。そして、これから別の部位にも同じ事をされると期待をふくらませた。
貴洋のザラザラとした舌が、湿疹を擦っていく。湿疹から染み出す体液を、舌先がチロチロと拭っていく。
誰が今の状況を引き起こしたのかも忘れ、洋はいっ時の快楽に溺れた。

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