恒心文庫:武士の一門

本文

もはや後はない。というのが当職の結論である。
仕事の話や、炎上の話ではない。
仕事だったら多く入ってくるし、山岡もいるから大丈夫だ。炎上なんて何れ解決する。
何の話かというと、家系図の話、具体的には結婚の話である。
こればかりは、山岡にも如何ともしがたい。だいたい、自分より容姿が優れた男性が隣にいるとどうしようもないのだが…諦めた手前、彼に当たるのはやめよう。
そう、諦めたのである。10代のころは淡い展望のような、それにも満たない何か希望のようなものを持っていた。20代の頃はやや現実に失望もしたものの、依然としてそれを持っていた。30代になると流石に焦りだしたが、ロースクールにはそういう人間が山ほどいたので、また、弁護士になれれば大丈夫だろうと思っていた。
ところがどうであろう。もう40が近いこの年において、結局指輪どころか女性の影すら見えない。こんなことがあっていいものだろうか。
数年はこのことでもがき苦しんでいた。自問自答する日々。しかし、最近になってようやく諦めがついた。

ならぬものはならぬのだ。
愛とか情欲とかは本来燃え盛り続けるものであって。そういうのが希薄で、燃え盛るのはネット上だけの当職には本来不向きであったのだ。
弟ももういない。すいません父さん。家系図は私で終わります。

その時、当職は思いついた。
家系図。そう、家系図だ。
どうせ終わるなら、後世に影響もないことだし、好きに盛ってしまおう。
自慢ではないが、もともと唐澤家は凄い家系図を持つ。天皇家、愛新覚羅、そして創業者一族の、など。
盛る必要がないくらいと言われたことがあるが、やはり生まれた時からこの家系図の当職としてはもっと何か欲しいものである。

そうして家系図を引っ張り出し、現在腕を組んでいる。うーむ。
そういえば、武士が足りない。昔闘争心が足りない、と揶揄されたことがあったが、それはもともと当職が希薄な人間であった為であって、親族の為ではない。だが、実際に戦に欠けた家系図を前にすると先祖のせいであるような気もしてきた。
悔しいので、歴史上の人物を検索しながら適当に書き足す。武家の名門で、優れているのにあまり有名でない人物。歴史学的に不明で曖昧な点があればなおよし。これがなかなか難しいが、苦心して当職は選び抜いた。
そうして選んだ人物を、河野家の家系図、昔から伸びる血の川の中流に紛れ込ませる。
足利直冬。
よし、これで当職も武士家の血を引く男になれたわけだ。
しかし不思議なものだ。たかが少し書き足しただけなのに、何だか血が滾るような、精力が漲るような気がしてきた……………



数年後、当職は一児の父となった。
その祝いの酒席で、嬉しさのあまりひどく酔っ払った父が言う。
「いやあ、本当によかったよかった……結婚できて、子供も授かるとは……不安だったが……しかし、私も…なかなか結婚できなくて、ヤケクソになって家系図に悪戯書きでもしてたっけな…あははは……………」

まさか、昔から皆考えることは同じなのだろうか。だとしたら……

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