恒心文庫:啓蒙パンデミック
本文
2020年4月某日深夜、世界がコロナウイルスの影響で混沌に満ち、かつての日常が緩やかに崩壊を迎えようとしていた
病魔に生活が脅かされていながらも働かざるを得ない者、コロナを患い死の淵に立たされる者、収入が途絶え国に頼らざるを得なくなった者
一方で病を舐めきって集会を開いたり濃厚接触をしたりして案の定発症する者、在宅ワークと偽り3Dソフトをいじりながら惰眠を貪る生活保護者、この期に及んでなお特定の人物に粘着レスを続ける自称社長の統合失調患者……と一種のモラルハザードが生じるところもあった
そんな中、とある弁護士事務所のツイッターアカウントにて投下されたつぶやきが注目されることとなった
真実は何であったか。
問われなければならないことがある。
失われた命がある。
この問題についてしっかりとした決着なくして近代国家とは言えない。
なぜPCR検査が後手に回っていたのか。
緊急事態宣言は経済を優先して解除されるのか。
今一日何人亡くなり、それは去年の同日に何人亡くなっていたのか、その比較がなされない限り、現実は見えてこない。
命よりも経済が優先されることがあっていいのか。
今、問われているのではないのだろうか。
我々自身に。
我々はしっかりと声を上げて、問わなくてはいけない。
政府は、経済的な補償をした上で、緊急事態宣言を継続できるのか。
スペイン風邪を例に見れば第1波の後第2波があり、多くの人が亡くなった。
ウイルスは変化して毒性を強めるかもしれない。
そのことについてまで検討をした上で専門家会議は結論を当然出すことだろう。
失われていい命などあるのだろうか。
集団免疫ができるまで何人の人が亡くなるのだろうか。
スペイン風邪のときに今の時代でいうと100万人近い人が亡くなった。
5月6日以降、感染の恐れがある中で、小中高大で登校を求められる子供たちの命の危険はないのだろうか。
この世の中をナメ切った妄言を面白がった教徒たちは、彼の事務所に大規模なけんまラジコンを画策するのだった
数時間前――
コロナとは関係なく仕事の依頼が来ないので引きこもり生活をしていた三密弁護士・唐澤貴洋(42)は、他のものが自粛しているにも関わらず暇だから、と同僚の原田を誘い居酒屋にて盃を交わさせた
父から買い与えられた高性能マスクを息苦しいからと床にポイ捨てしながら特上エビ天を頬張る、たまらない
ちょっと味が薄いかな?と天つゆをドバっとかけもう一口かじりビールを煽る
その様子を見て唐澤さん、と話を切り出すは原田であった
手には唐澤の捨てたマスクが握られており、その顔は食事中にも関わらず何重にもマスクを着けている
まるで隣にいるうんちクラスター地帯(42)を警戒してるようだった
「今殆どの人が外出を控えて感染防止に勤しんでるのに恥ずかしくないんすか?もしこんなの撮られたら俺までクズどもに叩かれるというのに……」
マスクを手でずらし、天ぷらを食べづらそうにかじり、咀嚼する
その顔はマスクの上からでもわかるくらい苛立ちに満ちており、酒も入ってるからか今にも堪忍袋の尾が切れそうだった
せっかく誘ってやったのに愚痴をこぼすなんて何様のつもりだろうか
もしここに山岡たちがいたらもう少し愛想を良くしてくれるぞ、と根拠のない自信を持ちつつジョッキのおかわりを頼む
店主もマスクを着けているがやはり目の前のデブをこころなしか睨みつけていた
またか、どこもかしこもコロナ・コロナ・コロナと自粛を求める態度を押し付けてくる
父親すら黙って呑み代を出せばいいものをやたら家に居ろと怒鳴るから殴りつけて金をぶんどった
お前みたいなデブで不摂生な奴が真っ先にコロナで死ぬんだよ親不孝者が
せっかくの飲み会も険悪なままで終わり機嫌は最悪だ
呑み足りない、と父の秘蔵のワインを開けて瓶ごとかっくらう
ぶはぁ、と息を吐くも苛立ちは収まらない
ここまで腸が煮えくり返ったときにはSNSに吐き出すと決めていた
そんなにコロナが怖いなら俺から直々に講釈をたれてやる
それからの行動は早かった
テキストを開き自分が知る限りの情報を織り込んだ注意喚起文を作成し始めることにした
中学時代を思い出す、エイズも恐怖心を植え付けることで防止することができると説き、皆が言い返せないのか口をぽかんと開けたのを
コロナも同じようなものなのだから上級国民である当職が発信すれば収束待ったなしであるのは明白だ
そうして筆がノッてきたのか文が完成すると同時に自らのツイッターに投稿した
長谷川とかいう知らんガキの誕生日がどうとかクソリプを送られたのでブロックして、眠くなったので床に就いた
――翌日
頭がガンガンする
毒親め、悪酔いする安物のワインなんて掴ませやがって
香りも薄いし酒じゃなかったら吐き出すところだ
駄目だ、気分が悪い……
――某法律事務所前
昼下がり、いつもより静寂に包まれてたはずの通りに、お互いマスクを着けた二人の男の喧騒がこだました
片方は教徒含めた不審者からが来ないよう保全目的て事務所に勤める原田
もう片方はかつて唐澤貴洋の動画に物申すためデモを行った青年である
彼は旧事務所のアカウントに投稿されてた文章に憤りを覚え一人で乗り込もうとしたのだ
「…ですからぁ!唐澤さん独自の計算で100万人と言われてもそれに対する具体的なソースがないから妄言にしか見えないんですよ!第一!死者の比較云々も各自治体の広報にしっかり載ってるはずで……!」
「うるせーよレイシスト!あのバカが何書いたかなんて一々確認なんかするかよタダでさえ相手にすんの疲れんのによ!」
「あなたそれでも同僚ですか!?唐澤さんが一部の人に多大な影響力を持っているのは存じてるはずですよね?ちゃんと手綱をとらないのは業務放棄してるようなものでは!?」
「あああああああああああ!もう!!早くデブ来いよ!何回コールしてると思ってんだよ!このうるせえやつとっとと追い出せよ!」
そんな口論と呼ぶのもどこか幼稚な二人の間に作業服を着た男が割って入る
どうやら運送業者のもので、楽天から大型の着払い便が届いたとのこと
「唐澤さんの事務所でよろしかったですかなぁ❓私、PCR検査キット述べ300万円分、201キットをデリバリしに来ました❤」
「知るかよ!こっちはそんなの頼んでねえよ!」
「!?……PCR検査の対応の遅さを述べていましたが自腹を切って堂々と対応するとは!」
「アイツがそんな事するかよ!小遣い全部婚活と飲み代に消える業の塊だぞ!あああもう!唐澤で領収書切っとけ!」
「了解しました✨」
狭い事務所内に検査キットの詰まった箱が運び込まれる
中途半端に余った1個のみ机の上にポンと置かれ運送業者は去っていった
支払いはとりあえず金庫にある小遣いと書かれた封筒で済ませた
しかし息をつかせぬまま新たに来客が訪れた
それも今度は大量に、まるでここに来れば命が助かると言わんばかりの表情で
「ここかい?PCR検査とか言うのしてくれるのは?」「SNにうつされたかもなりを!早く検査しろ!」「ココが乱交部屋とLINEでやり取りしたんですけどぉ……」
「ここは病院じゃねえよ!お前らどっから集まってきたんだよ!」
そう言うと皆一様にそれぞれやってきた経路を説明する
グーグルマップから来た者、ツイッターのデマに乗せられた者とそれぞれ口々に言うが頭に入ってこない
仕方ないのでできる限り清潔な衣装に身を包み事務所内で検査を行うことにした
「命よりも経済を優先するな!なるほどこういうことだったのか……」
「勝手に納得してんじゃねえよお前も手伝うんだよボケが」
「あの、もしかして僕騙されました?こんな時のためにコンドーム用意してたんですけど……」
「黙って上向けや鼻水取れねえだろこんな時まで出会い厨こじらせてんじゃねえよ脳みそチンコが」
検査は夜までもつれ、ちょうど事務所前に屯してた199人の試料採取が終わると原田はへたれ込んだ
これからこの試料全部の発送の準備もしないといけないと思うと気が滅入る
「はぁ~!も~やだ!結局最後までデブは来ねえし!」
「いや流石ですね、しばき隊も絡んでるし正直口だけのやつだと思ってたから唐澤さんのこと見直しましたよ」
何が見直しただ
結局あの後調べたら例のクズどもがデブのツイート真に受けて300万円分の検査キットを事務所に送りつけただけじゃねえか
あの被験者もあいつらが人集めした結果だしよ
……残り2つか
「おい、せっかくだしお前も検査しろよ」
「えっ!でも僕言ってしまえばお前達左翼団体とは正反対の……」
「いいから上向け上」
「……(クイッ)」
慣れた手付きで試料を採取すると人払いをするかのようにしっしっと手を払いのける手振りを行う
「失われてもいい命などあるのだろうか……僕みたいな敵対勢力でもちゃんと差別せずに検査するなんて唐澤さんと貴方は素晴らしい人なんですね」
「うっせとっとと死ねバーカ」
しんと静まり返る事務所内、自分の分の検査も終えると業者を呼び201人分の試料を運ばせた
どっと疲れた
今日は家に帰ってとっとと休みたい
家路につき一人で晩酌をとる
疲れからかあまり味を感じないが酒の酔いはそんな些細な疑問も吹き飛ばしてくれる
結局あの後もデブには繋がらなかった
事務所変えようかな、と思いながら床につくのだった
それから数日後、検査結果が届いた
201人全員が陽性と判断されてしまった
すぐさま病院に搬送され、まるで腫れ物でも扱うかのように、集中治療室という名の監獄に厳重に閉じ込められる
真っ白になった頭をフル回転させ、防護服に身を包んだ医者にここ数日間の行動を話す
結果、拾った後ポッケに入れっぱなしだったデブのマスクが感染源と判断された
それからいくら気をつけても、三密の揃ったあの空間で素人の感染者がPCR検査をすること自体自殺行為だったのだ
自分はこれからどうなってしまうのだろう
大勢の人が日本各地から事務所にやってきたが、あいつらはどの程度まで感染を広げてしまったのだろう
一方、唐澤貴洋は今際の際に立たされていた
父が通っていた風俗経由でコロナに罹患していたという真実を聞かされたのは、自宅で倒れ込んだ後搬送された救急車の中だった
結局不摂生が祟り、父は息を引き取ってしまった
自分も医者からもう長くはないと宣言されてしまった
意識が朦朧としてきた
疲れた時、酔っ払ったときのような眠気とは違う感覚、これが死というものなんだろうか
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!!!!!」
呼吸器が取り付けられ肺も機能しない中、一人の男の声にもならない慟哭が響くのだった
5月6日
クラスター地域として新たに法律事務所Stadinessが登録されて数日が経った
唐澤貴洋の訃報で教徒が湧きだっていたのも今は昔、緩やかに落ちていた勢いは完全に削がれてしまった
けんま誘導をした教徒の中には自責の念で命を断つものまで現れるほどだ
コロナ収束のメドは、未だに立たない