恒心文庫:「狩り」

本文

「にいさんナンジェーミン狩りをはじめよう!」
 ソファに横になりアイスを食べ暇を持て余していた僕にとって、その誘いは福音だった。
日もすっかり高くなり窓を開けると熱い風と耳が焦げてしまいそうなセミの声が聞こえた。時計を見るともう11時34分だった。
僕らは母親が作ってくれた遅めの朝食を食べる。おかずが唐揚げとコロッケだったので
揚げ物が苦手な僕はそれを全部弟にあげた。母は困った顔をしていた。

僕らは子共用の猟銃を持って外へ出かけた。日向に出たとたん太陽が眼を焼いてちゃんとモノが見れるようになるまで2783秒もかかった。用水路のある大きな道路を左に進み、なだらかな坂を越え、獣道にはいる。ほうぼうに生えた若木に邪魔されながら、なんべんも青い草を踏み分けていった。しばらく歩くと大きく開けた土地がある。そこにはたくさんのナンジェーミン達が集まっていた。2,30匹はいるだろうか。

 僕たちは一度間違えてここに迷い込んだことがある。臭くて汚い場所だから怖くてすぐに逃げてしまった。
ナンジェーミンたちは白い球のようなものを追って遊んでいた。遊んでいるナンジェーミンを眺めるだけのナンジェーミンもいてそいつらはときどき遊びをしているナンジェーミン達に向かって大きな鳴き声を上げていた。白い餅に似た奇妙な生き物を棒切れで殴って遊んでいたり。端っこで自慰をはじめたやつらもいた。今広場を見ると白い餅に似た生き物がいない以外、弟と覗いた当時とナンジェーミンたちの様子はあまり変わっていないようだった。

 ナンジェーミンが群れて遊んでいる広場の隅に僕たちはいた。背の低い木が集まった場所に足音を立てないように近づき獲物を狙うのにちょうどいい位置を探す。見晴らしがいいからここで十分だよ。弟が言った、ナンジェーミンたちが僕らから見えないように体の位置を調整する。
 これできっと大丈夫だ、子共用の軽い猟銃を肩からおろし。お互い無言で目を見合わせる。弟が少しだけ口を開いて、にいさんここならかりほうだいだ。と声にならない声で囁いた。

猟銃に弾をこめながら、広場で遊んでいるナンジェーミンたちの様子をこっそりうかがう。
群れからはぐれている茶色いナンジェーミンがいた。そいつは仲間から離れて広場の周辺を頭を垂れながら歩いていた。こいつは動きがのろいし簡単に仕留められそうだ。
「カチャン」
弟が猟銃を落としてしまった。なにをしているんだ!僕は弟に怒鳴りたくなるのを必死に抑えた。茶色いナンジェーミンはその落下音で、茂みに隠れている僕らに気づいたらしく、一目散に音が鳴った方向に駆け寄った。
「人間見つけたンゴ。足だけは群れの中でもトップレベルだった。」
茶色いナンジェーミンは地面に腹這いになって隠れている僕らを見下ろした。太陽に背を向けた貧相な体が僕らに影を落とした。今まで見たことあるナンジェーミンはたいてい体色が黄色で筋肉隆々だったのに、こいつは何だろう。突然変異かなにかか?
「にいさんどうしよう。」
「大丈夫なりよ。とても弱そうだし、こっちには猟銃があります。」


「お前狩りにきたンゴ?助けてンゴ。」
茶色いナンジェーミンは口を開くなりそう言った。そいつは仲間からいじめられていると話した。よく見れば体も生傷がところどころに刻まれていて、くちばしも妙にひしゃげている。
「助けてンゴ。ワイは何もしていないのにナンジェーミンたちがワイの外見を笑ったり
ワイの住処を探っていたずらしようとしとるんや。きみらは人間なんですよね?人間やったら
悪いナンジェーミンたちをこらしめてください。お願いします。なんでもしますから。」
兄さん、かわいそうだよ助けてあげよう。と弟がいった。
「そうナリね。」と僕はうなずいた。

「誰がワルイモノなりか?」僕は茶色のナンジェーミンに尋ねた。
「全員ワイル奴らンゴあいつらまとめて潰すンゴ」
茶色いナンジェーミンはそういってくちばしをカチカチと鳴らした。どうやら笑っているらしい。
 ナンジェーミンたちは大きなグラウンドで楽しそうに白いボールを追いかけている。彼らは茶色のナンジェーミンにひどいことをしたのだろうか。いや、僕は茶色のナンジェーミンの主張しか聞いていない。あれの主張は一方的であいまいなものだった。むしろ茶色いナンジェーミンがなにかしたから、報復としてひどい目にあっているではないのだろうか。面倒になって僕は考えるのをやめた。茶色のナンジェーミンがどうなろうと僕には関係ない。今日はナンジェーミン達を狩って解体し僕らの家にその肉を持って帰る。それさえできたら後はどうでもいい。

 ナンジェーミンがたくさんいるところへ向かって猟銃を構える。スコープ越しに拡大されたナンジェーミンの体を見て、どこを貫けば死ぬのかを予測した。確実なのは頭。頭蓋骨の隙間。僕は小さくて弱そうな一匹のナンジェーミンに狙いを定めた。パンと風船が割れるような音が空に響いた。遠くで小さな塊がはじけた。周りの大きなナンジェーミンは一目散に逃げ去って行った。後に残ったのは僕が的にした一匹の子共のナンジェーミンだった。
「やったんご?」
 と、茶色いナンジェーミンは猟銃の音にびっくりしながらも僕らにそう問いかけた。
「仕留めたナリ。ではさよならナンジェーミン。」
「すごいね、にいさん」弟が耳元で囁いた。

 茶色いナンジェーミンは僕らに向かってありがとうと握手を求めた。僕らは彼に触りたくなかった。仲間を見せしめで殺してやればあいつらはワイに怯えて手出しはしないはずンゴ。あとであいつらにワイに人間の仲間ができたと自慢するンゴ。茶色いナンジェーミンは楽しそうに喋った。
他のナンジェーミンはさっきの出来事で逃げ出したのか、全員いなくなっていた。広場には僕と弟とナンジェーミンの死骸しかなかった。あれだけたくさんいたナンジェーミンはどこに行ってしまったのだろう。僕らは子共のナンジェーミンの解体作業を終えた後、肉を袋へ入れ後始末をしその場を後にした。

 狩りから帰ると僕らの家が燃えていた。家から離れて3時間34分ももたってないのに。
僕らの家は窓やドアから炎が噴き出していて、近づくととても熱く近づけそうにない。
轟轟と地鳴りのような音を立てて僕らの家は激しく炎上していた。
「にいさんどうしよう。」
「パパとママを探すナリ。」

 庭のミント畑のそばに父と母が倒れていた。二人とも火事の前に殺されたのか、やけどの跡も服の焦げ付きのない。どちらも胸にナイフが垂直に刺さっていて、きっとこれが死亡原因だ。
母はまるで誰かに足で踏みつぶされたかのような顔になっていた。実際誰かに踏まれたのだろう。眼球は二つとも潰れてひしゃげたピンポン玉のようだ。
父の死体には燃えさしの木の枝が刺さっていた。抜いたとき茶色の固形便がずるりと出てきたので僕は笑った。この光景を見せたくて、おーいアツシと大きな声で弟の名前をよんだけれど一向に返事がない。青い空に僕の声だけが響いて消えた。燃えて倒れた僕らの家は火種が尽きたようで、上空に吸い込まれていく煙は幾何か細くなったようだ。

あたりをいくら見渡しても先ほどいたはずの弟がいない。
弟を探した。近所の廃屋、小さな林、無人の寺、寺の隣にある墓地。
僕の家の墓もここにある。探してみるとお墓は知らない誰かに荒らされていた。ナンジェーミンのいたずらだろうか?
墓石に白いスプレーがぶちまけられている。吹き付けられた直後のようで、スプレーはまだ完全に乾いていない。
墓石の下の拝石には同じ白いスプレーで「貴洋」と乱暴な字で書きなぐられていた。
戒名碑は無事だった。僕は僕の死んだ母親と父親の名前を付け足そうと思った。
まだ乾いていない白いペンキを指に塗り、墓石に指を押し付ける。母親の名前を書こうと石面を見た僕はとても驚いた。そして大切なことを忘れていたのに気づいた。僕の弟は10年も前、僕が用水路に落として縊り殺したのだ。僕はその時からずっとひとりぼっちだった。彼の名前は墓職人の手によってミノでしっかり彫られていた。唐澤厚史ここに眠る。文字に沿って削られた溝は少し汚れていた。
「にいさん、だいじょうぶだよ。」
耳元で弟の声が囁く。今まで聞こえていたこれは悪魔の声だったのか。
僕はついでに、今朝父と母をナイフで刺し殺し油が入った鍋に火をつけたマッチを落としたことも思い出す。僕は揚げ物が嫌いなのだ。スプレーで真っ白に濡れた人差し指をひっこめた。僕は両親の死を悲しんでなどいない。ナイフを少し刺しただけですぐ死んでしまう馬鹿なやつらが僕に嫌な思いをさせたのが悪いんだ。悼むものがいなければ墓碑に名前を書く必要もない。袋に入ったナンジェーミンの生肉を喰らいながら僕は無性にイライラしていた。自分でも制御できない破壊衝動に身が震える。
僕は墓石を蹴り倒し猟銃を袋から取り出した。

「世界中がにいさんの敵になってもただ一人の味方になる」
悪魔の声がささやく。けれど悪魔は僕自身だったのだ。

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