niconico
niconico(にこにこ)とは、株式会社ニワンゴが提供するサービスの総称。主なサービスに「ニコニコ動画」「ニコニコ生放送」「ニコニコ静画」などがある。
この記事では恒心教徒のniconicoでの活動を年代ごとに解説する。
「ニコニコ大百科」も参照。
2012年
5月31日にニコニコ大百科に唐澤貴洋の記事が作成され、この出来事によりニコニコ動画への進出が開始されるも2012年前半はさほど積極的ではなく、「世界大量殺人ランキング」といった不穏な動画や「ジュニアアイドル」「核兵器」といった尊師に関係のあるネタの動画に「唐澤貴洋」のタグを付ける程度の活動であったが、わずかながら動画投稿はなされていた。一方長谷川亮太や照井優一郎などのクソコテに関しては元々なんJで知名度が広まっていた為かデジモンや恋愛サーキュレーションなどの動画で風評被害的なコメントとして全面で出ていた為、尊師に比べるとそれなりに認知度はあった。
10月にOrpheusの存在がなんJ民に知られると大量のパカソンが製作されるようになり、それらはニコニコ動画にも投稿されるようになる。後に多くのパカソンアルバムやMMD動画を製作することとなる大犯罪者デグニキによって「ついにOrpheusからベストアルバムが発売される模様」が投稿され、淫夢ソングが混ざっていたこともあり布教にも効果をあげ、黎明期を支えた。
2013年
パカソン全盛期となった2013年前半は大犯罪者デグニキと唐澤貴洋掲示板(3代目)の管理人佐々木小魔人によってアルバム動画が投稿されるようになる。年末に行われた「ニコニコ生放送【2013年】ボカロ曲100時間だいたい1000曲ぶっ通し生放送【ボカニコPresents】」でパカソンアルバムがランクインし流された、また、シュワッチのパカッと参上!カラーマンセルフアレンジや悪芋Pなどによってパカソンアレンジの投稿が行われている。
パカソン関連以外では長谷川亮太特定以降の長谷川亮太・唐澤貴洋関連の出来事を追ったドキュメンタリー作品3.7ドキュメント 八神太一特定の軌跡の動画版が投稿された。また、月永皓瑛の行った配信を録画した動画がある程度の伸びを見せていた。
2014年
昨年末のOrpheus長期閉鎖と閉鎖主義化(→カラザイル・唐澤ちゃんねるを参照)の影響をを受け、数字としては不作の年となる。 この年は埋もれている曲をピックアップしたOrpheusアルバムやパカソンアレンジが中心で、年末に唐澤タカヒロイドが開発されるとこれを利用した動画がいくつか投稿された。
2015年
この年は恒心教のニコニコ路線における一大転換点となった。
1月、Altailにより尊師のMMDモデルが投稿されると、Orpheus閉鎖以降芸術路線に飢えていた教徒達は早速第14回MMD杯に向けMMDに挑戦し、ダブルぬるぽを始めとした工作員の奮闘もあって賞を総ナメするという快挙を成し遂げた。3月8日には恒心教ニコニコ支部が設立された。8月になるとださいたまやparanoidによるニコ生でのけんま実況配信の人気により、ニコニコ支部のメンバー数が急激に増加した。
MMD路線は急成長し、今年に始めたばかりとは思えないほどの高クオリティな作品や教徒製モデルが発表されるようになる。よって第15回MMD杯は順位を気にせず純粋に楽しめば良いとの意見もあったが、最終的に工作員が介入、やっぱり尊師がナンバーワンとなった。 また副産物としてMMD杯がきっかけで「オメガ(第14回)」「涼子P(第15回)」を特定して新たなネタを獲得、その膨大な油田は外伝主人公として分けられる程となっている。
音楽面では MMDによるパカソンPV路線への期待もありパカソンアレンジも昨年より多く投稿されている。また、けんまPによってOrpheus作曲ではない新作パカソンが投稿され、パカソン路線の新しい形が提示された。
更には3月、月間VOCALOIDランキング COUNTDOWN 100で偶然パカソンアルバムが流れたことがきっかけにランキング工作路線が開始、その結果毎月多数のパカソンが流れることになった、しかしこれの影響か6月に突然の中止宣告後以後、現在も再開されてない。
「KO-SHIN Disco」に代表されるMAD路線も開拓された。昨年の第一次玉音放送に続き第二次玉音放送が行われ、さらにGoogleマップ事件で恒心教が、練馬区役所爆破予告事件などで麻原彰晃掲示板がテレビ初進出を果たしたことによりMAD素材が集まったこともこれを後押しした。
このようにニコニコでの布教は急成長することに成功したが、一方なんJ民や保守派からは、恒心教がなんJの風土から離れていくことへの危惧もあってかダーキニーちゃんをはじめとした萌え系作品との共演や設定の追加・流入、ニコニコ動画民を取り入れることや「アングラ感」が薄れること、馴れ合いの増加などへの批判の声も出始め、恒心となんJの関係が悪化する一因ともなった。
註釈