niconico

2015年9月20日 (日) 00:45時点における*>森による版

niconico(にこにこ)とは、株式会社ニワンゴが提供するサービスの総称。主なサービスに「ニコニコ動画」「ニコニコ生放送」「ニコニコ静画」などがある。
この記事では恒心教徒のniconicoでの活動を年代ごとに解説する。

2012年

5月31日にニコニコ大百科に唐澤貴洋の記事が作成され、この出来事によりニコニコ動画への進出が開始されるも2012年前半はさほど積極的ではなく、「世界大量殺人ランキング」といった不穏な動画や「ジュニアアイドル」「核兵器」といった尊師に関係のあるネタの動画に「唐澤貴洋」のタグを付ける程度の活動であったが、わずかながら動画投稿はなされていた。

10月にOrpheusの存在がなんJ民に知られると大量のパカソンが製作されるようになり、それらはニコニコ動画にも投稿されるようになる。後に多くのパカソンアルバムやMMD動画を製作することとなる大犯罪者デグニキによって初のパカソンアルバムが投稿され、淫夢ソングが混ざっていたこともあり布教にも効果をあげ、黎明期を支えた。

2013年

パカソン関連は大犯罪者デグニキ唐澤貴洋掲示板(3代目)の管理人佐々木小魔人によってアルバム動画が投稿されるようになる。また、パカソンのアレンジ動画の投稿が徐々に行われ、年末に行われたニコニコ生放送月間VOCALOIDランキング[1]でパカソンが流された。

パカソン関連以外では長谷川亮太特定以降の長谷川亮太・唐澤貴洋関連の出来事を追ったドキュメンタリー作品3.7ドキュメント 八神太一特定の軌跡の動画版が投稿された。また、月永皓瑛の行った配信を録画した動画がある程度の伸びを見せていた。

2014年

Orpheus長期閉鎖と閉鎖主義化(→カラザイル唐澤ちゃんねるを参照)の影響をを受け、数字としては不作の年となる。 この年は埋もれている曲をピックアップしたOrpheusアルバムやパカソンアレンジが中心で、年末に唐澤タカヒロイドが開発されるとこれを利用した動画がいくつか投稿された。

他には動画ニキによるハセ学・チンフェ糾弾動画が多数投稿され注目された。5月には第一次玉音放送があり、早速転載された。

2015年

この年は恒心教のニコニコ路線における一大転換点となった。

1月、Altailにより尊師のMMDモデルが投稿されると、Orpheus閉鎖以降芸術路線に飢えていた教徒達は早速第14回MMD杯に向けMMDに挑戦し、ダブルぬるぽを始めとした工作員の奮闘もあって賞を総ナメするという快挙を成し遂げた。3月8日には恒心教ニコニコ支部が設立された。

さらにMMD路線は急成長し、今年に始めたばかりとは思えないほどの高クオリティな作品や教徒製モデルが発表されるようになる。よって第15回MMD杯においては順位を気にせず純粋に楽しめば良いとの意見もあったが、最終的に工作員が介入、やっぱり尊師がナンバーワンとなった。

8月になるとニコ生でのけんま実況配信の人気により、ニコニコ支部のメンバー数が急激に増加した。

音楽面では、昨年末に玉音放送があったことやGoogleマップ改ざん事件などでテレビ進出を果たしたこともあり、「ko-shin disco」などこれら音源を利用した音MAD路線が開拓された。また、けんまPによってOrpheus作曲ではない新作パカソンが投稿され、パカソン路線の新しい形が提示された。

一方なんJ民や保守派からは、恒心教がなんJの風土から離れていくことへの危惧もあってか、ダーキニーちゃんをはじめとした萌え系作品との共演や設定の追加・流入、ニコニコ動画民を取り入れること、「アングラ感」が薄れることなどへの批判の声も出始め、恒心となんJの関係が悪化する一因ともなった。

また、この年はGoogleマップ事件で恒心教が、練馬区役所爆破予告事件などで麻原彰晃掲示板がテレビ初進出を果たし、これらも見るだけに留まらずMAD素材としても活用された。

註釈

  1. なお後の2015年には毎回パカソンがほぼ独占するようになり、このランキングは中止されることになる