恒心文庫:隅にある山

2019年11月27日 (水) 20:40時点における>ウソジャナイモンによる版 (ページの作成:「__NOTOC__ == 本文 == <poem> 初めは虫だった。 小学校の休み時間、愚鈍な級友たちとは離れ、校庭の隅で一人だけの儀式に没頭して…」)
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本文

初めは虫だった。
小学校の休み時間、愚鈍な級友たちとは離れ、校庭の隅で一人だけの儀式に没頭していた。
虫を捕まえては一本ずつ脚をもぎ、羽をちぎり、頭をむしり胴体を潰す。
少しずつ弱っていく姿を見るのが実に楽しかった。
この虫たちは自分に殺されることが生まれたときからわかっているに違いない。だからこそ僕のもとにやってくるのだ。
そう考え、虫をこのようにちぎり殺すことを自分に与えられた生来の権利として受け取っていた。
虫を一匹一匹捕まえては殺しを繰り返すとあっという間に時間がすぎる。
小学校六年間の休み時間、放課後の時間のほほすべてをこのことに費やした結果、校庭の隅には虫の頭部だけでできた山が出来上がっていた。
教師たちも近隣の住民もこの不気味すぎる少年には注意をしない。誰もがこの常軌を逸した行為には関わりたくなかったし、
彼はあまりにも優秀すぎたため、どんな大人よりも知識や論理力があり、誰も彼には敵わないと考えていたからであった。
中学に入るともはや虫では我慢できなくなった彼は、鳥をその儀式の対象にしだした。
罠を考え制作し中学校の庭に幾つか設置し、そこにかかった哀れな犠牲者たちを解体した。
脚、羽根、頭の順番に胴体から切り離すという順番は変わらない。
虫の時とは違って血だらけになって汚れたが気にしなかった。むしろこの血は彼の心を実に心地よく清めてくれた。
中学を卒業する頃には校庭の隅に、鳥の頭部が山になって積まれていた。もちろん、ここでも誰も注意などできなかった。
高校に入ると儀式の対象は犬や猫に変わった。幸運なことに犬も猫も野良のものがいたるところにいたので初めの頃は獲物探しに苦労はしなかった。
ところが、毎日毎日犬猫を解体していると近隣にはもはや犬や猫を見つけられなくなる。
彼は新聞広告で譲渡のお知らせを探し、飼い主と連絡を取り何匹かの犬猫をもらってきた。
それらを丁寧に管理、飼育し何匹も子供を生ませ、彼自身の手で大事に大事に育てる。
そろそろ解体の頃合いだなと思うと彼はにたぁと笑い取り掛かったのである。
まずは脚、これは変わらない。後ろ脚を力任せにもぎり続いて前脚。苦しそうに絶叫する犬猫をみると興奮してたまらない。
次に、犬猫に羽根はないので代わりに皮を剥いだ。背中のあたりに切り込みを入れ手を突っ込み思い切り引っ張ると気持ちよく皮が剥がれるのだ。
最後に頭をもいで胴体を踏み潰せば終わりである。
こうして高校を卒業する頃には、校庭の隅に犬猫の毛皮でできた山が出来上がっていた。
このような少年、青年時代を経て彼は大人になった。
今でもこの儀式は続けている。
少しばかりそのやり方が変わったに過ぎない。
人間の足は力任せに引っ張ったってとれないので、まずは付け根に切り込みを入れる。それからその部分の骨を砕く。
こうすると包丁をあてながら思い切り引っ張るとなんとかむしれるようになるのだ。
手も同様である。
痛みで気を失われたり死なれたらたまらないので、時々電気心臓マッサージを行ったりアドレナリンを注射しながら行っている。
人間の皮を剥ぐのも一苦労である。皮と筋肉の間に包丁をあて切りながら引っ張るとなんとか剥がれるのである。
大変だがそのぶんだけやりがいを感じていた。
人間の場合、虫や鳥、犬猫と違って喋ってくれるところがよい。彼らの苦しみや恨みをその口で言ってくれるところがよい。
犠牲者が死ぬ間際、少し話しかけてやるのだ。慈悲の心を見せ、希望をちらつかせてやるのだ。
「どうした岩村くん、顔色が悪いですよ」
手足をもがれ、皮を剥がれた人間にもはや答える力などない。虚ろな眼で彼を見ながら死に絶えるのである。
犠牲者が最後に見るのは希望でも絶望でもなく、彼の悪魔のような顔なのである。
会長室の隅には、人間の皮で出来た山が少しずつ出来上がりつつあるという。

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