恒心文庫:私の仕事

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本文

ロータリーにバスが入ってきた。私はバスの広告を見てため息をつく。
「千葉経済大学」大きく書かれたゴシック体の誇らしげなロゴに、私はもはや自分への苛立ちを覚えるほどであった。
彼が母親と一緒に私の事務所に来たのは4月である。
目黒川の桜が咲き始めた頃だったろうか。
彼とその母親は私の事務所のデスクで、私の反対側に二人で座った。
私がコーヒーを出すと、彼の母親がジュースはあるか、と聞いた。
私が紙パックの野菜ジュースを出すと、彼は一気に飲み干してしまった。
チュー、チューとストローが立てる音が事務所に響いていた。
ひと息ついて、彼の母親は私に語り始めた。

息子が巨大掲示板で書き込みをしたところ、その書き込みのすばらしさを快く思わない人がいたこと。
その人達に名前や顔写真を公開されたこと。
そして書き込みをやめた今でも嫉妬のために嫌がらせをする人が絶えないこと。
彼は母親が話している際に一度だけ口をパクパクとさせ、何か言いたそうにしていたが、何も言わずに黙っていた。
「あの…亮太君?」私は彼に話しかけた。彼は声をかけられるとびくんと体を震わせ、顔をさらに俯かせた。
「ねえ、亮太君、もっと毅然とした態度じゃないとダメだよ」
「……」
「匿名の人なんて、ねえ、全然価値のない人間なんだ。君が何を言われようと気にすることなんかないんだよ」

こういう話から始める。依頼人とのコミュニケーションは大切だ。
「ぼっ…ぼくは……」彼は顔を少し上げた。口がひくついている。
「ぼっ、ぼくがわるいわけないよね……そっ…そうだよ……みんながわるいんだ……」
「そうだね」私は彼がひと通り話を終えるまで待つことにした。
「みっ、みんなぼくにしっ、しっとしてるんだ、ぼくは、あっ、あいつらとちがって、まいにちたのしかったから」
「ちっ、ちひろちゃんも、かっ、かわいかったし、それをかっ、かきこんだらっ、しっ、しっとされた」
「そうか……じゃあ、君のために頑張るよ。僕は君の味方だからね」

私は彼等が帰って行った後、一人でそのなんでも実況Jという掲示板を覗いていた。
「おい、貴洋」私の父親が隣の事務所から私を呼んだ。「お前、暇か?」
「ごめん父さん」私は三十万円の入った封筒をチェックしながら言う。「今、久しぶりの仕事なんだ」
「そうか…」父さんは自分の事務所に帰っていった。

私は弁護士だ。弁護士と言っても、インターネット関連の仕事が多い。
ただこれは私の得意分野であるから、刑事裁判で戦っている私の友達に劣等感は感じない。
そして今日は、匿名の人々に踏みにじられた一人の青年を救おうとしていた。

その掲示板の雰囲気は多分に漏れず陰湿で、内輪同士で陰口をはたいていた。
私は匿名の暴力が嫌いだ。だからこの仕事についている。
才能のない人間が、ある人を社会的に殺すことによって正義感を得ようとしている。
その様は遠くから見れば滑稽である。
私は湧き上がった怒りを抑え、ひとまずブラウザを閉じた。
今は亡き弟の笑顔が、私を画面から見つめている。
あの頃から私は変われただろうか?それは弟が決めることだ。
私も胸は張れない。

ひとまず他の要件をかたつける。
ただ、私はどうしてもあの青年の顔を思い出していた。
あの青年には、私と同じ雰囲気を感じる。
彼は生気のない顔で私を見つめていた。あれは――何か、大切な物を失った顔だ。
私は彼に何をしてあげられるだろうか。
今度の仕事は、少し本気を出してみよう。
私は心の中で、そう誓った。

そこからの仕事は、案外簡単に進んだ。
長谷川亮太とはメールで何回もやり取りをした。
彼のメールは極めて分かりづらかったので、私は彼との会話は箇条書きで行うことにした。
そして、私は久しぶりの開示をする。
これがどのような威力を発揮するかは分からない――ただ、仕事をすることに意味がある。
これで、彼も笑ってくれるだろうか――私は、そこからも仕事を続けていった。

挿絵

この作品について

おそらく三代目カラケーからなんJに転載された作品と考えられる。便宜上タイトルをつけたが、完結かどうかも不明。

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