恒心文庫:唐澤洋「お前の頭唐澤貴洋?」

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本文

まぶたをちらつく明かり。
目を覚ました厚史の視界の先で、小さな電球が揺れている。
厚史はしばらくそれをじっと見つめ、ふと手足の違和感に気がついた。
両手両足首に、何か枷の様なものが嵌められている。あまりの居心地の悪さに身をよじると、手首から伸びた鎖が硬質に響く。
厚史は何とか首を動かすと、辺りの様子を仰ぎ見た。
小さな場所だった。薄汚れた壁に錆びたノコギリ、先の欠けた鎌など、様々な工具が立てかけられている。
所狭しと並べられたその中心に、厚史は縛りつけられているのだ。
厚史は顔の横に銀色の光を見た。規律正しく並べられたそれは大小様々なメス、ハサミ、そして糸の通された針だった。天井に揺れる弱々しい光が、薄い刃にさざ波の様に広がっている。
そして気づいた。
逆側、枕元に誰かが座っている。
仰向けになっている厚史のうなじで荒い息を立てながら、何かをうわ言の様につぶやいている。
恐る恐る顔を向けた厚史の視界に映ったのは、暗闇に浮かび上がる、白いもみあげ。
唐澤洋だった。
唐澤洋が口をすぼめて厚史のうなじ辺りに何事か囁きながら、その血走った目を天井の電球に向けているのだ。手元には、一抱えのダンボール。
厚史は悲しくなった。強かった父。優しかった父。センチュリー監査法人(現新日本有限責任監査法人)元代表社員、日本公認会計士協会綱紀審査会委員(現任)の父。
兄の唐澤貴洋を失ってから父はすっかり消沈してしまった。数年前、兄の唐澤貴洋は多摩川の河川敷で悪いものたちにぐちゃぐちゃにされ、帰らぬ人となったのだ。
その日からだ。唐澤洋には、馬鹿の一つ覚えの様に繰り返している言葉がある。
「唐澤貴洋?」
天井を向いていた唐澤貴洋の目が、不意にその血走った眼球の表面を滑り落ちる様にして厚史に向いた。
厚史は悲しげに目を逸らすと、しかし半ば苛立つ様にして、今だ兄の影を追い続ける父に言う。
「兄さんは死んだんだよ」
唐澤洋は息を止めた。そしてしばらくじっと覗き込む様に厚史の顔を覗き込むと、突如としてその場で仰け反った。手元のダンボールが放り投げられ、固い音や柔らかい音を立てて落ちる。
唐澤洋は自分の頭を抱え込みながら、滅茶苦茶に叫ぶ。
「唐澤貴洋?唐澤貴洋?唐澤貴洋?唐澤貴洋?唐澤貴洋?唐澤貴洋?唐澤貴洋?」
次いで部屋中を飛び跳ねる洋に、厚史は泣きながら語りかける。
「唐澤貴洋は死んだんだよ、父さん!」
怒号に近い泣き声が、小さな部屋にこだまする。余韻はすぐに去り、重苦しい沈黙となって場を支配する。
洋はピタリと動きを止めていた。天井の電球と同じ様に、白いもみあげが微かに揺れている。
動かない。その異様な雰囲気を放つ後ろ姿から、ピン留めされた虫の様に、厚史は目を離せない。
やがて、洋は何事もないように動き出した。そしてその手のひらが、先程落ちたダンボール箱に掴んだ。
厚史は息をのんだ。
ダンボール箱からこぼれ落ちる、Civil Action、フィッシャー・キング、ボビー・フィッシャーを探して、アナライズ・ミー、ゴッド・ファーザー、用心棒、蜘蛛巣城、カリートの道、愛を乞う人、トレインスポッティング、ハングオーバー、仁義なき戦い、ミッドナイトラン、ヒート、グッドフェローズのDVD、Bruce Springsteen, 秦基博、福山雅治、Linkin ParkのCD、「二十歳のころ」( 立花ゼミ),「青春漂流」( 立花隆),「勝者もなく, 敗者もなく」( 松原耕二)、「スロー・カーブをもう1球」(山際淳司)、「テロルの決算」(沢木耕太郎)、「一瞬の夏」(沢木耕太郎)、そして数え切れない程のロリドルのDVD。唐澤貴洋を構成する全ての要素がそこには詰まっていた。
そのまま地面に広がった唐澤貴洋の遺品の中で、唐澤洋はダンボールを逆さまにする。途端にこぼれ落ちる唐澤貴洋の手、足、胸元、頭、そして脳。
唐澤洋は唐澤貴洋が忘れられないあまりその遺体さえもそのダンボールに収めていたのだ。
唐澤洋は無造作に腐臭漂うその一つを掴み取り、驚愕で動けない厚史に近づいていく。それは貴洋の指だった。唐澤洋は右手で貴洋の指を握り締めながら、厚史の枕元、そこに並ぶハサミを掴み取った。
そして無理やりに厚史の手を開かせると、やがてその刃で厚史の指を挟み込む。
唐澤洋は満面の笑みで囁く。
「お前の指唐澤貴洋?」
刃が閉じた。


薄暗闇に嬉しそうな声が上がる。
「お前の指唐澤貴洋!」
薄暗闇に銀色の光が閃く。
「お前の足唐澤貴洋?」
薄暗闇に針が舞う。
「お前の足唐澤貴洋!」
洋は作業工程に満足していた。切っては縫って切っては縫って。もはや大方は終わり、残りも今までの作業を繰り返すだけ。
やがて、唐澤洋は唐澤貴洋の脳みそを抱えてつぶやく。
「お前の頭唐澤貴洋?」

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