マヨケーがポアされたため、現在はロシケーがメインとなっています。

恒心文庫:糞袋

提供:唐澤貴洋Wiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

本文

彼は便所で用を足すことができない。それは私に彼の殺害を企てさせるには、十分すぎる理由であった。

彼は糞尿を垂れ流しながら生活している。私は踝の辺りまで糞便で満たされたオフィスに入るたびに、彼が私の上司だと信じられなくなってくる。いつも長靴を履いて入室しなくてはならないのも面倒だ。

彼はオフィスに糞便を溢れさせるだけでは足らず、結果、ネット上にも彼自身の汚物を露呈させる。一瞬で有名人になってしまった彼は、「彼ら」にネット上で排泄した汚物を取り上げられ、笑われ、おもちゃのごとく扱われる。上司の知名度はとどまることを知らない。


私が上司をナイフでめったざしにして殺そうと思い立ったのは、雨の降り出したある午後だった。オフィスに入ってくる湿気は糞便の匂いを含んで質量を持ち、私の鼻腔から流入して胃をいっぱいに満たした。昼間にここから離れた食堂でたべたカツ丼が、まるで胃の中で排泄物に変わるようで、思わず涙があふれてくる。
「○○○○殺す」とつぶやく。たいしたきっかけは要らなかった。いつだって殺してやれたのだ。こういうときのために引き出しに隠してあったナイフ。右手に握り締め上司のデスクへ向かう。バランスボールのように丸々と太った、糞便にまみれたあの獣まで約4メートルほどだ。私は躊躇無く彼の腰の部分にめがけて、刃渡り十五センチのナイフを刺し込んだ。

無反応。私は驚かない。あの厚い脂肪の層に、神経が通っているのか疑わしいものだったから。上司の無反応は、彼の人間離れした容貌により違和感を与えなかった。おそらく臓器にすら届いていないのだろう。怪物には怪物の処置が必要だ。ばらばらに引き裂いてしまおうと考え、ナイフを引き抜く。
しかしナイフに付着していたのは、血の赤色でもなく、脂肪の黄色でもない。十五センチの長さの鉄を、茶色が覆っていただけだ。考える暇も無く、突如目の前から放たれる異臭に顔をゆがめる。私はそれを見て、その場にへたり込む。床に溜まった糞便に考えを回す暇も無い。

先ほどは、上司の刺し傷だった部分から、大量の糞が溢れかえっているのだ。何分も続く下痢の排泄というものがあるのなら、この光景と似通っているに違いない。椅子の上に乗っかっているそれは、次第にしぼんでいく。その排泄物は、山すら作らず、いつもの床の糞と同化していく。目の前には、上司の机と椅子、先ほどまで着用していたスーツと弁護士バッジが残されていた。そのほかには、いつも見る糞便の海しか残されていない。

私の上司は糞を残して消えた。おそらく今回の大いなる排泄は、オフィスだけではなく電子の海にもあふれ出したことだろう。「彼ら」は歓喜する。上司の糞の前に黒山を織り成す。途方も無い議論に熱をいれ、そこらじゅうに新たな糞の写真を張り出し、広告する。その糞にありとあらゆる人が足をとられ、「彼ら」の嘲笑の的になる。「彼ら」はその新たな被害者に糞を排泄させ、その新たな糞の取り合いをする。しかし上司ほどの香り立つ糞をするものはいない。彼らは上司のまだ見ぬ新たな糞に期待の目を向ける。新たな糞。度重なる排便ごとに趣旨を変えてくる上司に、彼らは信仰を捧げてすらいた。その純粋な気持ち。いつの間にか軽蔑は愛に変わる。待ちわびるごとに、排泄への期待は高まる。新たな、かつての糞を超えた糞。期待は苛立ちに変わり、しかし憎悪には至らず、少しのいたずら心と愛をこめた六文字をささやく。「彼ら」は待ちわび、輝くまなざしをディスプレイに向ける。



だが私は、私だけは知っているのだ。「彼ら」の期待にみちた眼差したちは、もう対象を捉えることは無いだろう。

タイトルについて

この作品は公開された際タイトルがありませんでした。このタイトルは便宜上付けたものです。

リンク

恒心文庫
メインページ ・ この作品をウォッチする ・ 全作品一覧 ・ 本棚 ・ おまかせ表示