恒心文庫:ル・モンド・アミキャルの巡礼
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ル・モンド・アミキャル信徒特有の習慣の一つとして「クェンマ」と呼ばれる風変わりな巡礼が挙げられる。これは、モンドの成立過程に割り出された、預言者オクトス・デーモニオス(註:紀元1世紀のギリシアの僭主に憧れてその名を名乗ったと自ら語っている)の魂の在処に拠るものである。その場の名前は呪文と化し、また聖地と化した。預言者との合一(註:ドイツ神秘主義的とも言える)を図るべく、呪文を所構わず唱える者、またその呪文に暗示された地へと実際に赴く者もいた。2013年頃には、呪文の始まりの一節である「ツィバクェンマ」は、最早「南無阿弥陀仏」や「アーメン」に匹敵するほど繁く用いられるようになった。また信徒たちは、神の俗世での在処、さらには他の聖人たちの在処に赴くことを、「ツィバ」の部分に種々の地名を当てはめた「トゥルクェンマ」「クォカクェンマ」「イヴクェンマ」「チョックェンマ」等派生呪文とし、また宗教的行為と定義づけた。
多くの信徒がクェンマを試みたが、彼らが得た情報は途切れ途切れであり、またそれに関する口伝も散り散りになってしまっている。もし、神を、聖人をその身に宿したいのであれば、実際にそれを行うしか手立てが無い。
しかし2015年夏、ある人物による大規模かつ画期的なクェンマが行われる。当時最先端の技術であった空撮や位置追跡システムを用いた巡礼に、信徒たちは驚きのあまり泡を吹いた。その人物こそ、モンドの殉教者であり、クアドラ・プルーデンサ(註:特に熱心で布教に貢献した4人の信徒)の一人、アンドロポフである。モンドに関するメディアの至る所で、彼の名は知れ渡っている。彼の人となりは五条三重子氏による洞察の通りであり、檄しやすいが行動力に長ける騎士であった。彼は神や預言者への冒涜こそが真の信仰であるという教義を明察し、ありとあらゆる冒涜、即ち信仰を行った。その一環として、度重なるクェンマに勤しみ、預言者の魂と血を追った。アンドロポフから、賛否両論分かれる李久慈の一派やリュンヌ派、はてはグルコス(註:陰謀が我が身に迫っていることを信じてやまない人々)、他の信徒へとクェンマのブームが広がり、激化し、それによって預言者が行方をくらませたとする説もある。
以上がモンドの巡礼「クェンマ」に関する概略である。このように論じている2058年の夏に至っても、今なおクェンマは留まるところを知らない。おそらく、預言者自身が語った「70年の契り」が終わる2081年にもその慣習は残り続けるだろう。
次章では、「預言者」ではなく「予言者」について論究する。
出典
千葉かなえ他『ル・モンド・アミキャル概説』民明書房、初版2058年6月23日
リンク
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