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Wikipedia

提供:唐澤貴洋Wiki
2015年5月2日 (土) 17:26時点における109.163.234.xxx (トーク)による版
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Wikipediaウィキペディア)は、ユーザーが誰でも編集できるオンライン「百科事典(自称)」。ラリー・サンガージミー・ウェールズが2001年1月15日に英語版を作り、後に日本語版が作られた。

当Wikiで使用されているウィキソフトMediaWikiはWikipediaのために作成された。

日本語版

日本語版はWikipediaの中でも異様であり、サブカルチャーやオタク関係の記事ばかり充実している(反面、学術的な事柄は乏しい)。また、非ログインユーザー(IPユーザー)の割合が断トツに高い[1]

内実

日本語版のユーザーコミュニティは(その民族性を反映してか)専門板並みのムラ社会であり、掲載や加筆の基準にやたら厳しく、初心者がなにか目立つことをしようものなら直ちに叩き潰される[2]。だがその割には個人による記事の私物化や明らかなデマ・虚構が公然と放置されている例も多々あり、チェック基準はガバガバである。そのため多くの研究機関や学校では、レポートや論文等の出典としてWikipediaを使用することを禁止している。

またこのように閉鎖的な組織であるためネット文化等の外部ネタには特に厳しく、2chネタなどはメディア報道されるなどよほど大きな展開がない限り掲載されない。なんJネタでは某サカ豚官僚の記事が熾烈な議論を経た末「一応公人だから」という理由でやっとこさ掲載されたくらいである。

項目「唐澤貴洋」

「我らが尊師をWikipediaに掲載しよう」という動きは騒動初期からあり、2012年5月30日には既にその存在が確認できる [3] 。しかし当時はまだなんJでもその存在が知られ始めたばかりであり、「特筆性」がないのは当然であった。結局この記事は翌6月6日に削除されてしまう[4]

その後2012年10月には「恒心綜合法律事務所」の記事が作成されるも、「特筆性なし」「宣伝目的」という理由で12月30日に削除される。またそれから半年以上経過した2013年、尊師のFB恒心がスタートしハセカラが再び大きな盛り上がりを見せる中、8月には再び「唐澤貴洋」を復活させようという動きが起こり、一度は復活するも9月26日には「改善なき再作成」を理由に削除される。

しかし2013年下半期、状況に大きな動きがみられる。10月に尊師が雑誌AERAのインタビューに応じ、また12月にはカラコロにより大分の高校生が書類送検されたことが各種メディアで報じられた。ついに信頼性を持った一次ソースが登場したのである。さらに2014年に入ると片平騒動カラッキング事件、福嶋誠也逮捕など大きな騒動が立て続けに発生、メディアでの報道が増え始めた。特に福嶋逮捕は「95万件の殺害予告を受けた弁護士」という論調で報じられたこともあり、この頃になると「『ネットの中傷被害に曝される弁護士』としての特筆性が存在するのでは?」という議論が持ち上がり、なんJ、カラケー等でしばしばWikipedia復活が提案されることとなる。特に2013年12月にはカラザイル掲示板で「殺害予告や●流出に関する騒動についての記事を書き、そこに尊師の名を掲載する」という提案も持ちあがっている。

だが一方で、「パカ弁」の項目が出典明記で長らく存在していたにもかかわらず、またもやワイルドカード「特筆性なし」を用いて削除されてしまう。「パカ弁」および「パカパカ」は本職の弁護士も使っている例があり、もはや専門用語と言っても差し障りないはずなのだが。

2015年4月、ちばけんまショッピングモール路線に端を発したGoogle マップ改竄路線が実りを結び、「恒心教」の名が多くのニュース番組に取り上げられる事態となった。これを好機と一部信徒によるwikipediaに恒心教の記事を作成する新路線が本格的に実行されることとなったが、恒心教の記事はWikipediaの管理者の一人であるMuyoにノートごと削除されてしまう。恒心教徒から批難が集中した結果Muyoが特定され、この出来事によって恒心関連の記事を存続させるために恒心教に楯突いたWikipedia利用者を特定する路線が誕生した。

その他

  • 森公高の項目が存在するが、初期に追加された写真[7]が当wikiの当該項目と同一のものであり、また時系列からして恒心教徒が作成した疑いが強い。

註釈

関連項目

外部リンク