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恒心文庫:暗黒庭園

提供:唐澤貴洋Wiki
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本文

近頃、新聞各紙の紙面を賑わしているのは、暗黒弁護士の事件です。
東京の各都市で皆さんのような子供が誘拐され、お母さんお父さんのもとに脅迫状が送られてくるのです。
そこに書かれている内容は、子供の命と引き換えにお金を要求するというもので、
手紙の最後に「暗黒弁護士」と書かれているのです。
普通の勤め人の数年分のお給金を要求されるのですが、
標的となる家庭はどこも裕福な家庭で、わが子のためならばと難なく払ってしまうのでした。
ところが、問題なのはお金を払っても子供が帰ってこないということでした。
もう既に被害にあっている子供は二十人をこえています。
警察も頭を悩ませているのですが、犯人はなかなかしっぽを出そうとはしません。
はじめはこの事件は報道されていなかったのですが、
被害が増えていくたびにいろいろな新聞社や雑誌社が扱うようになりました。
今では、東京中がこの話題で持ちきりです。
子供がいる家庭は、自分の子供が被害に合わないようにとびくびくし
子供がいない家庭は近所の子供がそんな目に合わないようにと、警戒をしています。
知人や友人とばったりであった時の会話は天気の話題でも健康の話題でもなく
この暗黒弁護士の一連の事件の話題なのです。
一体、この暗黒弁護士というのは何者なのでしょうか。
そして、暗黒弁護士の目的はどこにあるのでしょうか。
皆さんもきっと、この暗黒弁護士に自分が目をつけられてしまうかもと思っていることでしょう。
でも安心してください。
私たちには頼るべき名探偵唐澤洋先生と、その一番弟子厚史少年がいるではないですか。
彼らの冒険が、きっとこの暗黒弁護士の悪だくみを打ち破ってくれるはずです。

東京、虎ノ門。まだガス燈も引かれていないこの地域に、唐澤先生の事務所はあります。
先生は皆さんもご存知の数々の難事件を解決したということで名探偵として有名です。
ですから、そんな先生のもとに今回の暗黒弁護士の事件についての相談がくる、というのは自然なことです。
今も事務所の応接室、イギリスからの舶来品であるフカフカとしたソファーに
一人不安そうな顔をした男の人が座っています。
口ひげをたっぷりとたくわえ、体格もガッシリとしていて、
見るからにお金持ちと分かります。
ですが、パイプを吸う手も少し震え、一目見ただけでどこか動揺していることがわかるではないですか。
「長谷川さん、おたくの亮太くんが昨日の夕方からいなくなり、
今朝ポストに暗黒弁護士からの手紙が投函されていたということでいいですね?」
やはり、この紳士は暗黒弁護士の事件を先生に相談しに来ているようです。
そして、どうやらその名前は長谷川さんといい、誘拐された子供の名前は亮太くんというようです。
しかし、そんな長谷川さんに話しかけているのは先生ではありません。
ほっぺたがりんごのように赤い一人の少年です。おやおや、一体どうしたのでしょうか。
「ええ、まあそうなんでが……。あの、唐澤先生はいらっしゃらないんですか」
長谷川氏も不安になって、この少年に尋ねています。
「はい、先生は伊豆の方で事件ということで、おとついから汽車に乗ってでかけております。
あ、申し遅れました。僕、先生の助手をやっている厚史というものです。
先生が留守の間、事務所のことは全部僕に任せると言われております。
ですからご安心ください」
この少年こそが、先生の弟子として名高い厚史少年だったのです。
しかし、長谷川氏もやはり不安のようです。
「はあ。ですが厚史さんもうちの子と同じ年くらいだ。
すこしだけ、心配があるのですが」
「ははーん。僕が子供だと思って見くびっているわけですね」
「いえいえ、決してそんなことは」
長谷川氏は少し慌てた様子でこれを否定します。
「まあ、任せてください。子供には子供なりのやり方というのがあるんですよ」
「子供なりのやり方ですか」
そして、厚史少年は彼の考えている作戦を話し始めます。
それは、長谷川氏にとって驚くべきものでした。
そして、やはりあの唐澤先生の助手だと思わせるものだったのです。



厚史少年の子供なりのやり方というのは一体どのようなものなのでしょうか。
彼の知恵や勇気は、私たちの想像をきっとこえてくれることでしょう。
さて、その答え合わせをする前に、舞台は練馬区のある住宅街へとうつります。
夕暮れ時の道路、ときおり風が吹いて舗装されていないそれの砂を巻き上げます。
そんな道路で、4人の子どもたちが追いかけっこをして遊んでいます。
そのうち3人は短パンをはいた男の子ですが、あとの1人はおさげをして髪の毛の長い女の子です。
男の子たちが泥やほこりがついて、男の子の勲章のように汚れている服を着ているのに対して、
女の子の方はきれいなスカートを履き、上に着ている洋服も、まるで銀座のガールが着ているような
お人形さんが着ていてもおかしくはないものです。
きっと、この女の子の家もお金持ちなのでしょう。
やがて、この子どもたちは遊び疲れたのか解散をし、めいめいが家に戻っていきます。
女の子も1人、自分の家の方向へと歩いていきます。
しかしお金持ちの女の子が1人というのは心配です。
そうです、あの暗黒弁護士がいつ現れるかもしれないのです。
女の子はあたりをキョロキョロと見回しています。やはり、恐ろしいのでしょうか。心配なのでしょうか。
道路には近所の人も誰も出ていません。もし、こんなときに暗黒弁護士がさらいに来たら一巻の終わりです。
と、その時、なにやら自動車のエンジン音がどこからか聞こえてきました。
少しずつ女の子のもとへ近づいているようです。
彼女はあたりをうかがうように周りを見渡します。道路の向こうから車の影が近づいてきました。
車は夕闇にまぎれて、砂埃を巻き上げつつ女の子に近づいてきます。
ああ、もしこれが暗黒弁護士だったらどうしたらよいのでしょうか。
私たちの心配が杞憂で終わればいいのですが。

女の子は恐怖に震えているのか、下を向いています。
自動車の主に顔が見られないようにと隠しているのかもしれません。
きっと、自分のもとを通りすぎてくれと願っていることでしょう。
しかし、その自動車は女の子の隣で止まります。
中から黒いスーツを着た男が出てきて彼女に話しかけます。
胸元にはなにやら怪しく光るバッジが一つついています。
「君は、千尋ちゃんだね」
千尋ちゃんと呼ばれたその女の子はは地面を見つめたまま、小さくコクリとうなずきました。
きっと恐怖で声がでないのでしょう。
千尋ちゃんに話しかけた男の顔は、あたりが薄暗いせいで見ることができません。
「よかった、それだったらこの自動車に乗りなさい」
そう言うやいなや、その男は千尋ちゃんの体を抱き上げ、無理矢理に自動車へとのせました。
「私が誰か分かりますか」
まさか、私たちの悪い予感は的中してしまうのでしょうか。
いえ、もしかしたらこの男の人は千尋ちゃんのお父さんかもしれません。
でもそれだったら千尋ちゃんがビクビクする理由も、男が無理やり彼女を抱き上げる理由もありません。
「ははは、私はね、今巷を騒がしている暗黒弁護士だよ」
ああ、やはりこの男はあの暗黒弁護士だったのです。なんということでしょうか。
暗黒弁護士が自動車で、闇に紛れて千尋ちゃんをさらいに来たのです。
薄暗ければ顔を誰かに見られる心配もありません。きっと、そういうことまで考えているのでしょう。
「では、千尋ちゃん。君を案内するよ。私の自慢の暗黒庭園へと」
そういって、男は千尋ちゃんに目隠しをし、手足を縛り動けなくしてから自動車を発進させました。
この後、千尋ちゃんは一体どうなってしまうのでしょうか。
そして暗黒弁護士の言う暗黒庭園とは一体何なのでしょうか。
亮太くんの件を任せてくれと言った厚史少年は、今何をしているのでしょうか。
自動車は低い音を出しながら、その暗黒庭園へと向かって進んでいきます。



千尋ちゃんを乗せた自動車が出発してからどれくらいがたったでしょうか。
デコボコとした道を進み、その間も千尋ちゃんはじっとしていましたが、
やがて自動車の速度は落とされ完全に停車しました。
目隠しをしていてもはっきりと分かるほど西日がジリジリと千尋ちゃんの顔をやいています。
暗黒弁護士は千尋ちゃんの足の縄だけを解き、強引に自動車からおろし、話しかけます。
「さあついてきなさい。みんなも待っているからね」
そういうと、まだ解いていない千尋ちゃんの腕を持ってぐいぐいと引っ張りどこかへ連れて行こうとします。
それにしても、みんなとは一体誰のことなのでしょうか。
もしかしたら、暗黒弁護士にさらわれてしまった他の子供たちのことなのかもしれません。
千尋ちゃんは黙って暗黒弁護士の言うとおりにします。恐怖で逆らう勇気なんてないのかもしれません。
「さあついた。しばらくここにいなさい」
どうやら、どこかの部屋についたようです。
「ここでしばらくじっとしているんだ」
そういうと暗黒弁護士は千尋ちゃんの目隠しと腕の縄を解き、部屋を出ていきます。
ガチャリという鍵のかかる音が聞こえます。
千尋ちゃんはあたりをキョロキョロと見回します。
なんということでしょうか。
その部屋はだいたいみなさんの通っている学校の教室と同じくらいの大きさなのですが、
そこには十人以上の千尋ちゃんと同じ年頃の子供達がいるではないですか。
やはり暗黒弁護士にさらわれた子供達が集められている部屋だったのです。
どの子もみんな下を向いて悲しそうにしています。当然のことです。
みなさんも、愛するお父さんやお母さんのところから無理やり引き離され、どこかもしれぬところに閉じ込められたらそのような気分になることでしょう。
千尋ちゃんも悲しくて寂しくて泣き出してしまうかもしれません。
おや、しかしどうしたことでしょうか。千尋ちゃんは泣き出す様子はありません。
それどころか、少し笑っているではないですか。
一体どうしたのでしょう。恐怖と哀しみで気が触れてしまったのでしょうか。
千尋ちゃんは部屋をキョロキョロと見回した後、ニッコリと笑い1人の少年のもとへ駆け寄ります。
その少年も下を向いて悲しげにしています。
しかし、千尋ちゃんは笑顔でその男の子に話しかけるのです。
「助けに来たよ。長谷川亮太くん」

下を向いて悲しげにしている男の子こそ、あの亮太くんだったのです。
なるほど、確かに彼も暗黒弁護士にさらわれたのですからそこにいてもおかしくはありません。
しかし千尋ちゃんが助けにきた、というのはどういうことでしょうか。
二人は以前からの知り合いだったのでしょうか。
亮太くんが不思議そうな顔をして千尋ちゃんの顔を見つめます。
千尋ちゃんは笑顔のまま、自分の髪の毛に手を伸ばします。
ああ、なんと。そこにいた誰もが驚きました。
なんとその髪の毛は偽物だったのです。
その下から現れたのは、女の子などではなく、ほっぺたの赤い1人の元気そうな少年だったのです。
もうみなさんお気づきでしょう。
千尋ちゃんは、あの厚史少年の変装だったのです。
「驚かせてごめんね。僕はあの唐澤洋先生のもとで助手をやっている厚史というものなんだ」
厚史少年は、亮太くんのみならずその部屋にいる全員に向かって話しかけます。
「依頼があって君たちを助けにきたというわけさ。だからもう安心してほしい」
部屋にざわざわと驚きの声と、安堵の溜息が広がります。
「でも助けに来たって言ったってどうやって逃げるのさ。ここがどこかもわからないのに」
そう厚史少年に話しかけたのは亮太くんです。亮太くんの言っていることにも一理あります。
「いや大丈夫さ。ここがどこかはだいたい把握しているよ」
そう言いながら厚史少年はスカートの中から何やらいくつかの道具をとりだしました。
「僕が練馬で車にのせられてから大体30分走ったことになる。それはこの懐中時計ではかっていたんだ」
そして地図を広げ、コンパスを取り出し円を描いてみせます。
「自動車の速度は、あの揺れ具合から考えて平均で時速40キロから50キロってとこかな」
時速40キロの円と時速50キロの円、その間を薄く塗りつぶします。
「そして方角なんだけど、僕は自動車に乗っている間ずっと眩しかったんだ。あれは夕日だね。
ということは、この車は練馬から西の方角へまっすぐに進んだということになる。
つまり、この地図でいうとこのあたりだ」
そういって地図のある範囲にぐるっと丸をつけます。
「更に、これだけの子供を誘拐しているということはあたりには民家がない、つまり住宅街ではないということになる。
なぜなら、もし住宅街だったら君たちが大声を出して助けを求めれば誰かが気がつくだろ。
どこか草原のようなところにこっそり建てられた建物に僕たちは今いるはずなんだ。えっと、あ、ほら地図だとここがそうだね」
そう言いながら、先ほど丸で囲んだ範囲のうち、草原になっている場所を地図の上に指さします。
「僕たちはここに閉じ込められているってわけさ」
厚史少年は笑顔でみんなにそう説明します。みんなは厚史少年の説明に聞き入っていました。
さすがは厚史少年です。たったそれだけの情報から、自分たちがどこに閉じ込めらているかを推理してしまったのです。
しかし気になることがあります。
一体どうやって千尋ちゃんと厚史少年が入れ替わったのでしょうか。
そして、厚史少年は今いる場所からどうやって逃げるつもりなのでしょうか。
みなさんも少し考えてみてください。



しかし一体どうして千尋ちゃんと厚史少年が入れ替わったのでしょうか。
暗黒弁護士もあのとき、確かに千尋ちゃんかどうかを確認していたではないですか。
なにか仕掛けのようなものがあったのでしょうか。
「でも厚史くん、どうやってここまできたんだい。
あの暗黒弁護士が、唐澤先生のお弟子さんをわざわざ自分のところまで連れてくるなんて危険なことをするとは思えない。
それに女の子の格好をしているけど」
亮太くんも疑問に感じたのか厚史少年に質問をします。
「ああ、そのことかい。それだったら簡単なことなんだよ」
簡単なことというのは一体何なのでしょうか。厚史少年は先を続けます。
「暗黒弁護士によってさらわれた子どもたちの親の職業や、住んでいる地域を調べたんだ。
そうすると共通点が浮かび上がってきた。
そうすると、次狙われそうな子供というのにあてがつく。
今回は千尋ちゃんという女の子が狙われるだろうと推理したから、そのお父さんお母さんに相談して入れ替わっていたんだ。
毎日ひとけのない暗い路地で遊んで暗黒弁護士を誘っていたというわけさ。
すぐにさらわれるとは思っていなかったけど、案外あっけなくさらわれてほっとしているよ。
これでも僕だってかつらを被ってスカートをはけば女の子みたいに見えるだろ。
探偵には必須の変装術も駆使して千尋ちゃんに化けてみせたってわけさ」
ああ、なんということでしょう。最初から千尋ちゃんは千尋ちゃんではなく厚史少年だったのです。
それにしても、厚史少年の知恵と勇気には恐れ入ります。
次誰が誘拐されるかを予想してみせ、さらには自分が身代わりになってさらわれてみせるという離れ業をやってみせたのです。
物語の冒頭で厚史少年が長谷川氏に話していた「子供なりのやり方」というのはこのことだったのでしょう。
なるほど、子供に化けるのは同じ年頃の子供にしか不可能です。
さすがは厚史少年です。
みなさんもぜひ、彼の勇気と知恵とに拍手を送ってあげてください。

「あとはここから脱出するだけだね」
厚史少年は不敵に笑います。
「でもどうやって出るんだい。逃がしてくれるとは思えないよ」
亮太くんは心配そうな顔をしています。
「僕に考えがあるからまかせてくれよ」
厚史少年にはなにかとびきりの策があるようです。
「さあみんな、ちょっときいてくれ」
厚史少年はその場にいるみんなに向かって話しかけます。
「よし、いいね。これから僕はこの部屋にある魔法をかけようと思う。
僕達をこの牢から出してくれる不思議な魔法さ。
もしかしたらみんなもその魔法に騙されて、あっとなるかもしれないけど、僕の指示に従ってくれれば大丈夫だよ。
この魔法をうまく成功させるにはみんなの力も必要なんだ。
とりあえず、僕が合図をしたら一斉に叫び声や悲鳴をあげてほしい。
暗黒弁護士のやつはきっと僕達の魔法に引っかかるぞ」
すかさず亮太くんが質問します。
「魔法っていうのはなんなんだい」
厚史少年も答えます。
「ははは、まだ話すわけにはいかないよ。
言ったとおり、君たちの力も必要だから、ちょっとはみんなもその魔法に騙される必要があるんだ。
あとのお楽しみにしといてくれよ」
みんな、一様に「一体何が起こるのかしらん」と不思議そうな顔をしています。
「ちょっとその前に下ごしらえが必要でね」
そういって厚史少年は胸元から何やら取り出します。それはなんと鳩ではないですか。
鳩の足に結ばれている小さな筒に、なにやら記した小さな紙をくるくると丸め入れます。
そうすると、窓の格子の隙間から鳩を外に出します。
「自動車で30分だから、まあ余裕をみてあと2時間ってところかな」
厚史少年はそうつぶやいたあと、みんなの方に体を向け語りかけます。
「さあみんな、2時間後が魔法の始まりだ。
きっと始まりの合図には誰かが気づくだろうから、気づいた人から叫んでほしい。
暗黒弁護士を罠にかけてやろうじゃないか」
一体、厚史少年のいう魔法とはなんのことなのでしょうか。
そしてそれはうまく成功するのでしょうか。
その場にいるみんなが期待と緊張とでドキドキしていました。



どれくらい経ったでしょうか。太陽はもう沈んで、外は暗くなっています。
鉄格子の嵌められた窓から、そよそよと涼しい風が時たま吹き込んできますが、
人の話し声や自動車の音は聞こえません。
やはり、このあたりには人はいないようです。
厚史少年が「魔法をかける」と言ってから、既に二時間は経っているでしょう。
部屋にいるみんなも、お腹をすかせてうつむいて座っています。
厚史少年の登場で安心したみんなも、だんだんと不安になっているようです。
「ねえ厚史くん、いつになったら僕たちはここから出られるんだい」
亮太くんが厚史少年に尋ねます。
「さあね。いつになるかな」
なんともひとごとの返事ではないですか。
「そんな。君がすぐに出られるというから待っているのに」
亮太くんが反論しました。
「まあまあ落ち着いて。お腹が減ってる時にそうやってカリカリするのは体に毒だよ」
厚史少年は一体何を考えているのでしょうか。
「そうだ亮太くん。ご飯はどうしてるんだい。まさかずうっとなにも食べてないなんてことはないだろう」
厚史少年が尋ねます。確かに、みんな、ご飯はどうしてるんでょうか。
「それだったら暗黒弁護士が持ってくるよ」
「賊がもってくるのかい。いつくらいにだい」
「そろそろ持ってくるんじゃないかな」
厚史少年は懐中時計をちらっとみます。
そうして微笑みます。
「へえ、じゃあそれを利用しようか」
スカートの中をごそごそとし始めました。
どうやらなにかを用意しているようです。
みんなもそんな厚史少年の様子が気になるようで、そちらに注目します。
「あ、みんなは僕のことは気にしないでくれたまえ。いつもどおりいつもどおり」
厚史少年の「魔法」が、どうやら始まったようです。
一体何が起こるのでしょうか。

厚史少年がなにやら用意をし始めてから、30分ほどが経ったでしょうか。
部屋の外からカツーンカツーンと靴音が聞こえます。
それと一緒にガラガラと台車を転がす音も聞こえます。
暗黒弁護士がご飯を持ってきたのでしょう。
みんなの顔がにわかに明るくなります。
無理もありません。ご飯というのは暗い気持ちを吹き飛ばすものなのですから。
その時です。誰かがおかしなことに気が付きます。
「お、おい。なんだこのにおいは」
においとは一体なんのことでしょうか。
それに呼応するかのように、他のみんなもなにかに気が付きます。
「本当だ。なんだか焦げ臭いぞ。どうなってるんだ」
「ややっ。お、おい、これは煙じゃないか」
なんと、部屋には煙が漂っているではないですか。
「おい、まさか火事なんじゃないだろうな」
誰かがそう叫ぶと、少しずつみんなパニックになってきました。
「あっ、あれは火だ。火が上がっているぞ」
部屋の片隅で赤く炎が上がっていることに誰かが気づきます。
こうなるともう騒ぎは抑えられません。
「大変だ。火事だ。燃えている。焼け死んでしまう」
みんな、口々にそう叫びながら部屋の扉をどんどんとたたきます。
部屋の扉の前には、暗黒弁護士が近づいているわけですから、この騒ぎに気づきます。
パタパタと駆け寄る足音が聞こえると、扉の外から声がかけられます。
「おいどうした。火事だって。本当か」
暗黒弁護士が尋ねます。
「本当だよ。大変だ。助けてくれよ」
みんな、どんどんと扉をたたきます。
「ああ。扉の隙間から煙が出ている。どうやら本当の火事のようだ。
しかし一体どうして。くそったれ。ええい、とにかく扉を開けるからこちらに避難しろ。
それでも私のいうことは聞くのだぞ」
暗黒弁護士はそう言いながら鍵をカチャリとあけ、扉を開きます。
みんな、火事の恐怖で泣いています。
おや、しかしどうしたことでしょうか。
厚史少年だけは、なんだかニヤリと笑いながら立っているではないですか。
そうして、開きつつある扉を見つめているではないですか。
手になにやらもっています。
ああっ。厚史少年の言う「魔法」とは、そう、これだったのです。
火事こそ、その魔法の正体だったのです。
このあと一体どうなるのでしょう。



扉が開くと矢も盾もたまらずみんな飛び出していきます。
しかし、厚史少年だけは部屋の中で身を潜めてじっとしています。なにをするつもりなのでしょうか。
「やいやい、まてまて。お前らそこでじっとしていろよ。
まあ、そうはいっても鍵は私が持っているから簡単に移動はできないのだがね」
暗黒弁護士は部屋の外に出て行った子供達にそう告げると、部屋の中を覗き込みます。
部屋の奥に赤い光がちろちろと揺れ、白い煙がもくもくと立っています。
「ああ、なんてことだ。一体どうして火なんか起きたのだろう」
暗黒弁護士は嘆息しながら、その火元に近づきます。
そうして気が付きます。ああ、この火は火などではないのです。
皆さんには既にお知らせしていますが、これは厚史少年の仕掛けた「魔法」だったのです。
しかし、暗黒弁護士がこのことに気がついたのは、たった今のことです。
「おいなんだこれは。火じゃないなじゃないか。これは懐中電灯に赤いセロハンを被せたのと、
花火の煙玉じゃないか。畜生、騙されたのか」
しかし、時既に遅く、そんな暗黒弁護士に部屋の隅で身を潜めていた厚史少年が襲いかかります。
「おいなんだお前は」
暗黒弁護士が厚史少年に怒鳴りつけますが、全く怯みません。
右手に掴んでいた何かをばさっと賊の顔のあたりにふりかけました。
途端、賊は咳をげほげほと大変しながら、目のあたりを抑えてうずくまりうめき声をあげます。
「僕が今お前にまいたのは唐辛子の粉さ。どうだ苦しいだろう」
そういいながらスカートの中から縄を二本取り出すと、あっというまに暗黒弁護士の両手足を縛り上げてしまったではないですか。
唐澤洋先生の弟子である厚史少年とはいえ、普通だったら大の大人相手にこんな大捕り物をするのは不可能でしょう。
ですが、賊は今や唐辛子の粉を顔に食らって、弱り切っていたので、なんなく縛り上げることに成功したわけです。
「くそっ。くそっ。ガキにしてやられたのか」
暗黒弁護士は悔しがって言います。
厚史少年はそれに答えることなく、賊の服をガサゴソとまさぐると鍵の束を取り出します。
そして部屋の外へと出ようとします。ですが、そのとき暗黒弁護士が語りかけます。
「やい、待て。お前のようなやつはさらってこなかったはずだ。一体誰なんだ」
「僕は厚史さ。唐澤洋先生の助手だよ」
微笑を浮かべながら賊の問いかけに答え部屋の外にでると、鍵をガチャリとかけてしまいます。
「子供達を閉じ込めていた牢に自分が閉じ込められる気分はどうだい」
部屋の中にいる暗黒弁護士に向かってそう告げた後、その場にいた子供達の方を向いて言います。
「さあ、お家に帰ろうじゃないか。鍵もここにあるしね」
みんなの顔がぱあっと明るくなります。やっとあの暗い部屋から抜けだして、大好きなお父さんとお母さんが待つ温かい家に帰ることができるのです。
厚史少年を先頭にみんなが歩き出します。
しかし、本当にこれで賊を出し抜いてやったことになったのでしょうか。
なにか私たちは見落としていないでしょうか。
賊が一人だけだと誰が決めたのでしょうか。

厚史少年達が閉じ込めらていた部屋のある屋敷は存外に広く、また鍵があちらこちらにかかっていたため
屋敷の外にでるのに多少の時間は要したものの、みんな揃って脱出に成功することができました。
「さあ、あっちだよ」
厚史少年は、ある方向を指さしながらみんなを先導していきます。
おそらく数時間前に雨が降ったのでしょう、地面はぬかるんでいて、少し足が取られます。
しかし、閉じ込められていた子供達にとって、この泥に足を取られる感覚は懐かしく、
わざと強く泥に足を振り下ろしてはきゃっきゃとはしゃぐ男の子までいました。
「でもね、厚史くん。一体どうやって家まで帰るんだい。脱出は出来たけど、ここからが難儀だよ」
亮太くんが厚史少年に尋ねます。
「それだったら大丈夫だよ。迎えを呼んでいるからね」
「迎えだって」
「そうさ。僕が鳩に手紙を持たせて放ったことを覚えているかい」
「ああそういえばそんなことがあったね。何をしていたんだい」
「鳩ってのはね、自分の巣に必ず戻る性質があるんだ。それを使って手紙をある人に届けたってわけさ」
「ある人って誰なんだい」
「警視庁の山内刑事さ。彼にここの場所を知らせて、急いで迎えに来るように頼んだのさ。
鳩が届けるのに必要な時間と、そこから車を走らせる時間を計算して僕は魔法を披露したってわけさ。
もう迎えは来ているはずだよ」
山内刑事というのは、唐澤先生も度々お世話になっている刑事さんです。
少々抜けているところはありますが正義感は人一倍で、力もうんと強く頼りになります。
厚史少年は、あの伝書鳩を使ってその山内刑事に居場所を知らせたというのです。
みんながしばらく進むと、パッと目の前が明るくなります。
車のヘッドライトがついたのです。何台も車が並び、制服を着たおまわりさんがたくさんいます。
「おお、厚史くん。良かった無事だったんだね」
「山内刑事、ありがとうございます。さて、みんなは無事なのでお父さんお母さんのもとへ送ってやってください」
「ああそれは警察がちゃんとやってあげるよ」
「賊はあの屋敷の中で縛ってあるので、僕が案内しますね」
「それは助かる。さすが厚史くんだ。そうだそうだ、厚史くん、頼れる人が一人到着したよ」
そう山内刑事がいうと、一台の車の中から笑顔のよく似合う男が出てきました。
厚史少年の顔も明るくなります。
「ああ、先生。お帰りだったんですか」
そうです、この人こそ、あの名探偵唐澤洋先生なのです。
「案外はやく事件が解決したもんでね、急いで帰ってきたんだよ。
今回はだいぶ大手柄みたいじゃないか。えらいよ」
先生に褒められて厚史少年は、えへへと照れます。
こういうところには少年らしさが残っているのです。
「さて、じゃあ賊を捕まえに行こうじゃないか」
先生を先頭にして厚史少年、山内刑事と続き、何人かの制服の警官がそのあとに従います。
さて、このまま暗黒弁護士はあっさりと捕まってしまうのでしょうか。
厚史少年の見事大手柄で事件は終了するのでしょうか。



「あの中に賊は捕らえられているのかい」
「はい先生。ちゃんと縛ってあるので逃げられないはずですよ」
唐澤先生が厚史少年に話しかけると、嬉しそうに報告します。
「いやあ、それにしてもひどい泥ですね。これじゃ靴がグチャグチャになってしまいますな」
山内刑事がベチャベチャと音を立てながら、泥の中を歩いていきます。
「ははは。まあそれくらいは君たち警察のいつもじゃないかね」
「まあそうですな。足で稼ぐのが我々警察官でありますからなあ。
おや先生。そんなかばんをもってどうしたのですか。
賊はもう縛ってあるんですから心配無用ですよ」
山内刑事が、先生の持っているかばんに気が付き尋ねます。
「これは仕事道具ですからね。持ち運ばないと気が気でないんですよ」
「私にとっての手帳と手錠みたいなものですかね」
「ああそうですね」
そんな会話をしていると、不意に先生は厚史少年に質問します。
「賊を捕らえたといったがそんな簡単にできたのかい?」
「ええ、そうですね。唐辛子粉をかぶっているので抵抗できなかったのでしょう」
それを聞いて、ふむと先生は考え始めました。
「なにか嫌な予感がするね。抵抗しなかったのは君を油断させるためだったのかもしれない」
「えっ。先生、それは一体どういう意味ですか」
「とにかく早いところ捕らえた部屋に行ってみようじゃないか」
制服の警官も引き連れた一行は、賊の倒れている部屋に急ぎます。
しかし、部屋の前に来た時に厚史少年は叫び声をあげました。
「あっ。部屋の扉が開いている。僕は確かに鍵を閉めたのに」
それを聞いた唐澤先生は、バッと部屋に飛び込みました。
しかし、ああ、なんということでしょうか。
そこには暗黒弁護士はいなかったのです。
賊を縛った縄が切断されて打ち捨てられているだけではないですか。
「どうやら賊は一人じゃなかったということだね」
「ああ、そんな。僕の完全な油断です」
厚史少年は落胆し、自分の失敗を悔やんでいます。
「しかしまだ遠くにはいけないはずだ。この屋敷を探そう」
唐澤先生はすぐに思考を切り替え、賊の捜索を決意します。
無事、賊をひっとらえることはできるのでしょうか。

「この屋敷を家捜しするとなると、我々警察に任せて下さい。
さあ、徹底的に捜索し、卑劣な暗黒弁護士をひっとらえるのだ」
山内刑事が元気よく号令をかけ、部下の警察官たちに指示を出します。
おや、待ってください。それを唐澤先生が制止します。
「山内刑事、闇雲に探しても見つかりませんよ。
ちょっと考えるので待ってください」
そういうと、先生はじっと考え始めました。
こうなったときの先生の集中力には凄まじい物があります。
床のあたりを眺めながら、なにやら考えこんでいるようです。
「よし分かりました」
先生は何かを思いついたようです。
「あちらとあちらに警官をやってください」
指を指し、方向を指示し、山内刑事に命令をします。
山内刑事はそれに従い、警官隊にてきぱきと指令を出します。
「あ、そうだ、私もあちらを捜索したいのだが、人手が足りない。
彼を借りていいですか」
「ええ、もちろん。先生のためになるならいくらでもかまいませんよ」
先生はそう言うと一人の警官を呼び寄せ、奥の廊下へと消えていきました。
警官隊が捜索に出発し、部屋には厚史少年がいるばかりです。
そこに、一人の警官が息を切らしてやってきました。
「おいおい、今外で賊のと思しき足跡をみつけたぞ。おや、唐澤先生はいらっしゃらないのか」
それを聞いて厚史少年は顔がぱあっと明るくなります。
「本当ですか。僕が向かいます」
「いや、でも先生が同行したほうがいいのではないかい」
「いえ、大丈夫です。僕も先生の弟子ですから」
そう言うと、厚史少年はその警官に案内を急かします。
ここで賊を捕らえれば、一度取り逃がしてしまったことの汚名返上になるので、厚史少年は焦ってしまったのです。
観念した警官は厚史少年を連れて、屋敷の外へいきます。
しかし、しばらく歩き、暗く、他に人影が見えないところにいっても、その警官の言う足跡というのはありません。
「見つけた足跡というのはまだですか」
厚史少年もたまらず警官に尋ねます。しかし、彼はいきなり笑い出したかと思うと、持っていたハンケチで厚史少年の口をぐぐぐっと押さえつけます。
「ははは、まんまと騙されたな。私は警官なんかではない。お前の探している暗黒弁護士だよ」
賊は警官に変装していたのです。なんと大胆不敵な連中ではありませんか。
まさか警官の中に賊がいるなんて思いませんから、まんまとみんなは騙されてしまったのです。
厚史少年は手足をじたばたとさせ抵抗しますが、とても敵いません。
「見ろ、あそこに自動車があるだろう。そこで俺のツレが待機している。
その自動車に乗せ、お前を、本当に『暗黒庭園』へと連れて行ってやろう」
そうして厚史少年は、手足を縛られ自動車に乗せられてしまいました。
自動車は出発し、唐澤先生や山内刑事がいる屋敷はどんどん離れていきます。
厚史少年は、絶体絶命のピンチに陥ってしまったのです。
さあ、抜け出すことはできるのでしょうか。



厚史少年が賊の手によって捕まり、連れ去られてからしばらくが経ちました。
屋敷で捜索を続けていた山内刑事や警官たちも、厚史少年がいなくなったことに気が付きます。
「おや、そういえば厚史くんはどこにいるのだ」
みんなで集まり、厚史少年の居場所について話し合いますが、誰も見ていないと答えます。
ここで、ハッと山内刑事は思いました。
「もしや暗黒弁護士によって連れ去られたのではないか」
まさか、唐澤先生の一番弟子で、有能な厚史少年のことです、まんまと賊に捕まるなどとは考えれません。
しかし現実にその場にいないのですから、山内刑事たちも厚史少年が賊の手に落ちたと考え始めました。
「厚史くんがどこにいるかみんなで探すのだ」
山内刑事は周りにいる警官たちにてきぱきと指示を出します。
こうなったら暗黒弁護士を捕まえることよりも、厚史少年の無事を確保するほうが大事です。
彼は今まで唐澤先生とともにいくつもの事件の解決に貢献してきましたし、これからも貢献してくれるであろうからです。
この長谷川くんの事件にしても、厚史少年なしでは解決されなかったでしょう。
なにか手がかりはないのかと歯ぎしりをして待つ山内刑事のもとに一人の警官がやってきて報告をします。
「明らかに子供のものと思われる足あとが、あちらにありました。
追いかけたのですが途中でなくなり、そこには自動車が発進した痕跡があるだけでした」
これはつまり、厚史少年が誘拐されたということを意味します。
それを聞いた山内刑事は落胆しましたが、しかしすぐに切り替えてその場にいた警官たちに命令を出します。
「これは大変なことになったぞ。そうだ、唐澤先生を呼ぶんだ」
こういう時に頼ることができるのは唐澤先生です。
もしかしたら先生だったら、厚史少年の居場所を把握しているかもしれません。
おや、しかし様子が変ではありませんか。
「おい、先生はどこにいるのだ」
山内刑事が顔を真っ青にしてあたりの警官に尋ねます。
しかし、誰も首をふるばかりで、唐澤先生がどこにいるかはわかりません。
「ああなんてことだ。唐澤先生までもが賊に捕まったのか」
なんということでしょうか。最悪の事態になったではないですか。
厚史少年がさらわれ、あろうことか唐澤先生までもが姿を消してしまったのです。
いえいえ、しかし待ってください。
あの名探偵、唐澤先生がそうやすやすと賊に捕まるでしょうか。
賊をギャフンと言わせる一手を、先生ならば打っているかもしれないではないですか。

厚史少年をさらった、暗黒弁護士一味の乗り込んだ車の中です。
厚史少年は両手足を縛られ身動きが取れずにいます。
警官姿の暗黒弁護士が運転席に乗ってハンドルを握り自動車を走らせています。
後部座席には暗黒弁護士の仲間でしょう、こちらも警官扮した男が、
厚史少年にピストルを向け抵抗ができないようにして乗っています。
「フハハハ。どういう気分だね。一度は出し抜いた相手に、こうやって出し抜かれるのは」
ハンドルを握った暗黒弁護士が上機嫌で厚史少年に話しかけます。
「ああ、ごめんごめん。口を塞いでいるからなにも話せないか」
完全に厚史少年を小馬鹿にしているではありませんか。
暗黒弁護士の仲間は、厚史少年にピストルを向けたまま、
ときおり窓からもう片方の手と顔を乗り出して何かを伺っています。
「どうだ、尾行はされていないな」
暗黒弁護士は尋ねます。
どうやら、後部座席の賊は、後をつけている車や人影がないかを確認しているようです。
後ろには車はないだという答えを聞いた暗黒弁護士は満足そうに微笑みます。
「木を隠すならなんとやらというだろう。逃げるには大勢やってくる警官に変装するの一番なのさ。
薄暗い中で顔もあまりはっきりとは確認できないからね。どうだ簡単に騙されただろう」
暗黒弁護士は前を向いたまま、厚史少年に対して説明を始めました。
「こうやって騙された方法について聞くと、なんて自分は馬鹿だったのだろうと思うだろ。
私もね、君に騙され、そして縛られ思ったよ。
しかし、君が私一人しかいないと思ってくれたのはありがたかった。
勝手に思い込んでくれなければ逃げ出すことは出来なかったからね」
なんと悔しいことでしょうか。この賊の演説に対し、口を封じられた厚史少年は言い返すこともやり返すこともできず
ただ黙ってそれを聞いていることしか出来ません。
自動車はゴトゴトと揺れながら進んでいきます。
「これから君を紹介するのは、本当の『暗黒庭園』だよ。
さっきの屋敷は、まあ準備小屋みたいなものだね。
そして感謝し給え。君こそが『暗黒庭園』の第一の客人にして、第一の展覧物になるのだから」
一体、暗黒弁護士の言う展覧物というのはどういうことでしょうか。
厚史少年は人間です。展覧物と呼ぶのはおかしいではありませんか。
ああ、もしや、厚史少年は賊の手によって命を奪われ展覧物にさせられてしまうのではないですか。
いえいえ、そんなのは悪い想像です。
しかし、それがないと言い切ることも出来ません。
厚史少年の運命はどうなるのでしょう。
そして、厚史少年がこの一大事のときに、我らが唐澤先生は一体何をやっているのでしょうか。



厚史少年が縛られ、自動車に乗せられ出発してからどれくらい経ったでしょうか。
この間、厚史少年はずっと、この状況からどうやって抜けだそうか考えていました。
しかしうまい案は思い浮かびません。
相手は大人二人です。服の中に隠した道具も、山内刑事たちと合流した時においてきてしまいました。
唐澤先生に居場所を知らせようにもその手段がありません。
隙を見て逃げるしかないのですが、その隙を果たして賊が見せてくれるかどうかです。
それでも、少なくとも今は無理そうです。
賊は運転席でハンドルを握り運転を続け、もう一人の男は厚史少年の隣で拳銃を突きつけながら
頭ともう片手とを時たま窓から出し、相変わらず尾行がないかどうか探っているようです。
困ったことになったぞ。厚史少年は自分の置かれた状況を理解しました。
ですが、恐怖や心配は全く感じていません。
そうです、厚史少年には唐澤先生がついているではないですか。
先生が絶対に助けに来てくれる、そう厚史少年は信じているのです。
厚史少年は考えます。
今頃、先生は僕がいなくなったことに気がついて、うまい手を考えてるはずだ。
そして山内刑事やその部下に何かしら命令して、僕を追いかけさせているに違いない。
それはもうすぐ、僕とこの賊に追いつくだろう。
そう考えているのです。
ああ、しかし、私たちは知っていますが、唐澤先生までもがどこかに姿を消してしまったことを厚史少年は知らないのです。
賊に捕まっている、とはあの唐澤先生のことですから、ないはずだと信じたいです。
しかし、いなくなってしまったのは事実なのです。
そんなことを厚史少年は知らないものですから、まだ油断をしているのです。
そうこうするうちに自動車の速度は少しずつ緩まり、停車しました。
「さあ、降りろ。案内してやる」
暗黒弁護士は厚史少年を縛っている縄を足だけほどくと、乱暴に自動車からおろします。
そして、ぐいぐいと引っ張ってどこかへ連れて行こうとするのです。
「さあ、この階段を降りろ」
地面を掘るような形で階段があり下へ続いています。
逆らうことも出来ないまま、厚史少年は連れて行かれます。
しばらく降りると頑丈そうな扉がありました。
暗黒弁護士が鍵を取り出しその扉を開けます。
「ようこそ厚史くん。『暗黒庭園』へ」
賊は不気味に笑いながらその扉の中へ厚史少年を引き入れ扉を閉めます。
もう、厚史少年は逃げられなくなりました。
地下の部屋で大の大人二人に囲まれ、手も縛られているのです。
そして、厚史少年はここ、暗黒庭園で世にも恐ろしい光景を目にすることになるのです。

そこには大きな空間が広がっていました。
外国には地下街というものがあるということは聞いたことがあるでしょうか。
地下に大きな穴を掘り、そこに街をまるまる一個作ってしまうのです。
地下は誰のものでもないので、そこをどうしようとも文句を言われないわけです。
暗黒弁護士が連れてきた空間は、さすがに街というわけではありません。
ただ、広い空間が広がっているだけです。
ところどころに明かりが灯り、あたりを薄暗く照らしていますが、遠くまではっきりとみることはできません。
満月の夜くらいの明るさでしょうか。少し先はもう見ることができません。
この空間は一体なんなのでしょうか。これが賊のいう『暗黒庭園』なのでしょうか。
「ははは。どうだい驚いたかい。これが君に見せたかったものだ。これが私の自慢の『暗黒庭園』だよ」
やはりそのようです。なるほど、確かに暗いわけですから暗黒の世界になっているわけです。
「庭園というのは普通、どういうものかね。
そう、花や草木が生い茂り、明るい陽の光が差し込み、小鳥たちがさえずる。
そういうものだ。しかし、ここは違う。庭園は庭園でも暗黒なのだ。
私はここに、もう一つの庭園をつくろうと思っている。誰も見たことがないもう一つの庭園をだ。
庭園なのだから花が必要だ。そして、ここでの花というのはそう、君は分かっているだろ」
暗黒弁護士がにやりと口元を歪め、厚史少年の顔を覗き込みささやくように言います。
「君たち、子供だよ。それをこの庭園に集めるのだ」
そう言いながら暗黒弁護士は厚史少年の頬をなでるように触ります。
厚史少年は身をよじってそれから逃れようとしますが、賊に無理やり顔を掴まれ元に戻されます。
「君たち花々は私のために咲き誇るのだ」
ああ、なんと気の狂った計画なのでしょう。
そのために東京の地下にこんな空間を作り、少年少女を誘拐したというのでしょうか。
しかし、暗黒弁護士の話はこれだけではないようです。まだ続けます。
「しかしだね、やはり花だけだと飽きてしまう。娯楽というか、なにか別のものも必要だとは思わないかい」
そう言いながら、暗黒庭園のどこかへと案内するように厚史少年を引き連れます。
そこには檻がありました。動物園にあるような檻です。そして、そこには住人がすでにいるようです。
動物でしょうか。犬や猫でしょうか。いえ、もしかしたら虎や猿のような凶暴な動物かもしれません。
いえ、しかしもっと恐ろしいものがそこにいたのです。
「ほらみたまえ。これはかたわの群れだよ」
なんと恐ろしいことでしょう。なんとおぞましいことでしょう。
皆さんは「かたわ」というのをみたことがあるでしょうか。
病気や事故で五体満足ではなくなってしまった人のことです。
浅草などの見世物小屋でみたことがあるという人もいるかもしれません。
この暗黒弁護士は、そういったかたわの人を檻の中に閉じ込めているのです。
「どうだ面白い光景だろう。彼らをみると、自分たちがいかに正常かはっきりと確認することができる。
このかたわどもはね、金で買ったのさ。こいつらの家族もかたわなんて手放したいと思っているからね、簡単に譲ってくれたよ。
一日に一度餌をくれてやればいい。猫や犬よりもよっぽど飼うのは楽さ」
檻の中のかたわたちは弱々しくなにかうーうー唸っています。しかし、それは言葉にはなっていません。
厚史少年はその光景をみて心底ぞっとしました。あまりにも狂気じみていると感じました。
今まで味わったことのない恐怖でした。
なんていう気違いに自分は捕らえられてしまったのかと思いました。
厚史少年の足は震えだします。泣き叫びたくなりますが、グッと堪えます。
唐澤先生。そう叫びたくなる気持ちをどうにかこうにかおさえつけます。
「そうそう。君たちは花だと言ったね。しかし、成長すると醜くなる。枯れてしまうわけだ。
どうやってその美しさを保てばいいと思うかね。ふふ、押し花と同じだよ。
死んでしまえばいいのだ」
そう言ってもう一人の賊に目で合図を送ります。もう一人の賊は拳銃を静かに厚史少年に向け心臓を狙います。
「エジプトにミイラというのがある。代々の王様の死体を保存したものだ。腐らないように内蔵や脳みそを掻きだして乾燥させるのだ。
しかし、それは古代の話だ。今はもっと簡単な方法がある。蝋人形にしてあげるのさ」

厚史少年の震えはとまりません。
とめようとしたってとまりません。
先生が助けに来てくれる気配はありません。
しかし、それでも、それでも涙は流しませんでした。
自分は最後まで、あの名探偵唐澤先生の弟子なのだという矜持がそれをこらえさせました。
「心臓を撃ち抜けば顔はきれいなままで死ねるだろう。あとの処理は我々に任せたまえ」
厚史少年は暗黒弁護士の顔を睨みつけます。賊の目をじっと見つめます。
僕が死んだって、きっと先生がお前らを捕まえるぞ。
そう気持ちを込めた視線を送ります。
厚史少年は目をそらしません。厚史少年はまばたきもしません。
暗黒弁護士をそのつぶらな目で、ぎろっと睨みつけてやるのです。
今、この場でもっとも存在感のあるのは主導権を握っている暗黒弁護士ではなく、おそらく厚史少年でしょう。
暗黒弁護士も厚史少年のそのような視線に少したじろぎます。
「うむ、さすがにあの唐澤の弟子だな。度胸はあるようだ。
しかし、だからといって解放したりはしない。
私は暗黒庭園をつくり上げるのだ。
厚史くん、君がその庭園を飾る花の第一号になるのだよ。いや第一輪と呼ぶべきかな」
暗黒弁護士は睨みつける厚史少年の目を睨み返します。
そして、もう一人の賊に向かって命令します。
「撃て」
もう一人の賊はそれに従います。
発砲音が響きます。
倒れる音が響きます。
広い地下空間にそれらの音が何重にも重なってこだまします。
厚史少年は賊の凶弾に斃れてしまったのでしょうか。
いや、少し待ってください。
何かがおかしいです。
声が聞こえます。うめき声が聞こえます。これはおかしいです。
なぜなら、賊は厚史少年の心臓を撃ちぬいたはずです。
だとしたら、即死するわけですから、うめき声など聞こえる道理はありません。
あっ、もしかしたら、賊のもう一人は拳銃に不慣れで厚史少年の心臓から外して撃ってしまったのかもしれません。
だとしたらまだ厚史少年は助かります。
「くそっ、くそっ」
うめき声の主は苦しそうに叫びます。
「なぜ。なぜだ。なぜ私を撃った。なぜ私を裏切ったのだ」
いえ、倒れているのは厚史少年ではなありません。
ああ、そうです、このうめき声の主はほかならぬ暗黒弁護士だったのです。
一体、何が起こったのでしょうか。
どうして、賊の仲間は暗黒弁護士を裏切ったのでしょうか。
みなさんも少し考えてみてください。



「ああ、くそ、くそ」
暗黒弁護士は苦しそうにうめき声をあげながら倒れています。
薄暗い光のなかで、左手を抑えているのがぼんやりと見えます。
どうやら左手を撃たれたようです。血も流れているようです。
「どうして私を撃ったのだ」
暗黒弁護士は左手を抑えながらゆっくりと立ち上がり、
自分を撃ったもう一人の賊に威嚇するように怒鳴りつけます。
厚史少年は今何が起こっているのかわかりませんでした。
もう自分はこの賊たちによって殺されるのだと覚悟をしていたのですから当然です。
恐怖のあまり固く握りしめた拳には、自分の爪の跡がくっきりと残っている程でした。
どうしてこの賊は自分を撃たなかったのだろう。
そして、どうしてこの賊は仲間であるはずの暗黒弁護士を撃ったのだろう。
そんな疑問が厚史少年の頭の中をめぐります。
「おい、なんとかいったらどうだ。貴様、こんなことをして」
暗黒弁護士は依然として仲間に向かって怒鳴っています。
厚史少年は考えます。
もしやこれは絶好の機会ではないかしらん。
仲間割れをしているこのすきを突けば逃げることができるかもしれない。
しかし、厚史少年のこの考えも次の瞬間消えてなくなります。
暗黒弁護士を撃った賊のもう一人が、厚史少年の肩に手を置いてこういったのです。
「ごめんね、厚史くん。怖かったろう。でももう安心したまえ」
「その声は、先生じゃあないですか」
そうです、なんと暗黒弁護士を撃ったあの賊は唐澤先生だったのです。
賊は、いや先生は、あの優しい語り方で厚史少年に話しかけます。
「よくここまで我慢したね、さすが私の助手だ」
このやりとりを暗黒弁護士が黙ってみているわけがありません。
「なんだと、一体どうなってるんだ。なんで、なんで」
暗黒弁護士の疑問ももっともです。
いったい、いつの間に先生は賊と入れ替わることができたのでしょうか。
先生は不敵に笑いながら暗黒弁護士に向かって言い放ちます。
「だったら教えてあげるよ。いかに君たちが無能だったかをね」

左手をギュッとおさえて、必死の形相をしている暗黒弁護士に向かって、
先生は一体どうやって入れ替わることが出来たのかを説明し始めます。
「まずおかしいと思ったのは、あの屋敷にいったときだ。
君たちはあの日、外に出て周りがどんな様子か確認したかい。
していないだろう。あの日は雨が降ったんだ、それで地面がぬかるんでいた。
僕達と、それから山内刑事をはじめとする警官隊はみんなその泥を通ったはずなんだ」
確かにそうだったはずです。それは私たちも知っています。
そういえば、山内刑事が泥に汚れるのが嫌だのなんだのと言っていたではないですか。
しかし、それがどう関係するのでしょうか。
「屋敷に入りお前がいないことに気がついた我々は捜索を始めた。
そこでおかしいと思ったんだ。もう分かるだろ。
そうだ、靴だよ靴。
あそこにいる警官隊はみんな泥で靴が汚れているはずなのに、
二人だけきれいな靴を履いた警官がいたのさ。
それがお前らというわけだ。
その内の一人を気付かれないように呼び出して、尋問を行い色々と聞き出したというわけさ。
変装道具はいつも携帯しているし、変声術もできるからね、なりかわるのは簡単だったよ」
なんと、そんなからくりがあったのでした。流石は先生です。
この言葉を聞いて暗黒弁護士はたいそう悔しがります。
「ふん、そんなことだったのか。くそ、まんまとはめられたもんだ。
だがな、このまま捕まえることができるなんて思うなよ」
そう言うと暗黒弁護士は何歩か後じさりをします。
そして、足を急に動かして地面を蹴ったではないですか。
その瞬間、部屋がぱっと明るくなります。とてもまぶしくなります。
どうやら、電灯のスイッチのようなものが床に仕込んであって、それを作動させたようです。
先生と厚史少年はその眩しさにたまらず目をつぶり、うずくまってしまいます。
みなさんもトンネルから普通の道路に出た時に、眩しくてたまらなくなったことがあるのではないでしょうか。
人間の瞳には瞳孔というものがあり、暗い時は大きく膨らんで光を沢山うけようとし、
明るい時は小さく絞って光を少なく受けようとするのです。
ですから、暗いところか明るいところへいきなり行くと、この調整が追いつかず目が一時的に眩んでしまうのです。
暗黒弁護士はこの人体の現象を利用したのです。
賊は黒メガネを素早く装着し、部屋の隅へと走り寄っていきます。
そこで何やら操作すると一本の縄ばしごが出てきます。
左手を怪我しているのでおぼつきませんが、それでもたいへんな速度でスルリスルリと上っていきます。
この辺りになって、やっと目が慣れた先生と厚史少年は賊を追いかけるために走り出します。
「やいっ、逃すとと思うか」
厚史少年が賊に向かって叫びます。
賊がもう少しで天井に届こうというときに、先生が、続いて厚史少年が飛びつきます。
二人の運動神経というのは大変なものですから、目にも留まらぬ速度で縄ばしごをするするするすると上っていきます。
その様子はまるで、蜘蛛が自分の巣を我が物顔で闊歩するかのようではないですか。
しかし、二人が追いつくよりも賊が天井に届き、なにやら扉のようなものを開けるのが先です。
その扉からさっと賊は飛び出していきます。
いくらか送れて先生と厚史少年がそれに続いて飛び出します。
そこは林のようなところでした。
ここで、賊と先生、そして厚史少年の大捕り物がはじまるのです。



さっと飛び出した賊は林の中を身をかがめながら駆けていきます。
左手を怪我しているのでそれを庇ってはいるものの、それでもその速さはすさまじいのです。
遅れて飛び出した先生と厚史少年が賊を追いかけます。
しかし、賊にとってその林はよく知ったところですから、すいすいと木の中を駆け抜け、
後から追いかける二人は賊を見失わないようにと気をつける必要もあるものですから
なかなか追い付くことが出来ません。
「先生、このままじゃあいつに逃げられてしまいます」
心配になった厚史少年が、走りながら唐澤先生に話しかけます。
「このままだったら逃げられてしまうかもね」
「えっ、このままだったら、というのはどういうことですか」
そんな話を二人がしているとき、賊は林を抜けてひらけた場所に出ました。
道路があり、すこし行けば住宅地へと抜けることが出来そうです。
もしこのすばしっこい暗黒弁護士が、道路が複雑に入り組んだ住宅地へと出てしまったらどうなるでしょうか。
あの二人とはいえ追いつくことは難しいでしょう。
林だったら遠くに人影をみたり、草木をかきわける音が聞こえますから、なんとか追跡することができます。
しかし住宅地となるとそうはいきません。
しかも、もっとも恐ろしいのは暗黒弁護士がどこかの家に入り、そこの住人を人質にとることです。
そんな事態はなんとしても避けなければなりません。
「ああっ、先生、まずいですよ。賊が行ってしまいます」
厚史少年が林を抜けた暗黒弁護士を見ながら声をあげます。
その時です。賊が行こうとしている道路の向こうから自動車がやってくる音が聞こえました。
もしかしたら賊の仲間のものでしょうか。
だとすると、それに乗って逃げることが出来てしまいます。
ですが安心したことにそれは賊の仲間ではないようです。その音にびっくりした様子を見せたからです。
賊は一瞬ぎょっとした表情をしましたが、気にせずに行こうとします。
しかし立ち止まらざるを得ませんでした。
その自動車の音は、一台のものではなかったのです。
何台もの自動車が低い音を出しながら近づいて来たのです。
その自動車が遠くにあった時は、周りが暗いものですからはっきりとはわかりませんでしたが、
近づいた今や、その正体がわかります。
それはなんと警察の車両だったのです。
暗黒弁護士の近くに、車両は止まり、一斉に扉が開き制服を着た警察官がわーっと暗黒弁護士に向かって跳びかかりました。
賊はぐるっと身を翻すと、林でも道路の方向でもない方へと逃げようとします。
おまわりさん達が賊を追いかけていくのを見ながら、車両の一台から見覚えのある男が登場しました。
そうです、山内刑事です。
一体、どうして山内刑事はここに賊がいるということを知っていたのでしょうか。

先生と厚史少年は制服の警官たちが暗黒弁護士を追いかけるのをみるとその追跡を彼らに任せ、
山内刑事のもとへと走っていきます。
「いやー、ふたりとも大丈夫でしたかな」
山内刑事は快活な笑みを浮かべて、二人に話しかけます。
「ああ、ありがとう。助かったよ」
「本当にありがとうございます。ですが、一体どういうわけでここまで来れたのですか」
「どういう意味かな、厚史くん」
「ですから、どうしてここに僕達がいるとわかったのでしょうか」
やはり、厚史少年も山内刑事がそこにいることが不思議でならないといった様子です。
「それだったら唐澤先生の残してくれた手がかりのおかげだよ」
「手がかりとはなんですか」
厚史少年は首をかしげます。それをみて、唐澤先生はポケットに手を入れなにやら取り出して少年に見せます。
「山内刑事が言っているのは、ほら、これさ」
それは小さなガラス球でした。
皆さんもビー玉で遊んだことがあるでしょう。あのビー玉よりもずっと小さい、キラキラとしたガラス球がいくつも先生の手の中にありました。
「これがいったいどうしたのですか、先生」
「これをここにくる道すがら撒いていたというわけさ」
唐澤先生の説明によるとこうです。
先生は、賊が運転し、厚史少年を乗せここまで連れてきた自動車の後部座席で、厚史少年に右手で拳銃を向けながら
左手は外に出しそのガラス球を少しずつ落としていたということです。
そういえば、厚史少年を車に乗せていたときの、先生扮する賊の一人は、窓から手と顔を出しやたらと外を気にしていましたね。
なるほど、あれにはそういう意味があったのです。
「ヘンゼルとグレーテルという童話を知っているだろ。あれにアイディアを借りたのさ。
もっとも、あの童話ではパンを撒いてしまうから鳥に食べられ、家に帰ることはできなくなってしまうけどな。
ガラス球を撒いたわけは鳥に食べられることはないという意味はもちろんあるのだが、もう一つ大事な意味があってね」
先生はそう言いながら持っていたガラス球をパラパラと地面に撒きます。
そして、懐中電灯を取り出すと、その地面に光を当てます。
すると、地面がキラキラと光りだしました。そうです、ガラス球が懐中電灯の光を反射しているのです。
「こうやって光を当てると、ガラスだから反射するのさ。
もしこれが昼間だったら、周りも明るいから目立たないのだが、しかし夜だとこうなるというわけなんだよ」
「ええ、それで我々は自動車のライトをつけながら、そのキラキラを追いかけてここまで来たのだよ」
なんという知恵でしょうか。夜の暗さを利用して、先生は山内刑事に道を教えたのです。
そして山内刑事にも拍手を送るべきでしょう。そのことに気がついて、見事ここまで辿り着いたのです。
並大抵の人ではこうは行きません。
「それで山内刑事、あそこに地下室へと続く入り口があるからそこも捜査したまえ。
そこの牢にかたわが何人か監禁されているから、彼らも助けてあげたまえ」
「おおそうですか、分かりました。早速、何人か送って助けてあげましょう」
山内刑事は部下に、かたわを助けるように指示を出します。そして、安心しきった様子で言います。
「そろそろ賊が捕まっている頃ですかね」
だいぶのんきなようですが、あの暗黒弁護士がそんなに簡単に捕まるでしょうか。
何かあっと驚くような手を、あの賊のことですから、隠しているかもしれません。



唐澤先生と厚史少年、山内刑事がほっと一息ついて話しているところに、
一人の警官が息せき切ってやってきます。
なにやら相当慌てているようです。何があったのでしょう。
「大変です、賊が、賊が」
「おや、一体どうしたというのだね」
山内刑事は相変わらずのんきに答えます。
「大変なんです、とにかくこちらにいらしてください」
「まさか、賊が。何があったのだね」
警官は混乱して事態をうまく説明できないようです。
とにかくついて来てほしいというその警官に続いて山内刑事も走り出します。
唐澤先生と厚史少年も、それについていこうとしましたが、それを山内刑事が制止します。
「ああ、これは我々警察の仕事です。取り逃がしたとなれば、我々の失態となるわけです。
ここはどうか我々におまかせ下さい」
そういうと山内刑事は林の中へと駆けて消えてゆきました。
「先生、一体なにが起こったのでしょうか」
厚史少年が先生に尋ねます。
「おそらく賊が消えたのだろう」
「ええっ、消えたっていったって、ここにはこんなにたくさん警察官がいるじゃないですか。
ぐるりと囲まれているようなものですよ、そこをどうやって手負いの賊が抜け出せるというんですか」
「簡単な事さ。二次元的思考でうまくゆかないなら、三次元的発想をすればいいのさ。
今、山内刑事が走っていったが、あれでは賊を捕まえることはできないね。
賊はかなり賢いやつだ。こうなったときのための手も考えているはずさ」
先生のいう三次元的発想とは一体なんのことでしょうか。
これには厚史少年もひっかかったようです。
「その発想とは一体どういうことですか」
「そろそろ分かるんじゃないかな」
唐澤先生がそういった時です。
いきなり、歓声があがりました。いえ、そう表現するのは適切ではないでしょう。
それはそこにいたたくさんの警官たちが発した驚きの声だったのです。
そして厚史少年もその声をあげることになります。
「あ、あれは、先生あれを見てください」
厚史少年は指を指します。
その先は空です。そして、一つの気球がぐんぐんと空へ昇っていくではないですか。
そうです、先生の言っていた三次元的発想というのは、地上を逃げるのではなく空を逃げるということだったのです。
それを見ながら先生は、少し笑います。
「ははは。いやあ、あれじゃ捕まえられないね」
なんとのんきな反応ではないですか。一体、どうしたのでしょうか。
「空をいかれたら僕達じゃ追いつけないからね。賊は賢いね」
「先生、何をおっしゃってるんですか。追いかけないと」
「うん、そうだね。あの気球にはもう追いつけない。けど、賊は捕まえることにしようか」
先生は賊を捕まえると言っています。ですが、そんなことできるのでしょうか。
二人のもとに、先ほど警官と林の中へ入っていった山内刑事が走ってやってきます。
「先生、どうしましょう、大変です。あれじゃあ、捕まえられませんよ」
「とりあえず気球を追跡することにしようか。そうすれば、何か分かるかもしれない。
自動車を出してくれないか、さあ、賊を捕まえようじゃないか」
唐澤先生は何を考えているのでしょうか。空を逃げられたら捕まえられないと自分で言ったのを忘れたのでしょうか。
近くにいた警官を運転手にし、厚史少年は助手席に、唐澤先生と山内刑事は後部座席へ座ります。
これから、勝てそうにない気球対自動車の追跡劇が始まるのでしょうか。

「さあ、発進しなさい」
山内刑事が、運転席に座る警官に命令します。しかし、なぜかそれを先生が止めます。
「いや、自動車を出す必要はないよ」
これには厚史少年も驚き、後ろを振り返り言います。
「ええ、どういうことですか、賊を捕まえないと」
「はは、賊だったらもう捕まえているんだよ」
「え、それはつまり」
唐澤先生は素早く身を翻すと、隣に座っていた山内刑事の腕を取り、身動きを奪います。
「同じ手を何回使うつもりなんだい、君は」
ぎりぎりとだんだん力を込め、山内刑事を自動車の後部座席の上に倒してしまったではないですか。
「先生、まさかその山内刑事が」
「ああ、そうさ、こいつが賊さ、暗黒弁護士なのさ。
さあ、君たちも手伝ってくれたまえ」
それを聞いて厚史少年と運転席の警官は、一旦自動車からおります。
三人がかりで、暗黒弁護士扮する山内刑事を車外に引きずり出すと、先生の持っていた縄で縛り上げてしまいます。
「そのまま逃げていればよかったのに、君もずいぶんとプライドのたかい人間なんだね」
そう語りかける唐澤先生を、賊は下から睨みつけます。
「ふん、そのまま逃げるなんてことができるか。
まんまとしてやられて、そのままずらかることができるほど脳天気じゃないんだよ。
一杯食わせて、お前の自信をくじいてやろうと思ったのさ」
もう暗黒弁護士は抵抗しませんでした。いえ、むしろ捕まったにもかかわらず清々しい表情をしているではないですか。
「気球にはダミーの人形かなにかをいれ、そして山内刑事と入れ替わったんだろう」
「ああ、そうだ。後ろから薬品をかがせてやったらすぐあの野郎は眠っちまったぜ。へへへ」
ついにやったのです。唐澤先生は、少年少女、そしてその親御さんたちを恐怖させた暗黒弁護士を今捕まえてみせたのです。
運転手にした警官に頼んで応援の警察官や車両を呼んできてもらいました。
続々と警官たちが集まり、その中にはぼーっとした様子の山内刑事もいました。
たくさんの警察官に囲まれ、暗黒弁護士は警察へと連れて行かれます。
もう、みなさんのような可愛らしい少年少女が怯えることはなくなったのです。
警察車両へと賊が乗せられるそのとき、唐澤先生は暗黒弁護士に話しかけます。
「このまま君は逮捕だ。君の暗黒弁護士としての野望はここで潰えたのだよ」
これに暗黒弁護士は答えます。
「へっ、まあしかたないな。俺は、あんたに捕まってよかったかもな」
そう答えると、賊はパトカーに乗せられどんどんと遠ざかって行きました。
これで、事件は終わったのです。

暗黒弁護士が捕まってから数日後、唐澤先生の事務所を一人の少年が訪れました。
それはあの亮太君でした。
「亮太くん、どうしたんですか」
厚史少年が亮太くんに応対します。
「実はね、厚史くん。僕は君にすっかり感謝しているんだ。君を尊敬している」
「そこまで言われるとなんだか恥ずかしいね」
「だから、お願いがあるんだが、僕を仲間にいれてくれないか」
「えっ、仲間だって」
これには厚史少年もびっくりします。
「そうさ、街の不思議な事件を僕達で解決するんだ。子供なりの知恵や勇気で、大人に立ち向かうんだ」
亮太くんの話を聞いて厚史少年も考えます。
そして、しばらくして笑顔で答えます。
「うん、面白い考えじゃないか。そうだね、少年探偵団なんてのはどうかな、それが僕達の組織の名前になるんだ」
亮太くんの顔がぱあっと明るくなります。
「ありがとう、厚史くん。これから僕たちは友達だ、そして仲間だ」
「ああそうだ、ああそうだ」
二人は笑顔で握手をします。
ここに少年探偵団が結成されたのです。
彼らは一体どんな活躍をこれからしていくのでしょうか。
読者のみなさんも彼らをぜひ楽しみにしていてください。
しかし、みなさんには残念なことを先に教えておく必要があるでしょう。
亮太くんは残念ながら、近いうち蛆縞人肉という醜く汚い怪人おばさんによって陵辱されながら殺されてしまうのです。
そのお話は、また別の機会になるでしょう。
今回はこれで終わりです。

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