唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教とネット文化
ここでは恒心教の前史の前史、オウム真理教のネット文化への影響について記述する。なお、ここでは「ネット」にパソコン通信も含むものとする。時代が時代だけに伝聞情報が多いことに注意。
オウムによる宣伝
掲示板への参入
マハーポーシャのオウムだけあってネット進出は早く、1991年9月14日にはパソコン通信上に「オウム真理教ネット」を開設[1]。
また、ニフティーサーブやPC-VANにも進出していたが、濃厚な智津り行為にへきへきされていた模様。
洗脳ばりばりです。信者の書き込みしかありません。こんなんのがお堅いニフティで 許されていたとはいまもって、驚きです。これが尊師の超越神力なのでしょう。 ほんとに。 長期にわたり、洗脳会議室の存在は神々に許されていたのですが、 ついに14ヶ月後閉鎖されました。だって、信者の布教だけなんだもん。 その間、精力的な信者の投稿は続いていました。 誰か読んでいた人はいるのかな? 誰かが読んでいたのか、読んでいないのか。全く波風も立たずに ニフティのオウム真理教会議室は消えていきました。 ニフティとくれば、2大パソツウネットのPC-VANです。オウムの話を 抜きにして、全体の雰囲気を私に言わせれば、御上品に見えるのを最大の目的として 徹底的な監視体制、管理体制を敷く、そして有無を言わせず徹底削除するNIFU邸と、 なんでんかんでん書き放題。削除なんてほとんどない。誹謗中傷雨あられの管理しないPC-VAN。 そこで、オウムはなにをしたか。宗教のフォーラムに進出したんですねぇ。最初は場の雰囲気を 尊重する振りをしたりしていたのですが、そのうちどうにも不利になってくると、 教義を徹底的に投稿しだしたのです。最初はみんなうるさがっていたのですが、PC-VAN は削除はしないのがモットー。そこで考え出したのが別名「資料室」という「書き捨て場」。 オウムさんの教義はそっちに書いてね。宗教のフォーラムはそれで平静を取り戻したのでした。 普段は資料室など誰も見ないのですが、増えるは増える資料室の中に教義がいっぱい。 そこでみんなはおもったものでした。「ああ。作る物だなぁ、いい墓場。作らなかったら 今頃会議室バンクしてるよ」[2]
阿修羅騒動
ニフティーサーブのBBSにおいて、「阿修羅♪」なる人物がオウム強制捜査を「予言」し話題になる[3]。
#614/000 資料室 ★タイトル (ZXM50235) 95/ 3/19 22:28 ( 18) オウム真理教強制捜査は明日!3/20★阿修羅 ★内容 ある人からの情報です。 明日は休暇を取って宗教弾圧をじっくりと見るのも良いでしょう。[4]
この人物はオウム隠れ信者であるといわれる。その後現在まで長きに渡って「阿修羅掲示板」という甘芋系掲示板を運営。
オウム真理教公式サイト
1996年10月11日、オウム真理教はインターネットに公式サイトを開設。内容はマニア必読。
陰謀論
オウム公式サイトに前後して、隠れオウム信者によるオウム事件陰謀論の流布を行うサイトが現れるようになった。代表的な人物としては河上イチローや上述の阿修羅♪がいる。
オウムの陰謀論は幹部が次々自供していく中で破綻したが、甘芋にはヒットし、様々なアレンジがなされつつ継承されていった。岩間好一は2019年によくやっていた駅前演説の中で「オウムは創価学会、統一教会の手下だった」という趣旨の発言をしているが、これはまさにオウム事件陰謀論の主張そのままである。ある意味オウムは、甘芋ラジコン路線を先取りしていた。
アングラとオウム
あやしいわーるど
1995年、「地下鉄サリンゲーム 霞が関」というド直球160km/hの不謹慎ゲームが草の根BBS経由で流通し大きな問題となる[5]。
運営から即刻削除されやすかったこの「霞が関」を配布することを目的として、「しば」が「あやしいワールド」という掲示板をニフティーサーブ内に開設する。あやしいワールドは1996年にインターネット掲示板「あやしいわーるど」となり、後のあめぞう・2ch等に多大な影響を与えた。
また、オウム不謹慎ゲームは多数作られ、中にはゲームオーバーになるとドライブを破壊するという凶悪なゲーム(倉庫番 in 上九一色村)もあった。
オウム隠れ信者デマ騒動
「T-O-R」という人物を炎上させるため、存在しない「オウム隠れBBS」とサリン事件謀議ログをでっちあげ、この人物がこの秘密掲示板に書き込んでいる信者である、などというデマを流布した事件。
オウムガチ勢からすると用語の使い方やディティールがおかしく、すぐ偽物と分かる代物らしいが、日テレが「オウムの秘密通信網がある」と騙されてこの人物に取材してしまったという。
農水省オウムソング事件
オウムといえばなんといってもオウムソングである。1997年、HTMLタグを利用した攻撃により、オウムソングが農水省の掲示板で鳴り出すという珍事が発生した(農水省オウムソング事件)。
カラッキングならぬチヅッキング。この掲示板は諫早湾問題に関して荒れまくっていたといい、掲示板住民のカルマを落とすことに成功した。
これを行ったのは「ゲスッ」というハッカーグループのDUKEという人物(Perldukeなどduke系の名称の由来)らしいが[6]、警察はそれを知ってか知らずか無関係のオウムに対して家宅捜索を行ったという。
21世紀
冬の時代
90年代後半には麻原は会話不能になっていき、事件の全容も分かってきたことから世間ではオウム事件への興味が薄れていく。
2chでは荒らしに愛用された麻原AAがかろうじて残っていた程度であり、2chの特性上オウム関係の話は外国の陰謀だとか何とかの陰謀だとかと、ある意味オウムの目論見通りになった。
オウマーは目立った活動が無くなって同窓会化する。さらにアレフは閉鎖性が高いため情報が乏しく、コンテンツとして面白さに欠けていた。そして2004年、無事紫芋に死刑判決が下る。
オウム・リバイバル
しかし、2000年代半ばのYoutube・ニコ動といった動画サイトの登場により、オウマーサイトの数々に残されていたオウムソング、オウムアニメ、オウムビデオ、「虚像の神様」シリーズ[7]などが転載され知名度を上げていき、さらに当時の報道動画も続々とアップロードされていく。これによって非リアルタイム世代が追体験をすることが可能になったのであった。
エア本ブームが起こると、添え物という形ではあるが麻原(主にアニメ版のきれいな麻原や、「痴呆との遭遇」の偽麻原[8])が登場するようになった。
2011年12月31日、オウム逃走三人衆のひとり平田信が出頭。夜明けと共に世界は運命の2012年を迎えるのである。
脚注
関連項目